右の大帝
ハルバは目を覚ました。
重い瞼を擦りながらベッドから起き上がり、振り返ると何やら人影が目についた。右にいたのは絢爛な衣にて着飾られた男性の蝋人形だった。ハルバは一瞬慄いたが、その感情はすぐに治まりやがて腹の奥底から好奇心が湧き上がってきた。
ハルバは右指の先で人形を突いてみた。弾力のある素材でできているのか、ぷにと押し返された。髪を触ったり、腕脚を掴んでみたりしたが、人形はうんともすんともいわなかった。どうやら何の変哲もないただの人形らしい。ハルバは階下の母にいった。
「お母さん、わたしの部屋に大きな人形が置いてあるのだけれど、知らないかしら?」
食器の音が何度か響いたのち、母が階段から顔を出した。
「ああ、ちょっと来てご覧なさい、ハルバ。来ればわかるから。」
ハルバは寝間着のまま下へと降りていった。木の階段はハルバの足に触れるたびにぎいぎいという音を立てていた。一階_台所で質素な調理をしている母と目が合った。
「ほら。」
ハルバは度肝を抜かれた。母の立つ台所の奥、窓の側、土間にそれぞれ一体ずつ蝋人形が立っていたのだ。風貌、着ている服装はハルバの部屋にあったものと何ら変わりがなかった。
「うわ、何これ。」
「朝起きたらそこにあったのよ。近所の奥さんに聞いたんだけれども……」
ハルバは母の話を最後まで聞かずに、家を飛び出した。この面白い出来事を早く皆と共有したかったのだ。石畳の道に出た時、ハルバは更に驚愕した。道のあちこちに同じ蝋人形が突っ立っていたのだ。人々は皆訝しんでいる様子だった。邪魔だからと持ち上げて運ぼうとしている人も見られたが、頑丈に固定してあるのか中々動かせない様子だった。
ハルバはちょうど通りかかったグランツおじさんに声をかけてみた。
「グランツおじさん、この人形は一体何なの?」
「さぁ、私にもわからんね。ただ街中いたるところに置いてあるようだ……。」グランツおじさんは息をついていった。「見た所大帝さまの蝋人形のようだが。」
いわれて初めて気付いた。
人形は国を収める大帝クラヴィス公の姿をしていたのだった。ハルバはおじさんに訊ねた。
「どうしてクラヴィス様の人形がそこら中に置いてあるのかしら。」
「うーむ。大帝さまに聞いてみないことにはわからないね。」
ハルバは駆け出した。
おじさんのいう通り、街にはクラヴィス公と瓜二つの人形が溢れかえっていた。人形は道の真ん中から屋内に至るまで抜け目なく配置されており、歩いていれば目に映らないことはないくらいだった。ハルバは赴くままに王宮へと向かっていた。
「どうだ、民の反応は。」
「はっ。今はまだ状況を飲み込めずに困惑している、といった体であります。」
「そう、か。」
クラヴィス公は玉座にふんぞり返りながらいった。
彼による独裁政治は度々国民から批判を浴びており、体制は崩壊寸前であった。三日三晩の協議の末残りに残った絞り粕、苦肉の策として出された案がこれであった。
「本当に、うまくいくのでしょうか。」
「何、心配ない。」
クラヴィス公は不安げな表情を浮かべる大臣たちをそう一蹴し、窓の外に目を向けた。案の定、城内には大勢の人々が集まって来ていた。
「……そろそろ頃合だろう。出るぞ。」
大臣たちは一列になってぞろぞろと出て行った。クラヴィス公もあとに続いた。
庭園には事情を説明しろと口々に叫ぶ町民たちが溢れかえっていた。
彼らは一時間余り待たされたあげくようやくクラヴィス公の姿を見ることができた。大臣たちを引き連れてクラヴィス公が登場するやいなや大ブーイングが巻き起こり人ごみからは様々な私物が飛び交ったが、彼は特に気にもしていない様子であった。
「よく聞きたまえ民よ。」
クラヴィス公のよく通る声が響き渡った。
人々はいったん物を投げるのをやめた。庭園が静けさに包まれるとともに、クラヴィス公が再び口を開いた。
「お前たちが儂のことをよく思っていないのは十分承知しておる。だからこれは、いってみれば策だ。それもお前たちを押さえつけるのではなくあくまで血を流さずに受け入れるといった方法なわけだ、わかったか。」
クラヴィス公は口を置いた。
ふいに隅にいる小柄な少女と目が合った。彼女は不思議そうな顔をしていた。
「つまり、だ。振り返り右を向けばすぐそこに儂がいる。その事実が大事なのだ。お前たちは嫌悪するかもしれんが、民をとりまとめる者がいつもすぐ側にいるというのは絶対的な安心感をお前たちに与えるはずだ。そうだ所詮お前たちは自分では何も決められない、ただ強者にすがって高い税を払い自分で考えることを放棄し続けてきた。誰一人として直視せずに素知らぬふりをし続けてきた結果、それがこの有様だ!!」
またしても怒号が飛び交った。クラヴィス公の立つ門に飛び掛かろうとした者も現れたが、衛兵に取り押さえられてどこかへ連れ去られていった。
「儂はいつだってそこにいるのだ。それを忘れるなよ愚民共!!」
クラヴィス公は門の奥へと姿を消した。
ハルバは茫然としながら右に立つ大帝を眺めていた。




