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崖の上で愛を叫ぶ

作者: 紅葉

危険な行為が描写されているため。R15指定させていただきます。


 佐多岬。九州本島最南端に位置するその岬に二人はいた。


 大隈海峡からの潮風が二人の間を遠慮がちに吹き抜けていった。二人を包む空気は、アツアツカップルのそれではなく、まるで探偵と追い詰められた犯人の様相を呈していた。


 そう、その二人とは生物学上雄と雌に分類される……ありていに言えば男と女だった。

 一見して二十代のごく普通のOLとサラリーマン。それが彼らの見かけから推測される印象だったが、その立っている場所は尋常ではなかった。

 何しろ佐多岬展望台の外側にいるのである。

 もしギャラリーがいれば、「痴情のもつれによる喧嘩がエスカレートした末の自殺騒ぎなのではないか」と思わず110番通報をしてしまいそうな足場に二人は平然と立っているのである。


「こんなところに呼び出して何の用なの?」


 風に遊ぶ髪を片手で押え、凜は冷たく言い放った。蓮とは子ども頃からの付き合いとはいえ今は敵同士だった。愛想笑いをする義理はない。

 ゆらりと蓮の身が凜に一歩近づき、後退る凜を見て嗤ったように表情が歪んだ。


「幼稚園の頃、キミは俺の弁当箱からいつも苺を奪って食べていた……」

「いつも最後に残しているから要らないと思ったのよ」


 普通の女ならば黒歴史の数々に居た堪れなくなり目を反らしているかもしれない。だが凜は一時も男から目を離さなかった。一定の間合いは保たれている。


「小学一年の時に、キミは俺の粘土で作った作品を壊した……」

「女子生徒総意の行動よ。あんな精巧でグロテスクな蜘蛛を粘土で作るなんてあなたの造形技術は称賛に値するけど悪趣味だわ」

「……凜、キミは中学二年の時に俺へのバレンタインデーのチョコに劇薬を仕込んだだろ」

「それは言い掛かりよ。隠し味にトウガラシと風味づけにまむし酒を入れただけ。私の仕業と気がつくなんて大したものね」

「ふふっ、そんな事をするのはキミぐらいさ」


 歪んだ笑みを消し、蓮は真顔になった。凜は彼から殺気のようなピリピリとした緊張感を感じとった。


「凜、キミに言いたいことがある。それで今日は呼んだんだ」

「蓮、私にはあなたから聞きたいことなんて一つもないわ」


 凜は拒絶したが、それは完全なる逃げの言葉だった。蓮はそんな凜を見てニヤリと嗤った。その表情を見て凜はそれまで無表情だった顔を僅かに強張らせた。そして、蓮は利き手をジャケットの内ポケットに滑り込ませた。

 殺られる、そう直感した凜は微塵の躊躇いも見せずにそこから飛び降りた。


 凜は逃げた。ハイヒールを履いている女とは到底思えないほどのスピードで。

 そして蓮も凜を追った。負けず劣らずのスピードで。ほんの少し蓮の出足が遅かったせいで、二人の間には一定の距離が常にあった。


 凜と蓮の家系は共に戦国時代まで遡ることができる。そののち維新の風吹く動乱の時代を薩摩藩に仕えた薩摩忍者の末裔であった。

 もちろん現代において忍者が忍者らしい仕事をしているわけもなく、凜は市の公務員。蓮は地元酒造メーカーに勤めていた。

 二人が幼児の頃までは、お互いの家が忍者の末裔ということもあってそこそこの交流があった。歴史の中でご先祖様同士がたとえ一時敵対した関係だったとしても。

 だが、この関係が大きく変わったのは二人がななほし幼稚園の年中さんの頃だ。

 もともとお爺さん同士は仲が悪かった。なぜなら蓮のお爺さんの許嫁だった朱音あかねという女の人を、凜のお爺さんが奪ったのだ。蓮のお爺さんはその後、ゆかりという女性と結婚したのだが、蓮のお爺さんはそのことをいつまでも恨みに思い、両家の間には禍根が残った。

 決定的に決裂したのは、とある秋の日のことだった。

 並んで建っていた両家の裏には立派な畑があった。そこにはサツマイモが植えられていて収穫を今か今かと待ちながら芋がふくふくと土の中で肥えていた。ある朝、凜の家の畑が荒らされ芋が食い散らかされていた。大学芋を食べながら芋焼酎で一杯やるのが楽しみだった凜のお爺さんは怒った。そして、これを朱音と結婚したことを恨みにもつ蓮のお爺さんの仕業だと決めつけた。結局は山から降りてきたイノシシのせいだったのだが、頑固な凜のお爺さんは謝るということをしなかった。

 以来、何かと張り合おうとする両家に育った凜と蓮が揉めがちになってしまうのは自然の摂理だと言えるだろう。子どもは親の背中を見て育つのだから。


 凜は得意の山道を走った。もともと薩摩忍者は山を駆けることに長けている。

 木から木へと飛び移り、時には草をかき分けて走った。

 噴煙上がる山を横目にただひた走り、背後の物音に気を急かした。

 一時も休むことは許されない。これまで蓮にしてきた所業、それらの報いを今受けるとしたら、凜に待ち受けるものは死しかないだろう。しかし、凜はここで死ぬわけにはいかなかった。来週末の合コン、その予定をふいにするわけにはいかなかった。


 門司から下関へと渡り、凜は山口県へと入った。しばらくは山陰本線沿いにひた走る。


 幾つもの峠を越え、酒呑童子で有名な大江山へと入山する。

 蓮は一定の距離を保って付いて来ていた。凜は追ってくる蓮の姿に、はしたなくもチッと舌打ちをした。


「なんて執念なの。子どもの頃の恨みを今まで引きずっているなんて。ああっ、まだついてくる!」


 琵琶湖を水遁の術で泳ぎきり、対岸に着くと凜は再び走りだした。「蓮のやつ、ブルーギルのエサになればいいのに」と呪いの言葉を吐くが、そんな願いは虚しく腹立しくも一定の距離を保ち蓮は後を追ってくる。蓮の執念深さに辟易しつつも凜はさらに東を目指した。


 関ヶ原を抜け、天竜川を渡り、青木ヶ原の樹海を駆け抜ける。途中自主的に遭難している人影を見つけたが構ってはいられなかった。


 殺らなければ殺られる、そんな恐慌状態の凜は付かず離れずの距離を保っている蓮に恐怖を抱いていた。だが、今日はかんざしも三味線の糸も持ち合わせていない。そもそもクノイチは強襲には向かない。屋敷にメイドとして侵入して偵察や暗殺をするのが本来の任務なのだ。そもそも平成の世に暗器を持ち歩くことはいただけない。ちょっと反撃すれば過剰防衛になるからだ。痴漢には手の甲にボールペンをブッ刺すくらいがちょうどいい。


「愉しんでこの距離を保ってんじゃないでしょうね! いやぁ、まだついてくる!! 諦めてよ、もぉ!!」


 草結びを仕掛けてもなんのその、蓮はトラップに引っかかることなく笑みさえ浮かべて、凜をロックオンした状態で追いかけてくる。


 二人は街を避けて軽井沢へと出た。そして東北へと北上する。山道は険しく二人の行く手を阻むが、二人の勢いは衰えるということを知らなかった。


 そして――。


 二人は神威岬にいた。

 日本海に面する断崖絶壁の岩肌に凜は背中を付けていた。


「もう後がないね、凜」

「ひぃぃ、もう許してよ。あれから何年経ったと思ってるの!」

「やっと俺の願いが叶う……」

「もしも~し、聞いてますかぁ?」


 恍惚とした表情の蓮に壁ドンされているこの状況を打開する方法を凜は泣きたいのを我慢して必死に考えた。

 いくら嫌がらせの体裁を保つ為にトウガラシとまむし酒を入れたといっても、チョコレートを渡したいと思う程度には蓮の顔は凜の好みだった。でなければ、友人に冷やかされながらチョコなんて渡さない。なのに、なのに、やっぱり自分は殺したい程、蓮に憎まれていたのだ。分かってはいてもガツンと頭を殴られたように凜はショックを感じた。

 

「キミが俺の事が嫌いなのは知っている。だが俺は凜のことがずっと気になっていた。家同士の事は関係ない」

「いやぁぁぁ!!」「俺はお前ガッ……!!」


 まるで既成事実を作ってしまえとばかりに実力行使をする蓮の行動に凜は慄いた。

汗まみれ埃まみれの蓮に今は正直、近づかれたくはない。それは自分の匂いを嗅がれることへの羞恥と同義でもある。

 凜は本能と条件反射で蓮に足払いをかけた。不意を突かれた蓮は不安定な足元を滑らせてあえなく断崖を落ちていった……。


「蓮……」


 海鳴りの音に混じって凜は涙を零した。いくら汗臭い体臭を嗅がれたくないといってもやり過ぎてしまったと後悔する。私は殺人者になってしまった。なによりもう、蓮は帰ってこないと。

 だが、凜の予想に反して蓮は戻ってきた。

 所持していた鎖鎌の切っ先を断崖の岩肌に挿し込みながら、強靭なその肉体と凜へ伝えたい気持ちを糧に断崖を這い上がってきたのだ。


「凜、話を最後まできいてくれ。俺はお前のことが……」

「ひぃぃぃ!!」「好キッィ……ああああっ!!」


 再び迫ってくる蓮に本能的に恐怖を感じ、凜はまた足払いをかけた。攻撃を避けようとした蓮は再び断崖絶壁の向こうの空へ身を躍らせる羽目となった。

 またやってしまった。

 凜は蓮が消えた空と岩肌の切れ目をじっと見つめた。

 いつまでここで待っているのかと凜は自問自答した。これまでの人生、ずっと蓮から逃げてきたのだ、これ幸いとここを立ち去ってしまえばいい。

 何を期待しているというのだろう。

 だがしかし、蓮は凜が崖へ落とす度に這い上がってきた。

 戻ってくる蓮を見る度、なぜか凜の心はキューっと締め付けられる。安堵と恐怖、喪失感を繰り返す間に、いつしか蓮に復讐されるかもしれないといつも抱いていた恐怖心とは違う感情が凜の中に芽生え始めた。


 もう幾度目の転落だろう。徐々に這い上がってくる速度は落ちていた。

 自分には蓮しかいないのかもしれないと考えながら、それでも試すように突き落とす。

 そして今度はもう帰らないかもしれないと凜は諦めはじめていた。

 しばらくして空と崖の境から指が生えた。

 五本が十本になり、頭が生えて、首が伸び、肩が出た。


「蓮……!」


 肘を掛け崖を這い上がってきた蓮を見て、凜は訳もなく泣きたくなった。


「凜、愛してる」


 ボロボロの笑顔で蓮は凜にそれを伝えた。血が滲んだ手で鎖鎌を地面に置き、そして内ポケットから出した小箱がころんと凜の足元に転がってきた。

 

 凜は蓮の腕を掴み、重力に逆らってありったけの力を出した。


「うぉりゃぁぁぁぁぁ!!!!」


 凜は蓮を崖から引き擦り上げると、ボロボロになった蓮を抱き締めた。




 二人は結婚の約束をした。そして、仲違いをしていた両親を説得した。そして、吉日。


「えー、蓮くんと凜さん、結婚おめでとうございます」


 紋付袴に身を包んだ蓮にはハーネスが取り付けられ、ひとつにまとめられた脚から太いゴムが伸びていた。

 白無垢の花嫁衣装の凛と共に、二人は渓谷の張り出した台の上にいる。


「二人のお付き合いのきっかけは、紐なしバンジーだったということを伺っていました。蓮くんには凜さんを幸せにする覚悟を、凜さんには蓮くんを支えていって欲しいという願いを籠めまして……」


 スピーチが終わるやいなや、号令が始まった。


「さん、に、いち、バンジー!!」


 凜は蓮の背中を押した。今度は安全装置を付けた蓮が大空を舞うように飛び出した。


「りーん、俺はキミをきっと世界で一番幸せな奥さんにする~~!」


 蓮の愛を叫ぶ声が渓谷に響き渡った。そして蓮と凜の未来を描くようにゴムの力で蓮は何度も跳ね上がった。

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