九話
胃が痛い。蛇に睨まれた蛙だって、俺ほどの環境にはいるまい。
視線、視線、また視線。彼らは普段はいない人間という存在に、何となく視線を向けているだけなのだろうけれど、俺は飢えたライオンが沢山いる檻の中に投下された餌の心境。げへへへ、美味そうな人間じゃねぇか。とでも思っているのではないかと、俺の素晴らしき妄想力が働いている。
「同胞よ。客人が怯えている」
案内をしてくれたドラゴンが一言話すと、そこで俺の滝のような汗に気が付いたのか視線を反らしてもらえた。一気に圧力感が無くなり、まるで無重力空間にでも来たかのような浮遊感を錯覚した。今ならこの大樹の頂上まで、魔法の力に頼らずに跳んで行けそうである。高さに限りが見えないけれど。
「お前は、以前ここへ来たことがあったか?」
「あ、父が、前に来たと」
「名は?」
「香木原です。父が甲で、俺が灯路」
「香木原、甲。うむ、覚えているぞ。非常に活発な若者であった」
「活発?」
俺は父さんの過去を知らない。それは俺が子であるからには当然のことだが、過去の話としても聞いていない。まれに母さんが恋愛ドラマを見て、惚気て父さんとの馴れ初めを語り出すことはあったが、母さんもまた父さんが俺ほどの歳であった頃を知らない。
そして父さんは自分のことを語りたがらない。知る由もなかった。
ということは俺は父さんの過去を想像することしか出来ず、その想像の中の父は今と変わらず落ち着いていて、現実を冷静に見つめるような存在であった。また俺は引きこもりドワーフの元で、父さんが現役の頃に魔王と戦っている映像を見ている。その中で父は作り出した魔力球を巧みに操り、巧みに魔王を殲滅していた。そんな父の様子は激しく炎が燃えているようで、冷静でありながらも胸の中には情熱を秘めているのような存在であると、俺は予想していたのだ。
しかしどうやら、そんな想像はまるで的外れであったらしい。
「お前のようにこの場所へ来て、同じように惚けていた。しかしお前と違う所は、我が側にいながらも大きな歓声を上げたことであろうか。剛毅なのだと思ったが、どうやら恐怖よりも好奇心の方が勝ったらしい。震えながらも我を探るように見つめているのは、中々に愉快だったぞ」
「父さんが?」
正直、ドラゴンの言うことだからといって、信じれない。あの父が俺のように間抜けな顔を晒して、礼よりも先に何かを優先するなど想像も出来ない。
ドラゴンもまたそれを感じ取ったのか、俺に質問をぶつける。
「我とお前の間には、彼奴の認識に違いがあるようだな。────うむ。お前が彼奴の子であることを考えれば、彼奴も時の中で成長したということか。我には理解出来ないことの一つだな」
感慨深そうに、ドラゴンは瞳を閉じる。
「お前の中で、彼奴はどんな存在なのだ?」
質問に、俺は正直な印象と想像していた過去の父の姿を語った。
「そうか。我の知っている彼奴と、まるで違うな。本当に、奇妙なものだ。一度眠りに付いただけで、人間は子を産み、親へと変わっている。とても短い生だ。────しかしとても激しい生だ。一人の小さな生が、多くの影響を周りに与える。そう、我らドラゴンでさえも」
父は貴方の何かを変えたのですか?
そんな疑問が頭に浮かぶ。けれども口をついでた言葉は、別の言葉であった。
「教えて下さい。貴方の出会った、人間の話を」
「……そうだな。少し語るとしよう」
俺の勘違いなのかもしれない。鋭い牙が見え隠れ。視界に入ってくる口内の様子はまるで出口の無い洞窟のよう。それでも恐怖が沸き上がらない。だから俺は、ドラゴンの表情なんて分からないけれど、彼が笑っていると思ったのだ。
「む? 聞いているのか?」
「き、聞いてますッ!」
訂正。やっぱり怖い。