侯爵令嬢の浮き沈み
皆様こんにちは、私は元侯爵令嬢のアムリース・ザハク・トルッティです。
先日までは侯爵令嬢を名乗り第一王子の婚約者でしたが、突然現れた子爵令嬢に王子を奪われ、謂れの無い数々の罪によって投獄されてしまいました。
硬い石畳の床は悲観に暮れる私の心を苦しめるが如く冷たく体に刺さります。
四方を囲んだ石壁には天窓の一つも無く、鉄格子の先には牢番が駐在して私を見張っているのでプライバシーも有りません。
対面の牢には男性が投獄されていていますがイビキが凄いので寝る事すら許されません。
貧相な食事、トイレは桶、カビ臭くて不衛生で狭くて薄暗くて、この世の不遇を寄せ集めた様な場所に閉じ込められた私は毎日泣いていました。
――はい、過去形です。
人間の順応性の高さとは凄いものです。慣れてしまえば石畳の固さも冷たさも苦になりません。隣人のイビキでさえ今では子守唄です。
部屋全体に漂うカビ臭さも、お風呂に入れない私にとっては体臭を誤魔化せる芳香剤の様なものです。
貧相な食事も、狭い牢内で運動らしい運動をしない私にとっては太る心配をしなくて済むと思えば何の苦もありません。
むしろ気遣ってるのですか?と聞きたいくらいです。
この薄暗さまでも暇を持て余した私の為に惰眠を貪るようにと配慮して頂いている気がしてきます。
考えてみれば子爵令嬢に籠絡されて、ありもしない罪を信じて婚約を破棄。そのうえ投獄とか、何であんな男を好いたのか訳が解らない。昔の自分に問い質したい位です。
父上や弟もそんな話を信じて縁を切るし、何を信じていいのやら……。
幸い、幸いなのかな? 投獄はされたけど別に刑罰は受けていない。何故って、貴族なんて多かれ少なかれ”何かしらしている”ものだから、私を罰すると前例が出来てしまう為に具体的な刑罰は与えられない。
おそらくはこのまま牢屋に放置して死ぬのを待っているんだろう。申し訳程度の食事も、飢え死にされると、それが”刑”になる恐れがあるからだ。
あちらとしては病死で済ませたいのが見え見えなのだ。
そして今日も具の少ない薄いスープが出される。スプーンなんて付いてません。私は器の端を摘むとそれに口を付けてグビグビと飲みます。
以前であれば”はしたない”事でしたが、今の私は平民と同じ……いえ、罪人であるなら平民以下でしょうか?
どちらにしてもマナーだ何だと気にする必要が無いので好きに出来ます。
そう、これはこの牢獄で手に入れた自由なのです。
スープを飲み終えると”ゲフー”と喉から息を吐きます。牢番曰く、ゲップと呼ぶそうです。こんな場所でも学ぶ事があるのはステキですね。
食事を終えた私は鉄格子に背を向ける形で横になります。体を傾けた拍子にブッっと”おなら”が出ますがそれも気にしません。
対面の男性に『横になって屁が出たら尻を掻くといいぞ』と以前教わってからはそうしています。
何が良いのかは今だ解りませんが、何か気分がいいのでそうしています。
時々、本当に時々ですが、私の様子を見に来る人も居ます。ですが私からすれば全員裏切り者です。保身の為に虚偽を否定もせず庇う事もしないで遠巻きに見ていただけの人達。
そんな人達の顔など見たくも無いので普段からこうして鉄格子に背を向けて横になっています。
来ても”シッシッ”と手を振るだけで言葉など交わす気も無い事をアピールしています。
以前、第一王子にこれをしたら怒鳴っていましたが、私は牢の中なので手が出せませんでした。ある意味私は国に守られているのです、王子ごときに何か出来る筈も有りません。ざまぁみろです。
私があの時の事を思い出して良い気分でいると誰かが入ってくる音が聞こえてきますが、私はしらんぷりです。
見向きもしないでいると突然大きな笑い声が聞こえました、大爆笑です。
「あはははっ! いい、面白いよ、最高だ、予想の斜め上を行ってるよ。こんなに……笑ったのは……初めてかも……しれないな」
聞き覚えのある筈の声だけど、私の知り合いにこんな下品に大笑いする人は居ただろうか?
思わず振り返ると、そこには腹を抱えて笑う第二王子のリブライトが居ました。敬称略です、敬う必要なんてありません。
普段の王子とは思えない振る舞いに驚きましたが、ここは下品上等な牢屋なので気にしないことにします。
一頻り笑って満足したのかリブライト王子は床に胡坐を掻いて座ると話し始めました。
「まずは助けられなかった事を詫びさせて欲しい。ただ、アレは誰にも止められない事も理解してもらえないだろうか? 例え国王であっても止められない」
えっ、国王が止められない筈無いじゃない。私を馬鹿にしてるのかしら。
「説明は難しいけど、君自身あの流れに居たから解る筈だよ。彼女の辿る道にある障害は全て排除されてしまう。君が何をしても裏目に出てしまっただろう?」
確かに私が何を言っても”不自然”な程に信じてもらえなかった。家族や親友達でさえまるで別人の様に見えた。
何をしても裏目に出て、最後は諦めて、ただ言われるままになっていた。
そうか、私もあの流れの中でどうかしていたのかもしれない。
「ボクはね、跡目争いなんてせずに将来は兄さんに国王になって欲しいと思っていたんだ。だけど、今の兄さんに国を任せる訳にはいかない。
目を覚まして以前の兄さんに戻ってもらうのが一番だと思うけど……。無理ならボクは国王になるつもりだ。
だから君に手を貸してもらいたい。もし失敗すれば国を追われるか死刑になるかもしれないけど、まだ国を、国民を思う気持ちが残っているなら手伝ってくれないか?」
国も国民も……いや、家族や友達だってどうでもいい。だけど、それって、第一王子と子爵令嬢と敵対するって事ですよね……。
「けれど、国王でも止められない”流れ”があるのでしょう?」
「いや、あったが正解だ。アレは子爵令嬢が王子と婚約するまでの話だ。話の終わった今、あの強制力は無い。
彼女のターンは終わった、だから俺と共に第二幕を開こうじゃないか」
彼の言う強制力が何かは解らなかったけど、熱意に押された私はリブライトが差し出した手を握っていた。
どうせ牢屋で一生を迎えるはずだったのだ、今更破滅なんて怖くは無い。むしろあの二人の前に立ちはだかれる事に喜びさえ感じる。
私は自分の口角がわずかに上がるのを感じた。
数日後、私は第二王子派の侯爵様に養子として迎えられ、アムリース・フォン・デューチズ侯爵令嬢となりました。
そして、第二王子の婚約者として二人の前に現れます。あの驚き様は生涯忘れる事はないでしょう。
――さぁ、今度は私の番です。覚悟は宜しいですか?