表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/39

当て馬役の決意

 ヒロインとメインヒーローがいる。

 友人宅へと向かう途上、近所の並木道のど真ん中で幼馴染と見知らぬ少女が向かい合っているのを見かけた。その時シャーロットの脳裏をまずよぎったのは、こともあろうにそんな文言だった。

 それは比喩表現ではなかった。

 同時に記憶がよみがえったのである。

 自分は彼らを邪魔する当て馬役であったのだと。



 屋敷から町の中心部へと向かう一本道を、シャーロットは脇目も振らず足早に歩いていた。

 夏にしては過ごしやすい涼やかな気候に似合わず、その表情は険しい。脇目も振らずと形容するにふさわしい猛進ぶりだった。

 若緑の葉を掲げ等間隔に連なる木々も、その両側に広がる素朴な芝地も。頭がいっぱいのシャーロットには今や何も見えてはいない。

 五分か十分も歩いたところには家屋が立ち並ぶ通りがある。小さな町の中心部となる住宅地である。楕円に近い形の広場を縁取るように、煉瓦を主とする素朴な造りの建物が点々としている。

 シャーロットはその中に建つ雑貨屋の前まで迷わず進み、扉を押し開けた。

 ドアベルが軽やかな音を鳴らし、所狭しと並べられた陳列棚が訪問者を迎え入れる。扉の開閉で舞い上がったか、細かな埃が窓から差し込む陽光に照らされて光の粒子のように漂った。


「ごきげんよう、マシュー」


 シャーロットはそう広くない店舗の奥に立つ友人に声をかける。目元まで前髪の垂れ下がる黒髪の青年が、いつものようにそこにいた。

 彼は落ち着き払った様子で振り返り、愛想なく会釈した。


「どうも。シャーロットお嬢さん」


 シャーロットは慣れた態度で乾いた床板の上に踏みいる。


「今日も暇つぶしに来たんですか?」

「あー……まあそういうことにしておくわ。ちょっと居座らせてちょうだい」

「はあ……具合悪いならお屋敷の人呼びますけど」

「けっこうよ。そういうのではないから」


 普段なら「暇を持て余してるみたいに言わないでちょうだい」とか何とか言い返すシャーロットだが、今ばかりは覇気がない。

 マシューはそれ以上追及せず首を傾げるに留め、手元の帳面に目を落とす。

 その仕草を盗み見ながら、シャーロットは壁際の小椅子に腰かけた。



 由緒正しき貴族の血筋に生を受け、居を構える地方においては地主として勢力を持つ名士の令嬢。それがシャーロットの肩書である。

 今までその立場に疑問を持つようなこともなく、何不自由なくこの土地で育ってきた。

 それが傾いだのはつい先ほどのことだ。


 シャーロットはふいに前世の記憶らしきものを得た。

 断片的ではあるものの、生まれ変わりなどおとぎ話だとばかり思っていた少女が信じざるを得ないほどの、緻密かつ膨大な記憶だった。

 それがただの今世とは無関係な人間の半生であったのならば、戸惑いと感心を繰り返しながらやがて記憶の底へと追いやれただろう。別の人生の記憶がよみがえったからと言って、シャーロットとして生きてきたこれまでの十七年間がいっさい塗り替わってしまうわけではないのだから。目覚めた後で思い出す夢のように淡い記憶だ。

 しかしその記憶の中でも特に明瞭に思い出せた部分は、シャーロットにとって何としても無視できないものだった。

 その記憶によると、シャーロットとその取り巻く環境は、前世でプレイしていたゲームの設定と似通っていたのである。

 「若緑の夏を共に」。避暑のため小さくも美しい田舎町を訪れた主人公が滞在中出会った若者と交流するという恋愛シミュレーションゲームだ。

 そこでシャーロットは、メインヒーローの幼馴染として登場し、不釣り合いだの庶民娘だのと言って主人公をいじめる悪役だったのだ。



(前世だなんて、しかも恋愛ゲームの設定と同じ状況だなんて。妄想でもなかなか思い浮かばないわよ。でも事実だとして、私にどうしろっていうのよ)


 顔では平静を装いながら、シャーロットは騒いでやまない血とともに思考を巡らせる。

 荒唐無稽な白昼夢だと片付けることはできなかった。

 なぜなら思い出したきっかけというのがつい先ほどのこと、ゲーム中で言うとプロローグにあたるシーン、ヒロインとメインヒーローが対面する場面に出くわしてしまったことなのである。

 いつものように雑貨屋に遊びに行こうとぶらぶら並木道を歩いていたところ、道の先でよく見知った男とどこかで見たことのあるような少女が向かい合っていて佇んでいた。木漏れ日が差す光景は爽やかで、何やらとても雰囲気があった。それこそ物語の始まりの一場面のような。

 同時にこの光景に対する既視感を証明するような記憶が浮かんできたものだから、無視するというわけにはいかず、現実のことだ、と確信したのである。


 思い出した後のシャーロットは、ヒロインらがその場を去った後も呆然とその場に立ち尽くし、身に覚えのないことに慄いた。

 そうしてひとしきり震えた後、思った。

 はたしてどこまでがゲームの通りなのだろう、と。

 作中の「シャーロット」は、メインルートを中心に各イベントに顔を出しては皮肉、置き去りなどの嫌がらせをヒロインに与えていたものだった。恋路の邪魔者という役どころにしても嫌なキャラである。

 しかし今のシャーロットはというと、ヒロインが幼馴染とくっつく可能性があるからといって特にいじめたいという気は起きない。

 メインルートで繰り広げられる数々の嫌がらせは、ヒロインとメインヒーローが結ばれるのを阻止せんとする「シャーロット」の横恋慕の産物である。つまりシャーロットがメインヒーローを好いている前提で行われるのだ。

 そして、その前提は現状成り立っていない。


 シャーロットは片肘を膝に着いた姿勢のまま、立ち働く青年の黒髪から覗く横顔を盗み見た。


 恋愛シミュレーションゲーム「若緑の夏を共に」(通称「若緑」)という作品、攻略対象はメインヒーローを含めたったの二人という、乙女ゲームとしてはなかなか硬派な仕様であった。

 その二人目というのが目の前にいる青年マシューだ。公式設定曰く、ヒロインの居候先の近くにある雑貨屋の息子。都会に憧れを抱いており、愛想はないものの根は優しい。

 今のシャーロットが長く片思いする相手だ。


 今よりも幼い頃、外出から戻る道すがら、車に乗ったまま挨拶を交わしたのがはじまりだった。その後狭い土地故顔を合わせる機会もあり、気付けばシャーロットは、こうして何かと理由を付けて屋敷からは離れた町の雑貨屋まで通うようになっていた。



(前世で見た物語の中では、少なくともそんな設定なかったわよね)


 ゲームではシャーロットとマシューに面識があったかどうかさえ怪しい。

 シャーロットがロバートではなくマシューに恋している現状は、すでにゲームとは異なっている。今のシャーロットはロバートに誰が近づこうが構わないし、別段ヒロインをいじめたいとかいう気持ちはないのだ。

 悪役、やらなくてはいけないだろうか。


「ねえマシュー、私、高慢な令嬢に見えたりする?」

「は? 別に思ったことないですけど。というかそれ自分で言います?」


 マシューのぶっきらぼうで正直な言葉に勇気づけられて、シャーロットは「そうよね!」と息をついた。

 シャーロット自身にエミリをいじめる理由がないし、わざわざシナリオに沿った行動をとるべき必然性もない。

 なら別にあの記憶のことは無視しても構わないのではないだろうか。

 一応抱えていた疑問に納得のいく結論が出たとあって、シャーロットは幾分か上機嫌になっていた。


 

 穏やかな空気を割って、ドアベルが音を立てた。

 眼を持ち上げたシャーロットは、そのまま動きを止める。

 入口に立つ人影は少女だった。

 シャーロットが先刻遠目に見掛け、度肝を抜かれたのとそっくり同じ容姿。

 肩口で切りそろえられた髪は深い茶色。まだあどけない顔立ちに乗る瞳は澄んでいて、好奇心強げに店内を覗き込んでいる。

 まぎれもなく、シャーロットが気にしてやまなかったヒロインである。


「え…………」


 エミリ・ウィルソン(デフォルト名)!

 予期せぬ登場にシャーロットはそれ以上声が出なかった。

 一人反応を忘れるシャーロットをよそに、マシューとエミリは挨拶を交わしている。

 

「ああ……どうも。外から来た人?」

「はい、はじめまして、エミリ・ウィルソンです。夏の間隣の宿屋さんでお世話になるので挨拶に来ました」

「そう。俺はマシューで、こっちは……お嬢さん?」


 怪訝そうに声を掛けられ、ようやくシャーロットは引き戻される。頭の中は彼女がここへ来たことを受けての嫌な予感でいっぱいだった。


「……シャーロット・フォーダムよ」


 やっとのことでそれだけ名乗る。花が開くような笑顔を伴うよろしくお願いしますね、の言葉に、どうも、と返すのが精一杯だった。

 二人は雑談に興じ始めるが、内容はシャーロットの耳に入ってはすり抜けて行く。このあたりの名所だとか都会より空気がいいだとか今はどうだっていい。


 初めから示唆されていた、しかし目を背けていた可能性だった。それはマシューとエミリの接触を目撃したことで顔を現した。

 「若緑」ではマシューはれっきとした攻略対象である。

 つまり、エミリがマシューと結ばれる可能性だって未だないわけではないのだ。



 シャーロットはいてもたってもいられず小椅子から立ち上がる。


「わ、私はそろそろお暇するわ」


 じゃあね、と振り返らずに言い残し、シャーロットはふらふらと雑貨屋を後にした。


 おぼつかない足取りのまま屋敷の方へ伸びる並木道を歩く。


(どうしようどうしよう)


 嫌だ。

 想い人がふらりと現れた旅行客に横からさらわれるなんて。それを何もせずに黙って見ているなんて、絶対に嫌だ。

 だからと言ってどうすればいいかもわからない。

 エミリが彼に近づかないよう妨害すればいいだろうかとも思った。それこそゲームの「シャーロット」がそうしていたように。

 だがマシューに浅ましい姿をさらすのは避けたい。


 かくなるうえは。シャーロットはある結論にたどり着く。

 何もゲーム通りに動く必要はない。シャーロットは先ほど心中でそう結論付けた。

 前言撤回である。

 こうなると、直前にあの記憶が浮上したのはきっと天命のようなものなのだろう。

 幸いにしてシャーロットには、マシューとエミリとを結ばせないための計画があった。

 マシューとエミリが結ばれる道を回避したいのなら、「若緑」作中の通りにロバートとエミリを引き合わせてしまえばいいのだ。

 ……そのためには一つ問題があった。シナリオを再現するとしたら、欠かせないのがライバルイベント。つまりシャーロット自身も動く必要があった。当て馬として嫌われ役を演じる必要が。

 だがそれもこうなったら望むところだった。


(こうなったら当て馬役でもなんでもやってやろうじゃない!)


 シャーロットは並木道のただ中、一人決意するのであった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ