十二話
「後は、フォトも知っていることじゃろう」
語り終えたアグレルファーの表情は、フォトにとって見たこともないものであった。幼いフォトは知る由もないが、その表情は、過去の戦いにおいて常に見せていた顔。簡単に言えば、若かった頃の彼は尖っており、今の彼は丸くなった。過去を語る上で彼は、当時の心境を思い出したのだろう。
あの頃と現在は長命なエルフにとっても長い時間。しかし彼にとって当時の記憶は鮮明で、瞳を閉じれば昨日のように思い出す。それは濃密な時間が流れていたということもあるが、全てが変わる瞬間。その時の誓いが大きい。
「救世主達はワシらを再び救い、そして徐々に現れ始めた魔王もまた、退治してくれているのじゃよ」
「そっか……」
フォトはある種の虚無感に襲われていた。楽しかった映画が終わった瞬間に感じるものが、近いのかもしれない。彼の祖父から聞かされる話は語り口の上手さもあり、とてもドラマチックだった。戦いによる悲劇もまた教えられたものの、やはり平和に生きているフォトにとっては非現実的。アグレルファーもまたフォトがそう感じるように話していた。
過去は過去。その唯一の価値は教訓を得られるということ。賢い孫は、例えどんな話し方をしたとしても、そこから価値を見出すことが出来る。彼はそう考えている。だからこそ、孫の記憶に残るように記憶を語った。
「『人間』って、凄いんだね」
「ああ。人間ほど、圧倒される種族はいない」
あの時ドラゴンを見た。当然、その姿に圧倒された。しかし彼はドラゴンを見たとき、やはり。という感想もまた抱いたのだ。
ドラゴンは頂点に君臨する生物である。幼い頃から耳に胼胝が出来るほどに、何度も教えられたこと。エルフは多くの知識を継承している。当然のように、他の種族よりもその恐ろしさが伝えられてきた。
だからこそ。ドラゴンは想像通りであった。
頂点は頂点、というわけだ。
けれども人間は違う。とても不確かで、移ろいでいる。あれほどに不可思議でありながらも、単純な生物は存在しないだろう。目指す道が見えていないからこそ、見つけた後は潤滑。風よりも速く、目標へと突き進む。そんな彼らに驚かぬはずがない。
「結局末裔様は、どうして魔王と戦うのかな。僕はそれが分からない。だって、『更新』をしてもらう必要があるけど、それ以外でこの世界に来る義務なんてないはずなのに。末裔様には、末裔様の世界があるのに。そこで普通に生活しているんでしょ? なら別に、来る必要はないはずなのに。なんで? どうして?」
「そうだの。それはきっと、本当の意味でワシらが理解するのは、無理なのかもしれぬ」
「無理なの?」
「そうじゃ。ドワーフにも、ビーストにも、最も近いと言われる、ホビットにもな」
なら仕方のないことなのか。尊敬する祖父にそう言われて納得はするものの、諦めきれないフォトは首を捻る。
その様子を見たアグレルファーは、苦笑をしながら言葉を繋いだ。
「ただの。真実ではないかもしれないが、見解はあるぞ?」
「なに? 教えて!」
誕生日のプレゼントを貰った時よりも、彼がずっと喜んでいるのは、やはりエルフだからだろうか。
「進んでいるのじゃよ。自分の目指す先へとな」
「───────────────────────────分かんない」
「ワシもよく分からんさ。友がそう言っていた。それだけが根拠じゃよ」
消えてしまった人間の友。その姿を、その在り方を、そしてその言葉を。今でも。鮮明に思い出す。
「不思議だの~。まったくもって、人間とは不思議な種族じゃ。しかし、もっと深く知りたいとは思わん」
「え!?」
知りたいとは思わない。それはエルフにとって、絶対に有り得ないと言われることの一つ。
「心地良いのじゃ。彼らの生きる姿はな。規則性という枠に当て嵌めるのは、どうにも無粋な気がしてのう」
「おじいちゃん、お熱でも出たの?」
「ははは。安心せい。ワシは元気じゃよフォトや。しかし老衰は、したかもしれんのぉ………」
何故か彼は頭皮に手を添えると、小粒の涙を流す。
その意味が分からないフォトは首を傾げた。可愛らしいその仕草に、祖父が研究の成功への決意を再認識していることには、フォトが気付くはずもなかった。
「まぁ、なんじゃ。己で見て聞いて得た情報に勝る知識はない、それは分かるな?」
「………うん。分かるよ」
「つまりは、後は自分で調べて見るといい。ここのエリアの末裔様は、なんやかんやで御人好しだからの。側にいても、邪険にすることはないじゃろう。まだまだ幼いが、芯は強い。─────────ほれ、噂をすればじゃ」
窓の向こう側、遠い所に見える『人間』の姿。
話しの中に出てきた王子のような輝きもなく、王のような邪悪さもない。聖女のような涼しさもなければ、騎士のような熱さもない。
それでも何か、引き込まれる魅力がある。きっとそれは、彼が『人間』であることに帰するのだろう。
「おじいちゃん。あの人の名前、なんだっけ?」
「灯路。皆の道の、灯火であれ。確かそんな理由で、付けられた名前だったはずじゃ。少しばかり、格好を付けすぎじゃのう。あやつには、過ぎた名前じゃて」
「そうかな。太陽よりも月よりも星よりも、ずっとずっと小さいけど。あの人は確かに光だよ。夜道ではきっと、何よりも頼りになる」
フォトは、知っていた。