十話
「君の故郷はどんな場所だったんだい?」
「変わらないわよ。人間はいつも争っている。ただ、魔法と無くて、他の知性を持つ種族がいないだけ。後は人間が、もっともっと分かれていて、色々な国があることかしら」
「え? 同じ人間なのに、別々の国に住んでいるのかい?」
「そう。不思議?」
「不思議だ」
「なら、そうなのかも」
夜風はとても心地良かった。見上げる空には、月と星々が輝く。
愛する人、聖女と共にいる時間は、これ以上ない幸福な時間であった。その幸福を、王子はこの戦いの中で始めて見つけた。失い続ける戦いの中で、確かに王子が得ることの出来たものの一つである。そして王子の人生において、間違いなく宝となっている瞬間である。
「始まりは、遠い場所から。別々に生まれて、それぞれの人生を生きる」
月の光が、夜の中で眩しいほどに輝いている。
「やがて彼らは旅に出た。そして二人は会合する。目の前には、美しい宝。当然のように、争いが始まった」
宝は誰のものでもなく、ただそこにあっただけ。
ならば争いが起きるはずもない。しかし、人間はその宝を奪い合う。
証明が欲しいから。自分が進んだ、確かな証明が。
「宝を諦めろとはいわない。けれども二人で分け合うことは、出来なかったのかしら」
「分けられない物だったんじゃないかな」
「それでも分けるべきだと思う」
「それは理想だ。現実的じゃない」
「理想を目指して、何が悪いの?」
私は王子だ。民を導くためには、理想を語っても現実を見なければならない。
そんな言葉が頭の中に浮かび上がる。しかし王子は、言葉にすることは出来なかった。既に王子は知っていたからだ。
導くということが、ただ安寧を与えることではないことを。
「君の、言う通りだ。君の言っていることは、全て正しい」
「私をあやしているのかしら?」
「違うよ。導かれたのさ」
夜空を見ることは叶わない。空を覆い隠すほどの巨体が、王子達の上空に存在するから。
「感謝します。偉大なるドラゴン。貴方のお陰で、愚かな父を止められた」
王子は跪き、頭を垂れて、その巨体の持ち主である、ドラゴンへと感謝の言葉を述べる。
決して怒らせることはあってはならない。もしもそうなれば、王国は簡単に焦土へと変わる。
「私はただ足を誤ってぶつけてしまった、それだけである」
「ならばその幸運に、心から感謝いたしましょう」
「うむ」
気付けば混乱と恐怖の声が、王子の耳へと届いていた。味方の軍勢には伝えてある。これらは全て、『人間』のもの。
「少し、騒がしい」
「申し訳ございません。貴方方の尊大なお姿を見れば、誰しも恐れを抱いてしまうもの。どうか、ご勘弁を」
「ああ、そうであった。何せ、『庭』から出るのは久しい。確かに、それが私達に対する当然の反応であった」
過去を回想するドラゴンは、瞳を閉じて、僅かに身体を震わせる。
たかがそれだけの動作で、城は激しく損壊していった。
「ドラゴンよ。一つ質問を投げかけるのを、許して頂きたい」
「許す」
「世界が未だに光に満ち溢れていることは、私の身体も光り始めていることは、つまりは遅かったということでしょうか」
「そうなるな」
淡々とした問答に、酷く容易に現実を受け入れることが出来たのは、消える運命が決定した王子。
息を呑み、涙を流したのは、聖女であった。
「どうしてですか。既に元凶は、貴方によって滅びた。それでも何故遅すぎるというのですか。ドラゴン。偉大なドラゴン! 応えて下さい! 教えて下さい! 世界を救う方法を、彼を救う方法を!」
聖女は今まで感情を表に出すことをしなかった。傀儡の魔法の影響ではなく、期待を受けられ、実質『救世主』を纏め上げる役となってい責任感からである。聖女は自分が、直に感情的にある厭らしい女であることを知っていた。しかしそれではいけない。愛する人は、どうやって前に立っていた? 彼の側に行くためには、感情は不要である。そう判断した。
けれども、もう無理だ。
愛する人が、いなくなると知って。涙を流さない女はいない。
それが別れることを決めている男のことであっても、愛の事実は変わらない。
「愛しているのです。生きてほしいのです。お願いします。彼を、救って下さい」
額が床に触れる。
ドラゴンは偉大な生物である。この世に生み出されるものは、全てドラゴンの下に存在する。そんな言葉も生まれるほどだ。
彼らに出来ぬことは、不可能に近い。聖女の願いは決してドラゴンのみに伝えられたものではなく、運命に対する懇願であった。
「────世界は救えない。それでも、命を救う方法は、一つだけある」
「本当ですか!?」
「条件は一つ。この世界の人間よ。このまま全て消え去れ」
救いが与えられたと思った。その分、やって来た絶望は大きかった。
ドラゴンは決して優しくはない。全てを容易に行えるから、願いを叶えるだけ。
深呼吸をする。そんな簡単な行動を、頭を下げて懇願される。その程度のことをそこまで願うならば、してやらないこともない。ドラゴンにとってやる意味のある行為ならば、尚更。
願いが自身にとって、同種にとって煩わしくなるものならば、一笑に付す。
そして降り掛かる火の粉は、生まれる可能から完全に滅ぼさねば気が済まない。今もまた、同じこと。この世界の人間が、自らを滅ぼす可能性のある魔法を発動した。当然それを防ぐ方法はある。しかし非常に面倒くさい。世界の頂点に君臨する存在として、やるべきことが沢山出来た。二度とこのような現象を起こしたくはない。
だから、この世界の人間は、全てそのまま消えてもらう。
「覚悟は、出来ています」
「聞いていたの?」
「ああ」
王子は再び、容易にそれを受け入れる。それはただ、運命をこの決戦が起こる前から、受け入れていたからに他ならない。勿論、避けることは出来た。戦いの中で生まれた小さな悩み、苦悩。それが一つ一つ積み重なって、取り返しのつかない時間が経ってしまっていたのだ。
とても悲しいこと。しかし、受け入れるべきこと。
この世界の人間は、全て愚かだった。導かれることに慣れ、自らの足で前に進むことを忘れてしまった。
それが招いたのが、この結果だ。
「導かれたのは、僕だった。始まりは、君」
頬に手を添える。二人の唇が触れ合った。
「贖罪の道を進もう。最後だけは、自分で歩くよ」