ちいさなきっかけ
私こと、ころっけぱんだは時計を見るや否や迷いなく部屋を出て廊下を歩く。
「どすこいどすこい! どすこいランチ!」
そう言いながら両手をシュババと交互かつ前後に動かし、キッチンへと……。
ちょっと待っていただきたい。
作者ページから「メッセージを送る」を押そうとしている皆さん、待っていただきたい。
私という個人に「心が壊れていらっしゃいませんか? 私で良ければお話を聞きますよ」などと心優しい文章を送ろうとしている方、その優しさは別の個人に向けていただきたい。
違うのだ。これはただ少し感情の高ぶりを起こしているだけなのだ。
私には自作の傾向もあるが普段からこうやって『面白い語感を持つ言葉』を探す必要があり、それを自身の感情をエネルギーとして消費して行っているのだ。
故に、この状態は私にとって極めて普通。いやどちらかといえば良である。こう見えて精神的にはなかなかよろしい状態であることを、どうかご理解いただきたい。
さて誤解も解けたところで、舞台はキッチン。時刻は正午ちょうど。
今日のランチの気分は。
「パスタ、だな……」
声に出して自分の気持ちを確認する。
昼食の定番といえばラーメンであるが、昨日食べてしまった。おまけに冷凍チャーハンもセットで。がっつり街中華ランチだった。
そうなると今日のランチはうどん、といきたいところでもあるが実はもう少しするとうどん屋さんが半額キャンペーンを行うらしい。うどんの札は取っておきたい。
というわけでパスタなのだ。
こういう風に言うと「消去法で選ぶなんて随分舐めたことやってんじゃねぇか、ころっけぱんださんよぉ!」と声を荒げ石を投げつけてくる人もいるだろう。
だがしかし、待ってほしい。消去法で選ばなければならないほど他の昼食候補と均衡していたのだということを知ってもらいたい。
あと、人に石が当たると下手すると死んじゃうということも知っていてほしい。危ないからね。
先ほど挙げなかっただけで他にも蕎麦や丼もの、サンドイッチといった名だたる昼飯の王達のことまで考えたうえでパスタを選んでいるのである。そのことをどうか、よくわかっていただきたい。
それにパスタを食べると決めてから、少し心が躍ってる自分がいるのだ。
グラグラと茹だった鍋で踊り、乾麺が麺へと変化するあの時間。人はこの時「待て」を命じられた犬と同じ気持ちになるのだろう。
そしてキッチンに広がる小麦の匂い。ザルで湯を切ると、その香りは一層際立ち調理者の胃を刺激する。
うん、やはりパスタ以外考えられない。
けれど、パスタをどうやって食べようか。
「一つ、よろしいでしょうか?」
「よしこさん!」
優しくも凛とした声が自分の思考を遮る。
彼女の名前は、よしこさん。頭に着けた華やかなかんざしがチャームポイントな、黒髪おかっぱの和服美女だ。
私の心の中に住まう住人の一人で、和食という概念を擬人化した存在だ。
「和風キノコパスタなんて、どうでしょう?」
「和風パスタ? しかもキノコでですか?」
自然と不安気な表情を浮かべてしまったが、彼女はそんな私を安心させるように微笑みながら言葉を返す。
「はい。冷蔵庫を拝見しましたところ使いかけのシイタケとエノキ、シメジがありました。これら三種をパスタ皿に入れてレンジで加熱。その後火の通ったキノコさんに茹で上がったパスタを入れて、松茸風味のお吸い物の素とバターを入れれば」
「完成、か……」
なるほど、良い案だ。
三種のキノコを必要とするが、それがちょうど使いかけである事実。逆にこの機会を逃せば、他のタイミングでキノコを消費しなければならないのだ。
なにより素晴らしいのが、面倒ではないことだ。包丁こそ使うが、洗い物も少ないし味付けで失敗する可能性もほぼない。
美味しい料理を提案できるのは大事なことだが、彼女のように作り手のことを考えることも同じくらい大切なのだと改めて思う。
うむ、和風キノコパスタ以外の選択肢はないだろう。そうと決まれば早速キノコを……。
「あーらあらあら、よしこさん! そんな邪道極まりないものはパスタなんて言わないんですのよ!」
声高々に胸を張り、まるで舞台女優のような軽やかな歩みを魅せる女性の姿。
やってきたのは我が脳内の住人の一人、ローザさん。
少し古風な西洋ドレスを身に纏った金髪ツイン縦ロールの古典的お嬢様キャラで、いわゆる西洋料理という概念の代表者だ。
「ころぱんさん、そーんなまがいものなんて食べていらっしゃるとイタリアの方から笑われましてよ!」
「うっ、そ、それは……」
「日頃召し上がっているものについてのエッセイを書いて発表されるようなお方が! そーんなことではお恥ずかしい限りですわ!」
主に向かって随分と口が過ぎるようだが、仕方ないのだ。
私にとって西洋料理とは憧れ。彼女のプライドの高さはそれに起因するものであり、私自身がそうあってほしいと願ったからなのだ。
それにそんな言い方されると、和風キノコパスタ食べにくい……。ナポリタンですら「イタリア人はこれ見てガチギレするんだろうなぁ」と思ってしまうのが私という小さき存在。
本場イタリアンは私にとってそれほど権威高く恐れ敬うものなのだ。
「……そう言うからには何か代替案があるんですね?」
「えぇもちろん。カルボナーラ、なんていかがかしら?」
怪訝な表情を浮かべて尋ねるよしこさんに、ファサリと縦ロールを揺らしながら返事をするローザさん。
「ベーコン、そろそろ期限でしたわよね? 牛乳もこのあたりで消費なさった方がよろしいんじゃなくって?」
「……それは確かに。それにカルボナーラは比較的簡単にできるもんね」
「えぇ、お料理慣れしているころぱんさんなら失敗なんてないでしょう?」
流石はローザさんだ。その高いプライドに負けないスペックの高さが伺える。
私自身、牛乳はあまり好きなものではないのだがどうしても買ってしまう時がある。そのため消費できる時に消費していた方が良い。このチャンスは無駄にできない。
そもそも今回作ろうとしているのはパスタなのだから、西洋料理概念代表である彼女の意見に従う方が正しい。
おまけにカルボナーラときたものだ。もうこのカタカナ文字だけ圧倒される。
今でこそカルボナーラというものは一般的になったけれども、昔はカルボナーラなんて世間の知名度は低かった。ナポリタンやミートソースのトマトマトな二択の中で突如現れたカルボナーラは、黒船来航に等しき歴史的出来事だ。
それほど私にとってインパクトのあるカルボナーラ……。濃厚なチーズと卵の中に弾ける黒コショウのハーモニー。うーん、カルボナーラ大好き。
なのであるが、やはり和風キノコパスタも捨てがたい……。さて、どうしようかな。
「ではさっそく、卵を」
「あっ、ちょっ」
まだちょっと考えさせてと言いかけた瞬間。先走るローザさんの前を、細く白い腕が遮る。
「なんの、真似かしら? よしこさん」
「お待ちください。期限が危ないのはキノコも同じこと。それならば品目が多いこちらの方を優先すべきかと」
「まったく貴方って人は本当に……。お馬鹿、ですわね」
やれやれとでも言うような、大げさなジェスチャーをこれ見よがしに見せつける彼女。
「食材の賞味期限が問題なんかじゃありませんの。和風キノコパスタなどという、曖昧で邪道なお料理を作ることが問題なんですの。おわかり?」
「和風キノコパスタは邪道でしょうが、しっかりとしたお料理です。味だって決して……」
「邪道であることをお認めになったわね、よしこさん!」
「あ、あのね二人とも……」
バチバチと二人の間に散る火花と雷光が見える。その光景を見て、何とかしようと思うができない。
私のことを「情けない」と言う人もいるでしょう。だが、目の前で獅子と虎が睨みあっているのをどうこうできる人間がいるだろうか。いないよね。そういうことなのよ。
「そもそも最初に進言したのは私です。それを後からしゃしゃり出てくるような真似を……」
「あーらあらあらよしこさん! 内容ではなくて順序をお気になさるなんて、それじゃあまるでご自分の意見が私より劣っているみたいじゃないですこと! あ、事実でしたわねーっ!」
「……」
ローザさん、どうしてそこまで煽れるんですか? 煽りのプロなんですか? そういうご職業についてらっしゃるのでしょうか。
そしてよしこさん。その煽りを真に受けないで。どうか自分を強く持って、悪の感情に支配されない、で……。
いや、もう支配されているようだ。彼女の背後には般若の面が見える。
「久しぶりに頭に来ました。どちらの意見が間違っているか、じっくり話し合いましょう」
「えぇ、よろしくってよ。というわけでころぱんさん、少しの間お待ちになって」
「あ、はい。どうぞ、ご自由に」
そう言い残して二人は脳内世界の深淵へと戻る。
彼女達には自らの主に選択を任せようという気持ちはないのだろうか。
あっ、いや彼女達は脳内の住人なのだから彼女達の話し合いというのは、つまり私自身の意思決定と同義なのであって……。
うん、スマホゲームでもして待っていよう。
画面をシュッシュッして心を無にするんだ。