町の令嬢のはなし(番外編・エミリ視点)
「シャーロットは君のことが嫌いなわけではないと思うぞ」
ためらいがちに、しかし確信を持った響きで伝えられた言葉は、隣に座る青年のものだった。
彼――ロバート・キングズリーとエミリが出会ったのは、エミリが田舎町を訪れてまもなくのことである。
はじめエミリは家族で避暑に来るはずの計画だった。ところが商会勤めの父が仕事で来られなくなり、それに付き添って母も家に残り、結果エミリは一人で両親の知人の営む宿屋に世話になることになったのである。
宿の主人夫妻が親切で頼れる人物たちだとはいえども初めて親元を離れての二か月、右も左もわからないところに出会った彼は、しばしばよそ者のエミリを気遣って話しかけてくれた。
今日もたまたま町のすぐ脇を通り抜ける並木道の途中で行き会った。しばらく途中の公園で雑談するうちに話題が及んだのが、町の名士の令嬢、シャーロット・フォーダム嬢のことである。
先のロバートの台詞を聞いて、エミリは目を瞬かせた。
エミリはシャーロットと初めて出会った雑貨店でのことをよく覚えている。
何の変哲もない木戸を押し開けて、一瞬エミリの頭は真っ白になった。
お姫様がいる。そう思った。
彼女は柔らかそうな生地の仕立ての良いドレスに身を包み、壁際にゆったりと腰かけていた。一つに結い上げられた金色の髪は窓から差し込む日光に照らされて純金もかくやとばかりに輝いていた。美しい人だった。言ってはなんだが埃っぽい市井の雑貨屋だ、貴婦人が昼下がりを過ごしているなどとはとても思えず、動きを止めてこちらを見上げる彼女は人形なのではと思ったほどだ。
そんな彼女がわざわざ立ち上がって挨拶に応じてくれた時、エミリはひそかに高揚した。
初めて家を離れて一人で過ごす二か月間は、今までにない経験になるだろう。きっとよいものになるだろうと。
……ただ、期待に反して、彼女とは未だに仲良くはなれていないが。
それだけに、ロバートの言葉は意外ながらも喜ばしいものだった。
「それならうれしいです。正直、よく思われてないと思ってました」
正直、この土地を訪れる前から覚悟はしていたのだ。エミリは都から来た二か月間だけの旅行客で、よそ者だ。受け入れられないのではないかという不安はあった。
だがそれだけではないこともわかっている。
となりに座るロバートはシャーロットとは幼馴染だという。シャーロットがお姫様だとしたら彼は貴公子だ。くせのない亜麻色の髪はつねに乱れなく整えられていて、一挙手一投足に芯が通っている。話す言葉は知的でありながらもわかりやすく、エミリをまっすぐに見る琥珀色の瞳はいつも柔らかい。近くにいたら誰だって好きになってしまうだろう。
シャーロットにとってもきっとそうなのだ。きっと、エミリが訪れるよりもずっとずっと前から。だから、彼に近寄るエミリが目障りなのだろう。
今こうして二人で話しているのも、そう思うと申し訳ない。
だがどちらとも仲良くできれば、とぜいたくなことも考えてしまう。
しかしロバートは、エミリの推測とは少しずれたことを口にした。
「あれは多分……警戒しているだけなんだろう。自分でもどう振る舞えばいいかとらえあぐねているんじゃないか」
「どうしてそう思うんですか?」
純粋に疑問に思ってエミリは訊ねた。
エミリはシャーロットが焼きもちを焼いているのだと思っていたが、当の彼は「警戒」だと言う。ものものしい響きだ。確かによそ者だから警戒はされているだろうが、ロバートはそのことだけを言っているのではなさそうだ。
ロバートは説明する。
「シャーリーは見ての通り少々ひねくれ屋だが――あれで由緒正しい貴族の出だ。今でこそ自由にしているが、小さいころは周りが心配して目を離さなかったからだいぶ窮屈な思いをしていた。それが彼女をあの性格にしたんだろう」
その分うっぷんは俺にぶつけられていたんだが……とロバートがうめく。エミリは話の途中ながら笑ってしまった。幼いころの彼が年下の幼馴染の少女を相手にして真剣に困惑している姿が簡単に想像できてしまったのだ。
「だがそれ以上に、同世代と話せる場所が公式な社交の席だけというのが、一番こたえたんじゃないかと思う」
意味をとらえかねてエミリは困惑する。その表情を読んでか、ロバートはさらに説明を続けた。
「シャーリーと俺は家ぐるみの付き合いで、昔から同じ席に招かれる機会は多かったんだがな。悔しいがこのあたりは田舎だから、そのことを他の土地の口さがない子女に揶揄される場面も少なくなかった。気難しいシャーリーは適当に受け流すことも不得意だったからなおさら標的にされやすかった。顔を合わせれば親しく話す友人もいないわけではなかったが……事実を言えば多い方ではなかった」
ロバートは難しい顔をしながらも静かな声音で昔話を語る。
「そういった経験のためなんだろうな。マシューと友達になってからは丸くなったが、まだ言葉がきついところがあるんだ。噛みつく癖がついてしまったとでもいうのかな。君とも友達になりたいのを素直に言えないんだろう」
「そうなんですか……」
エミリは納得していた。
シャーロットはエミリを突き放す態度をとることが多い。ただその態度が一貫しているかといえばそうでもない。すぐに言葉を濁したり慌てたりと、どうも無理に言っているような印象があったのだ。エミリはその煮え切らなさにずっと困惑していた。
だが、幼いころから孤独と戦ってきた、その過去が彼女を作るものだと聞くと得心がいった。そのため彼女は武器を構える癖がついたのだ。
シャーロットに感じる同情の念を、エミリは不思議とすんなり飲み込めた。
きっとあの人を取り巻く環境は、優雅に見えて外見よりずっと窮屈なのだ。
一度言葉を切り、ロバートは改めてエミリに向き直った。
「無理にとは言わない。また何かされるようなら俺がかばうと約束する。だが彼女がこの先態度を改めるようなら、遠巻きにしないでやってくれないか?」
ロバートはエミリの目を見て懇願した。
あっけにとられ、うまく返答が出なかった。
エミリは礼を尽くした物言いに感服する。誠実な人とはとっくに知っていたが、貴族の子息ともあろう人がこのように丁重な態度で自分にものを頼むことにあらためて驚いたのだ。
そう、ロバートは常に人のために心を砕いていた。
初めて会ったのは並木道。エミリが宿屋に荷物を下ろしてすぐ、張りつめていた気を抜くために足を延ばしたときだった。もちろん多くは旅行の高揚感だったが、そればかりでは覆い隠せない気持ちも心の隅にはあった。何しろひとり見知らぬ土地だ。二か月の滞在は決して短くはない期間だ。
その長さを嘆くことにならずにすんだ理由の一つが彼だった。
彼はエミリが滞在者だと知るとあれやこれやと熱心に町の説明をして、いつでも声をかけてほしいとまで言った。そして実際にずっとエミリに気を回してくれている。そんなことができる人がそういるだろうか。しかもあちらは貴族でこちらは旅行客。住む世界がまるで違うのに。
真っ向から拒絶するでもなく、冷笑的な態度をちらつかせるでもなく、誠実に助けになろうとしてくれた。そのことが心細い中でどれだけの支えになったか。
今シャーロットのために言葉を尽くす目の前の青年は、あの時町に着いて右往左往していたのがエミリでなかったとしても手を差し伸べていただろう。
そうであったとしても、エミリにはロバートに返しても返しきれないくらいの感謝と恩がある。大げさかもしれないが。
だから、ただ少し、大事にされる幼馴染のお姫様がうらやましいなと憧れる気持ちを追いやって。
エミリはもちろんです、と笑顔で請け合った。




