二十三話
ゴブ、ゴブ、ゴブゴブ〜。
歌声が頭から離れない。だから俺は、それを鼻歌にして外へ流す。
夜の町には、まだイルミネーションが輝く。日程的には明日から取り外し作業が始まるらしい。
俺の手元には手帳が一つ。これから年越しの更新に関して、やるべき事をメモしている手帳だ。既に行ったことには、丸を上から記入してある。もう既に、殆どの要項が丸で囲まれていた。
後は残り数日を掛けて、慌ただしく更新の準備を行う住民達を手伝うだけ。どうやら今年も、無事に更新を行えそうだ。
自宅までの道中。歩き続ける俺は、今年のことを振り返る。
そういえば、今年に俺は高校生になったのだった。なんと言うかもう二年であったような気分。友達が少ないのは別にして、高校生活が充実している。もう日常の一部だ。今年の四月に始まったとは思えない。
何より、俺は女神に会うことが出来たのである。もう文月さんを知らなかった生活が想像出来なくなっている。寧ろ、俺の人生は彼女を知ったときから始まったのかもしれない。わりと、本気で。
今年の俺の中で一番のビックイベントは、文月さんと出会った事で間違いがないが、二番目を考えるとやはり竜庭に訪れたことだろう。ドラゴンという生物の存在感を肌で感じ、また竜庭でそのドラゴンと生活したのはとても良い経験だ。攻撃魔法の手加減方法も編み出すことが出来たことであるし、非常に有意義な時間であった。
唯一悪かった点を考えるなら、あまりにも怠け者になり過ぎたことであろうか。いや、何もしないという贅沢による真の快楽を知る事が出来たんだ。それもまた良い事であったに違いない。絶対に。
「はぁぁぁ」
竜庭の日々を思い出していると、何だかとっても眠くなってくる。
冬の外は寒いのだが、背中に張ったカイロがとても暖かくて眠気を誘ってくるのだ。それに寒さ程度で、俺の竜庭で鍛え上げられた怠けっぷりは揺るがない。ここでだって寝れる自信がある。さすがに、寝ないけど。
自販機を発見。眠気覚ましに、暖かいコーヒーを買う。
硬貨を入れて、ボタンをポチッと。
ガタンという落ちる音が響いた。この自販機がある場所は、先程までの明るくて賑やかだった場所からは外れているため、静かで街灯はあるものの薄暗い。故にそんな何気ない音が不気味に周囲に轟くのだ。
「お〜、温い温いの〜」
手に取ったコーヒーを包み込む。
熱がジンワリと冷えた手に伝わって、温い。しばし開けずに、体を温める。
温い温い。
「ぬ——————熱ッ!」
体が跳ねた。こういうときの、自分の反射神経の良さを褒めたくなる。
魔王との日常的な触れ合いは一応無駄ではないということか。
脇腹を抑える。そこから湧き出ないように。
キラッと街灯の光が反射して、ソレが光る。
視界に入れて、ようやく熱いのではなく痛いのだと理解した。
「あれ? 外しちゃったよ」
「お前下手過ぎだろ」
「バカ、コイツが下手なんじゃねぇよ。アイツ、とっさに避けたんだ」
「マジで? やるな〜」
傷は別に深くない。半世界だったら、直ぐに魔法で直せるレベル。しかしここでは、当然出来ない。鎮痛だって行えないのだ。勘弁してほしい。痛いのは嫌いなんだ。
俺を囲むように現れたのは、数人の男。視界で確認出来る範囲だと、五人。足音で判断すると、恐らくそれ以上。
その誰の視界にも入らないように、缶コーヒーをソッとポケットに忍ばせる。
「どうする?」
「計画まる潰れじゃん」
「元々計画なんてあってないようなもんだろ」
「リーダー捕まっちゃったしな〜」
「お前知ってる? 前にちょっと騒がれてた通り魔事件。あれ、俺達なんだよ」
脳内に地図を思い起こす。自販機を起点として、この周囲の地図を拡大。
「何話してんだよ」
「別に良いじゃん。上手く隠す方法も見つかったし」
「でもリーダーは殺しは止めろって言ってなかったっけ?」
「関係ねぇだろ」
ルートを検索。何通りものパターンを想定して、複数の逃走経路を確保。
「まぁ、とにかく。あれは俺達でやったことでよぉ。リーダーは警察に捕まったけど、俺達は今ここにいるんだわ」
「問題で〜す。何で俺達はここにいるんでしょうかぁ〜?」
「はいはい! 答えは警察が無能だからです!」
「正解〜。リーダーが捕まったら、簡単に捜査を止めてやがの! バッカだよな〜!」
過去に現れた、魔王の姿を思い出す。
通り魔事件による人々の恐怖が生み出した魔王。その姿は人形であり、複数の魔王であった。
そう、複数。それは即ち、通り魔事件の犯人が複数であることを意味していたのだ。
稀にそういうことがある。被害者が、直接犯人に与えられた恐怖によるストレス。それが魔王や魔物の核となり、その形状に干渉する。『女の敵』も似ている。犯人の顔は見れないものの、被害者は『電車』という形状と『手』という直接的に被害を与えて来るものに恐怖を覚える。それが具現化され、あの電車型の魔王。そして内部に存在する手のような魔物になったのだ。
瞬間的に入手した情報は、中々記憶出来ない。ましてや誰かに襲われるという非日常の出来事。気が動転して、犯人を記憶するなんて頭の片隅にも過らないだろう。しかし、その記憶と魔王が生まれる要因とはまるで関係ない。ストレスは発生した瞬間から、魔王の現れる要因となる。つまりは被害者が記憶に犯人の姿を残さなくても、瞬間的に犯人によってもたらされたストレスはその姿を魔王に反映するのだ。
コイツらは、最初から複数で犯行を行っていた。
コイツらの言う、リーダーという存在。それが司令塔となり、犯行現場を単独犯のように見せ掛けていた。そして警察に捕まりそうになると、リーダーのみが捕まって他は助かる。警察も死人の出ていなかった、『小さい』とされてしまう事件を、執拗に操作しようとは思わない。犯人が捕まればそれで終了。またその犯人が素直に罪を認めているのだから、何の問題もなく。現場の刑事は、もう何も出来ない。
『刑事の勘』など、もう認められない世の中だ。
—————しかしそれは、新しい被害者が出なかった場合の話。
警察は、バカじゃない。
「———なめるなよ」
「あ?」
「警察を、なめるな。正義をみくびるな」
熱い。
今度は痛みと勘違いした熱さではない。グラグラと煮えたぎるような、確かな熱さ。
怒りだ。
俺はコイツらに、怒りを覚えていた。
ヘラヘラと笑い続けるコイツらに。
刃物をアクセサリーのように扱うコイツらに。
父さんが働く、警察という組織。
何の信念も無く。正義象徴たるその組織を、侮辱しているコイツらに。
「何言ってんだお前?」
「———ああ、真面目ちゃんか。気持ち悪ぃ」
世間からは、無能と言われ続ける警察。けれども無能であったのなら、何故俺達は今、笑っていられる?
捜査が打ち切られてしまうのは、お前達のような愚かな存在が日々新たな事件を生み出しているからだ。
真犯人が、新たな被害者を生み出してしまったとき。
その時に見せる悔しそうな顔を、俺は忘れられない。
そして何より。お前達のようなクズがいるせいで、誰かが恐怖して、そのお陰で魔王が生まれる。
「はいはい。正義は偉いね〜。でも君はここで死んじゃうんだよ〜。残念だったね〜?」
「何なら助けでも呼んでみますか〜?」
通り魔達がゆっくりと近づいてくる。
先程頭の中で描いた何通りもの逃走経路。その中で、最もこの状況に合っている道。そこを通るためには、障害物がある。俺はその障害に対して、先程購入した缶コーヒーを投げつけた。
「ぎえぇ!」
缶コーヒーは、その障害の鼻の下。上顎骨に当たる。
中々痛いはずだ。障害は怯み、その場所を抑える。それを視界に捕らえながら、肘打ちで追い打ち。体が道の端に吹き飛んだことで、ようやく道が開ける。瞬時に俺は駆け出した。脇腹痛い。
「ちょ!? 何してんだ! 逃がすな!」
さっさと付いて来い。
ああ、クソ。血が止まらない。
せっかくのゴブリン癒しパワーが台無しじゃねぇか。
責任は取って貰うぞこの野郎……。