十二話
本当に報告は終わりらしく、俺は竜王に挨拶をして別れる。そして女性のドラゴンと共に大樹から飛び立つと、これから俺が寝泊りすることになる場所へと移動を始めた。
途中、俺を案内してくれたドラゴンが一人の人間とすれ違う。髪が金髪。顔立ちから判断するに、アメリカに住む末裔だろう。時差により年越しの瞬間の違いはあるが、更新を行う瞬間は同じ。ならば竜王に報告を行う時期も同じということだ。
相手も此方に気が付いたようで、俺は軽く礼をすると女性のドラゴンを見失わないように急いだ。
到着したのは、崖にある大きな洞窟。下は見ない。絶対にだ。
「ここが、貴方の住む場所」
入り口はドラゴンの巨体が入っても余りある広さ。内部には光を放つ苔が生えており、視界が闇に包まれない程度に明るい。そしてその場にあるはずもない、恐らくあの大樹の大きな葉が何枚かあった。
「クソ餓鬼のために特別に作った。貴方もあそこで寝て」
「あ、すみません父が……」
竜庭に時は流れているようで、流れていない。
世界が半分になる際、形を保持出来るほどに、世界から隔離されたこの場所。しかし世界に生まれた形である限り、その魂は世界のものである。魂に流れる時からは完全に逃れることは出来ない。
つまりは、魂の時は流れながらも、世界から隔離された形の時間は流れない。そんな現象が発生する。
魂の時が流れるとは、即ち時の流れを感じるということ。今があれば過去があり、そして未来がある。当たり前なことを当たり前に感じる。本当の時間は流れなくとも、精神は老衰する。
形の時が流れないとは、即ち形が変化しないということ。今は今のままであり、不変。当たり前は当たり前ではなく、何らかの要因がない限り、時の流れで形は変わらない。肉体は不老。腹も空かなければ、排泄行為を行う必要もない。
形が変わらないということは、新たなものは生まれないということ。壊すことは簡単だが、生み出すことは困難だ。
だからこそ、この場所で何かを壊すような行為は厳禁。木の葉を数枚取ることでさえ、ドラゴンは許さないはず。それで寝具を造ってくれるなど、例外中の例外でも起こったのだろうか。とにかく。その例外を父が起こしたとなれば、当時は色々あっただろう。息子として、申し訳ない気持ちになった。
「何で貴方が謝罪をするの?」
ただその謝罪は、ドラゴンにとっては意味の分からない行為だったようである。
「え。あ。え……あの、すみません」
「人間って、本当に変な生き物ね」
ドラゴンは興味深そうに俺を見つめる。獲物がどれほど美味いか、舌なめずりをしているように見えなくもない。俺は必死で、体を震わせるのを抑えた。
平常を装った声で質問を投げかける。
「それで、俺は何をすれば……?」
「───────貴方が滞在すると言ったのに、どうして私に質問するの?」
「あ、そうですね。───いや、世話になるなら、何かをするべきかと」
「何で? 世話になるのだから、何かをする必要はないじゃない」
言われてみればそうかもしれない。
それでも悪いから。という言葉は、ドラゴンには通用しないだろう。かといって、ドラゴンを納得させるような言葉は、俺の少ない語彙力では思いつかない。どうすれば分かってくれるのだろう。
「物々交換、とか?」
ドラゴンは首を傾げる。
「ほら、その、何かを渡すから、何かを貰うっていう……」
「それは分かっているわ。それが発展して、人間は金という文化を生み出した。そうでしょう?」
「ええ。だから気持ちが悪いのかも」
首を傾げるドラゴンは、恐怖を忘れれば愛らしいのかもしれない。
「気持ちが悪い?」
「染み付いてますからね、その文化が。何かを貰ったら、何かを渡したくなってしまう。考えてみれば変な話ですね。貰えるなら、貰っておけばいいのに。でも何かを渡さなければ、自分が間違いを犯している気分になって、気持ちが悪い」
「そういえば人間は、自分で自分を縛っていたわね。確かけんぽう? ほうりつ? かしら。それを破ると、いけないのよね? やっていけないことは、やらない。それで良いのに。人間って、本当に不思議」
なるほど、確かに自分で自分を縛っていると言える。そう考えると、人間ほどにマゾヒストな種族はいないだろう。
「愚かですから。縛らなければ、抑えなければ、簡単に誤る」
「愚かと理解しているならば、縛る必要はないと思うのだけれど」
それに関しては本当に理解できないだろう。
自分を最もよく理解出来るのが自分であるように、人間を最もよく理解出来るのはまた人間だ。根深い底にある混濁した感情の細部までを知ることは、ドラゴンにもエルフにもドワーフにもビーストいも、人間に最も近いホビットですら知ることは出来ない。
「何かに包まれるのは、心地の良いものです。例えそれが、自ら生み出した虚構だとしても」
その間は、自分が善人であると、錯覚出来るのだから。