霧島連峰
修三が東京の本社勤務だった頃、五月の連休を利用して鹿児島に来た。目的は登山。福岡の先輩と二人で霧島連峰と開聞岳を登りに来た。先輩と国分で合流した後、霧島神宮に参拝して国歌にもある『さざれ石』を見物し、とんでもなく古くおんぼろな温泉に浸かり、道路脇の旅館の廃墟に往時を偲び、ユースホステルで早目に寝、そして翌朝タクシーで韓国岳北側の登山口に降り立った。
新緑の季節、群れなす低木の若葉に朝露が光った。快晴である。
韓国岳の山頂は巨大な火口だった。もう活動していない。切り立った断崖を降りる道は無い。火口の底には草が生えている。水溜まりも多数ある。
近隣で最も高い山なので、北を向けば無数の低山と幾つかの火口池が見渡せる。南を見れば峰がうねるように続いている。幾つかの大きな火口とその先の頂き。これから歩く道だ。
先輩は修三の後をのんびりと口数少なく付いてくる。登山をあまりやらない人だったが、修三が誘うと快諾してくれた。
乾燥した木立の中を1、2時間歩き、新燃岳に登頂した。これも巨大な火口だ。何年か前に噴火して全国版のニュースにもなったが、噴火する前の頂きだ。火口底には緑色の池があり、煙とも蒸気ともつかぬものがささやかに立ち昇っていた。
それを過ぎて下った所に木製のベンチとテーブルがあった。修三は、休みましょうか、と言った。草原の真ん中である。早いが昼食にした。先輩は疲れていたようで、食べ終わるとベンチに寝転がった。日射しが強い。先輩は帽子を顔に乗せた。暖かい風が吹いている。他に誰もいない。草がさらさらと鳴った。
修三は溜め息をつき、「気持ち良いですねえ」と寝転がった。空が青かった。すぐ眠りに落ちた。
多分30分程だが、今回の登山を印象付ける快適な昼寝になった。
新燃岳の噴火も一段落した今、あの場所はどうなっただろうかと思う。焼け野原になり火山灰に埋め尽くされたなら、豊かな草原が再生するまで何年もかかるだろう。
起きるとまた歩き始める。てくてくてくてく歩き続けて下り続けて霧島神宮の奥宮に着いた。タクシーが客待ちしている。ここで終わりにしても良いが時刻は午後3時。地図と体力を勘案してそのまま高千穂の峰まで行こうとまた登り始める。先輩は段々元気になってきた。
乾燥した赤土に足を取られて苦労したが登頂成功。二つの巨大火口の脇を歩いたが、ガスがあるのか、山肌が剥き出しの生々しい火口だった。山頂には、神話に由来する大きな鉾が突き立てられている。青銅製で青みがかっている。しっかりと原形を保っている。無論、昭和か平成に作られた物に違いない。オリジナルは博物館だろう。
錦江湾の照り返し、桜島の山影がうっすら見える。空気の澄んだ時なら薩摩半島南端の開聞岳まで見えるという。
奥宮まで引き返す途中では、ソロ登山の女の子に尋ねられる。携帯電話落ちていませんでしたか?と。修三も先輩も見ていない。女の子の出で立ちはジーパンとTシャツとスニーカー。観光登山とわかる。
「鳴らしてみたら。誰か取ってくれるかもしれない」
修三が提案して鳴らしてみた。自然な流れで番号ゲット。
呼び出しかかったので圏外ではない、が誰も出ない。
女の子は山頂へ登り返して行く。修三たちはのんびり下り、何度か女の子の携帯を鳴らしてみた。助けになることを願って。結局誰も出なかったが。
最後の火口脇の大岩で修三たちが休んでいると女の子が戻って来た。近付いたところで声をかけようとしたら、女の子が赤土に滑ってこけた。柔らかいからケガもしないが、恥ずかしそうにしている。可愛いじゃないかこの野郎。ジーパンが派手に汚れた。話し掛ける取っ掛かりが無い。
しばらく沈黙の後、「あったかい?」先輩が話し掛ける。
「ありました。石の上に置いてありましたよ」
「そりや良かった、けど家に帰るまでが登山だよ」
「、そうですね♪」
修三が口を挟む「バナナはおやつに入るんですか?」
「あはは、入ると思いますよ」
「最後まで気をつけて。スニーカーは滑るから」
「そうですね」
「さ、才賀(修三)、降りるぞ」いきなり先輩がやる気を出し始めて女の子を駐車場までエスコートした。「あー、そこ滑るからな、気をつけよう」
「先輩今日は優しいですね」
「あー、これがいつもの僕かな」
「はっはっは」
「うふ、ありがとうございます」気さくで優しい女の子だった。大学生で、バイクの1人旅をしていて、関西からひたすら一般道を運転してきたという。駐車場に彼女のバイクがあった。古いネイキッドの中型だ。
「面倒おかけしました。またどこかで会いましょう」彼女は颯爽と去って行った。
「良いコでしたね」
「そやな」
見えなくなるまで先輩は眺めていた。
その後は電車を乗り継ぎ桜島を眺めながら薩摩半島の南端山川駅まで移動した。駅から少し歩いた民宿に投宿する。明日は開聞岳である。この辺りはカツオの水揚げが多く、タタキと鰹節が名産である。晩飯にタタキを食べたが水気が多くイマイチだった。調理が下手だったのだろう。




