背を向ける二人
ころっけぱんだの脳内には、現実と謙遜ない世界が広がっている。
りんごは地面に向かって木から落ちるし、太陽は東から上り西へ沈む。草も木も、鳥だって牛だって存在する。唯一の違いは、現実であるか否かなのである。ただそれだけなのだ。
脳内に住まう住人達もまた、現実の世界の人間と同じような生活を営んでいる。
皆それぞれ衣服を纏い、家を持ち、暮らす。現実の人間と同じように文化を営んでいるのだ。
もちろんローザとよしこもそうである。
「……交渉、決裂ですわね」
「そうですか」
いかにも純日本といった趣の、緑の映える畳に床の間に掛け軸。開いた障子の間からは日本庭園が広がり、池には錦鯉が泳いでいる。
そんな部屋で座卓を挟んで言葉を交わす二人。表情は穏やかではない。
ローザは感情のない返事を聞きながら、茶で喉を潤し椀をコトリと置く。
「最後に聞きますけど……。譲る気、ないのですわね?」
「その気がないのは貴方でしょう? 私は妥協案をいくつか出してきました。それを全て突っぱねたのは他ならぬローザさんではありませんか」
「妥協案? あぁ、カルボナーラの副菜としてキノコの煮浸しを出すとかいうふざけた案、でしたわね。貴方はお寿司の隣にトムヤムクンでも出すおつもりですの?」
半笑いで明らかな侮辱を込めたローザのセリフに、よしこは机を叩き立ち上がった。
「そういう言い方しかできないんですか! あなたは!」
「そういう言い方をさせるような案しか出せないのでしょ、よしこさんは!」
返すローザも机を叩き立ち上がる。激しい言葉と感情のぶつかり合いを止める者はここにはおらず。苛立った二人の呼吸のみが空しく部屋に響く。
「もうやめましょう、話すのは」
「無駄、ですものね」
何かを思い出したよしこの言葉を合図に、赤味がかった二人の顔が冷め、諦めの思いが乗った言葉が吐き出される。
そして二人は立ち、互いに背を向ける。
「「戦場で、会いましょう」」
ころっけぱんだの昼食の決定権を賭け、協議され続けること脳内時間において一年(なお現実では二十分)。
断固カルボナーラを推し進めるローザと妥協案を探ろうとするよしこ。彼女の案は確かに両者が納得できるものではなかったが、それでもローザに歩み寄った。
その歩み寄る彼女を突き飛ばし続けた結果、何時からかよしこも悪しき感情に飲まれ話し合いを放棄していくことになった。感情と感情の醜いぶつかり合いしか、できなかったのだ。
そしてついに両者は、陰鬱な室内での罵り合いから正式な対立へとステージを移した。
「全面戦争である!」
壮大なオペラでも開催できそうな豪華絢爛なステージで、マイクに向かって声高らかに宣言する。
壇上の彼女を客席から見つめるのは洋装の人間達。彼らもローザやよしこと同じ、擬人化された概念生物である。
「数多の西洋料理の概念の諸君! これより我々は和食共との戦いに移る!」
といっても彼らはローザのような『西洋料理』といった広義な概念ではない。彼らは「ハンバーグ」や「ポトフ」や「ローストビーフ」といった個別の擬人化された概念である。
この世界ではローザやよしこのような『上級概念』の個体を指導者として『下級概念』が集まり一つのコミュニティを形成している。
そのコミュニティは数あるが、ローザとよしこの各コミュニティの規模は現実世界でいうところの『国』と謙遜ないものとなっていた。
「……諸君らの中には、日本食を恐れている者もいるだろう。長い伝統を維持し、他国にはない独自の発展を遂げた日本の食。海外からもそれを目当てに来る人間は確かにいる」
連日放送される「日本凄いね」関連の番組はもちろんころっけぱんだの目に入り、その情報はそのまま脳内住人である彼らにも共有されている。
加えて政府主導のクールジャパン運動の権威も大きい。以前、総理とアメリカ大統領が寿司屋で食事をした際は、その店選びのセンスに彼らも思わず息を飲んだ。
おまけに地元の回転寿司店はいつも外国人がいる。いつ行っても外国人がいるのだ。一人や二人じゃない。そこそこの外国人が寿司を食べに来ているのだ。
メディアとリアルがもたらすこの現状では、彼らが日本食に畏怖の念を抱くのは仕方がないことだ。
「が、しかし、忘れてはならない。和食料理とは本来マイノリティなのだ! 生魚は未だに気味が悪いものとされ、お頭付きで供される様式はさながら蛮族の食事だ! まして鳥刺しや白子ポン酢など話にならない! 国際的にみれば日本食はゲテモノ以外の何物でもないのだ!」
彼女の発言は非常に極端であるが、事実も含む。
確かにテレビでは「日本凄いね」関連の番組が注目されているが、世界的動画サイトで日本食について調べるとその価値観は揺らぐこととなる。
世界の目から見れば見事な生け作りは残酷極まりないものであり、生で出される動物の内臓には思わず眉をしかめてオマイガー。
彼女の言う通り、日本食は一種のゲテモノ料理として扱われている。これは「事実の一つ」である。
「だからこそ、私達は勝てる! そして勝つためには今一度西洋料理としての結束を一つにし、より強き一つの集合体として――」
拳を振り上げ更に熱く語るローザであったが、静止する。
唐突な出来事に聴衆は「何事か」と思ったがローザの鋭い目つきでその不安は払しょくされる。
「鼠が、いるようですわね……!」
何かを察したローザは群衆を睨みつける。ジッと群衆の中の一人に視線を合わせる。
彼女が眼力を注ぐのは洋装の黒髪ロングの女性。その姿におかしなところはない。ここにいる人間はほぼ全て洋装であるし、黒髪だって珍しくない。
「ちぃっ!」
だがローザの感は当たった。
視線に耐えられなくなった彼女は、突如として会場の出口に向かって駆けだす。
「逃げられると思って!」
もちろん逃げられるわけがない。この場には彼女以外ローザ側の人間しかいないのだ。
彼女はすぐに周囲の人間によって取り押さえられた。
「あなたは西洋料理ではない! 名乗りなさい!」
「……ふっ!」
問いただすローザに恨みを混ぜた笑みを返す。
ローザが「何を」と思った瞬間、彼女は勢いよく奥歯をかち鳴らした。
「なっ!」
「よ、よしこ様、万歳……!」
口元から血を垂らしながら、最期の言葉を吐く。瞬間、彼女の体からダラリと力が抜け落ちる。
歯に毒が仕込まれていたのだろう。魂の抜けた体は緩み、彼女の股間は濡れて周囲にアンモニアの匂いを撒いていた。
「ローザ様、彼女はいったい……」
「おそらく、よしこさんがこちらに差し向けた和製洋食のスパイですわね。オムライスかナポリタンか、はたまたカニクリームコロッケか……」
今や真相は闇の中。彼女が何者であったのかを確かめる術はもうない。
だが、最後に吐いた呪詛。そしてその覚悟の決まった最期の姿は、もはや日本料理以外の何者でもない。
「皆さん、目に焼き付けなさい! これがあちらのやり方なのです!」
立ち上がったローザは足元の「鼠の死体」を指さし、群衆に向かって再び吠える。
「卑怯にも敵の陣営を盗み見るような真似をして! さらには簡単に命を捨てるように命令する彼女達が! 本当にころぱんさんの昼食の座にふさわしいのか!」
今、ローザの言葉を聞く下級概念達には二つの感情があった。
恐怖があった。もうすでに戦争は始まっているのだと、平和な時代は終わったのだと、気付かされた。
そして怒りがあった。こんなことをする輩に、ころっけぱんだの昼食という大役を任せてはいけないのだ。そう思った。
「今、私の心は皆さんと一つです! 私達は、この野蛮で卑怯な日本料理を駆逐しなければならない!」
だからこそ、戦わねばと思ったのだ。
よしこ率いる日本料理達を排除することこそが、この世界にとって有益であり自らに平和をもたらすのだと。この場の誰もが、そう信じて疑わなかったのだ。
「……これからの戦い。こういう相手を敵にするのだということ、皆様もよくお考えになって」
そう言い残してローザはこの場を去った。
そして、長い戦争が始まったのだ。
残りはまた後日!
十話以下くらいの予定です!