【1】真実の話
見えない世界の、真実。
まず、これから書いていく内容について書いていこう。
これは、ほんとうの話だ。
これは、真実の話だ。
フィクションじゃない、ノンフィクションの話だ。
だが、立証はできない。
提示できる証拠となるものがないからだ。
私はそれをとても口惜しく思う。どんなに本当のことだと叫んだって、一笑に付して終わることもできるのだ。はたまた、そんなわけがない!と攻撃する者も出てくるだろう。
逆に、素直に受け入れる人を私は訝しむかもしれない。なぜこの人は信じられるのだ?と。
受け入れられる人は「その準備が整った人」又は「心の何処かで知っていた人」だろう。
ああ、なんかそんな気がする。
そうだろうと思った。
ああやっぱりか。
といったところだろう。
受け入れられない人は「準備ができていない人」。いつかきっと変わるだろう。しばらくしてまた読んでいただきたい。
長々と書いてきたが、私がこれからする話は、「見えない」話だ。オカルト?スピリチュアル?呼び名は様々あるだろう。私は所謂、霊能者と呼ばれる人だ。だが世間一般で捉えてるイメージと違うかもしれない。
私は見えないし聞こえない。
「目で見えない」し「耳で聞こえない」。
一つ断っておきたいが、霊能者にもいろいろな種類がある。「人間」に様々な種類があるように。よく見る「祓う」のが得意な人もいる。「降ろす」のが得意な人もいる。「聞く」「見る」「感じる」はたまた「触れる」人だっている。未来が見える人もいて、過去が見える人もいて、死者と話せる人もいて。だから誰にも違う!などとは言えないのだ。
私も知識や経験を深めていくに連れて、そんなのは違うと否定ができなくなっていった。
そういう人もうて、ああいう人もいる。嘘を付いているかもしれないし本当かもしれない、と。
そんなことを言い出したら収集がつかなくありそうでもあるが、もしあなたが「霊能者」と言われる人と話す機会があったら「信ずるにたるべきか」を個人個人でしていただきたい。
判断基準は「心」だ。
理性ではない。頭で考えて論理的に考えてはいけない。
例えば、
「なぜか心が震えるような感覚を得て涙が出てしまった」
「意味もなく悲しくなってしまった」
「なぜなのか懐かしさを覚えてしまった」
などがこれにあたる。
私の場合、ふと立ち寄った県内の河原で、涙がぼろぼろと出てしまった。来たこともない場所なのになぜか切なさや悲しさが溢れてきてそして恋しさを募らせる、という体験をしたことがある。
その経験は強烈なインパクトだったので長く覚えていて、霊能者だと自覚し自分のことを知っていくに連れてそのなぜが解明された。
その河原と似たような場所で私はとてつもなく前の前世で最愛の人と出会っていたのだった。
そのことについてはまた改めてしたためることとする。
あなたにはないだろうか?なぜか悲しい、嬉しい、つらい、幸せだと思った。だがその理由がどう考えてもわからないというものが。
魂は全てを覚えている。それに感情が呼応されるのだ。
長くなってしまったが、このように判断をしてほしい。
もちろん、頭で考えて例えば法外な金銭を要求されたなどだと疑っていいと私は思う。
霊能者とお金についても後述していこう。
改めて、私は霊能者だ。信頼に足る私とは比較にもならない素晴らしい同類の友人たちがいる。この度書いていくのは、彼らとを通じてわかったことや私の経験である。
前述したように、私は人間の体の五官ではわからない。私の場合、頭で見ている。そして聞いて会話をする。なので、自分の妄想との区別はかなり厳しくしている。まだ経験も足らず自信もないため、本物の友人には相談をすることも多い。
長々と書いてしまったが、私の経験ではなくまずは「真実の話」をしていきたい。
証明はできないが、本当のことである。本当かどうかはこれを読んでいるあなたが死んだあとわかる。だから、いつかわかることだ。
さあ、あなたが知らない真実を語ろう。
お読みくださりありがとうございました。ゆっくりにはなると思いますが、更新していこうと思います。これからもよろしくお願いします。