八話
天気は快晴。その日は美しい渡り鳥が、上空を飛んでいた。地上で行われている戦いなど、まるで気付いていないかのように、彼らは優雅に空を飛び、新しい土地へと向かっていった。
死者から離れた魂が、自由に旅立てるというのなら。戦場で散った者達の中には、彼らに導かれた者もいるだろう。
そんなことを、王子は考えた。
長い戦いであった。何れの戦場でも、多くの命が旅立った。彼らもまた、楽園へと向かってくれたなら。
「さぁ、急ごう」
「ええ。急ぎましょう」
嘗て自分が育った場所。王子はそこへ帰って来た。王を、父を止めるために。
既に禁術は発動している。世界は崩壊へと向かっている。
まだ間に合う。急がねば、ならない。
握られた聖女の手。その感覚を確かめる。逃げ出した時と違うのは、彼女がいること。いや、それだけではない。城内には、目を欺くために、数々の仲間や『救世主』達が戦っている。彼らもまた、共にある。
王族のみが知る隠し部屋。その扉を開け放つ。薄暗い部屋が、魔法によって照らされていた。その全容は、王子の記憶とはまるで別物。床、壁、天井。その全てが埋め尽くされるほどに、魔方陣が刻まれている。部屋を照らす光は、そこから生まれていた。
異常な量のマナが一箇所に集まることによって起こる、発光現象。それほどのマナに中てられたのか、王子は吐き気を覚えた。
「ここ。私達が、召還された場所です……」
聖女の呟きによって、王子は吐き気を堪え、理解する。これは、禁術を扱うための魔法陣ではない。異界から戦士を呼び出す、別の愚かな魔法を復活させた魔法陣なのだと。
「君が、この魔法を?」
「ああ。そうだよ」
部屋の中央に立つ、青年。
「素直に、再会出来たことを喜びたかった」
「俺は嬉しいよ。だから涙が零れるんだ」
涙をボロボロと流す青年は、嘗ての面影は見る影もなかった。髪は心労からか白くなり、頬は痩せこけて肌は毒を染みこんだかのように荒れていて、青ざめている。それでも王子が彼を認識できたのは、瞳が変わっていなかったからか。しかし、青年の瞳は灰が溶け込んだかのように濁っている。流れる涙もまた、決して綺麗とは言えない。そうではなかった。
例えどれだけ相手が変わっていようとも、誰だか分かる。
それは単に、友であるから。それだけであった。
「私は涙を流さないと決めた。父を止めるその時まで」
王子は聖女の手を離し、腰の剣を引き抜く。
ドワーフの中でも天才と呼ばれる剣匠によって生み出された、新たな王子の剣。羽のように軽く、ドラゴンの牙のように、鋭い。
「教えてくれ、父は何処だ? 教えてくれ、彼女達を元の世界へ返す方法を」
「──────出来ない。王には、禁術を成功させて貰わなければならない」
「分かっているのか!? あの術は───」
「知っている。あの術は世界の形を喰らう。そうだろう?」
「なら、どうして」
青年は、王子の言葉に答えることはなかった。いや、自らの剣を抜くことが、答えであった。
「どうしても知りたければ、俺を殺せ」
この王国で、唯一王の狂気に飲み込まれなかった親友の騎士。
彼は王子の言葉を信じ、共に王を止めようと尽力し、反逆罪によって処刑された。処刑されたと、思っていた。諦めていた。
「─────────────────────ッ!」
言葉にならない怒号が、室内に響く。
死んだと思っていた親友が、生きていた。自分はその親友の心臓に、剣を突き立てていた。
王子は夢を見ているのではないかと、本気で疑った。
「その場所に行きたければ、友の血を捧げよ。さすれば扉は現れん」
けれども瞳に映る友の笑顔は、確かに本物であった。
友の血によって現れる扉。白銀のように輝くその扉は、憎たらしいほどに美しい。
「俺には二つの人生がある。一つは君の親友であった人生。一つは別の世界で生きた人生」
青年は震える手で一つの手記を王子に手渡す。
「想像も出来ないほどの確率で、近い二つの世界が、一瞬だけ重なり合う。その時魂が、別の世界に行ってしまうことがある」
王子は同じく、震える手でそれを受け取る。
「その中でも稀に、魂は前世の記憶を、保持したまま、同じ『人間』に転生する。その魂は、帰りたいと願い、叶わず。手記を、残す。そして、何の因果か、その末裔に、同じ境遇のものが、現れた」
ゆっくりと、身体は死へと近づいた。それは青年にとって、懐かしい感覚であった。
「すべ、て。そ、こに―――――――」
扉が、開いた。
故郷へと帰るための考察。
記憶を持っているということは、私の魂と故郷が、僅かに『繋がっている』からではないか。
私のこの想像は、やはり正しかった。それは『繋がり』というよりも、その軌跡というべきものであったが、それさえあれば私には十二分であった。
『繋がり』を作り出すことに成功した。
同郷の者を呼び寄せることもまた成功。
実験のために、特製の傀儡の魔法を掛け、操る。名も知らぬ同郷の者よ、すまない。しかし必ず、共に帰ると約束しよう。
呼び出された同郷の者は、一つの例外もなく強かった。恐らく、私達がこの世界からマナという祝福を得ているように、彼らは故郷からの祝福を得ているのだ。気付いていなかっただけで、私も前世では、同じくそうだったのだろう。ただしそれは、ただ生きるためだけの祝福なのだ。
この世界のように、マナという形によって直接的に与えられる祝福ではなく。間接的な祝福。言うなれば、運命だとか幸福だとか、そういったものから与えられていたものなのだろう。
それがこの世界に連れて来られたことによって、『繋がり』からその祝福を得ながら、マナという祝福も得ることになった。
お互いはそれぞれ干渉し合い、昇華され、また別種の祝福へと変わる。それが彼らの力の源だ。非常に興味深い。
─────しかしそれを深く調べることは出来ない。何故なら私の目的は故郷へと帰ることだからだ。
彼らの一人を、元の世界へと帰すことに成功した。向こうにマナはない。自動的に魔法は解けるだろう。
研究は順調だ。
恐ろしい仮定が生まれた。この仮定が真実でないことを祈る。
嫌だ。帰りたい。
故郷と、この世界。その力関係は常に不変。
前者が上。後者が下。
『繋がり』は、優秀な検問官であった。
私の肉体はこの世界の物。この世界の形。そんな私が通るのを許すはずもない。
この魂は、元は故郷のものであるというのに。
上は常に上なのだ。下に行くことも出来る。そして再び上に戻ることも可能。
しかし下は、決して上に行けない。
下は常に下なのだ。
……愛する人が出来た。こんな私を愛してくれる女性だ。
私は全ての実験を終了した。同郷の者達は元の世界へと帰し、『繋がり』を閉じた。資金を提供して頂いた、王にのみ話をするつもりだ。ただ、全容はこの手記にのみ記す。
子が生まれる。もしかしたら、この子自身が、それともこの子の友が、私と同じ境遇の者になるかもしれない。
その時のために、私はこの子にこの手記を受け継がせようと思う。私の愚かさを伝えていくのは恥であるが、それほどのことをしたのだ。罪であることを受け入れて、それを贖罪としよう。
これを読んだ、私と同じ境遇の者よ。貴方が賢く、どんな形であっても故郷へと帰りたい者ならば、一つの方法が頭に浮かんだことだろう。
しかしそれは不可能である。例え貴方の肉体が滅んだとしても、魂は既にこの世界の一部となっているだろう。
肉体と魂は繋がっている。それはとても強い力だ。それこそ、唯一世界の上下関係を覆すほどに。つまりは、死というのは魂にとっても強烈な現象であり、上を下へ変える決定打と成り得るのである。
これで貴方がいかに無意味な望みを抱いているかが分かっただろうか。
死を避けずに、魂だけの存在になる方法などないのだから。
あくまで私の仮定であるが、恐らく私達が前世の記憶を保持しているのは、世界からの祝福によるものが大きいのではないだろうか。思えば生前、私は幸運であった。だからこそ、私は元の世界へ帰る方法を探った。貴方もまた、同じなのではないだろうか。
一つだけ、貴方に言葉を送ろう。
私は今も幸福だ。貴方もまた、そうなれる。勿論、この世界で。
俺は幸福だ。
それでも俺は、彼女と約束したんだ。生まれ変わっても、一緒にいようと。
この世界に、彼女はいない。
なら、戻るだけだ。
禁術によって、全ての形がなくなる。
残るのは、全てを飲み込んだことによって、自らが『形』となった王。
『繋がり』と、そこから呼び寄せられた、別世界の人間。
この世界の生き物、その魂。
俺もまた、魂だけの存在になれる。
ただそれだけでは元の世界へと魂を移すことは出来ない。魂を導く必要がある。
王は禁術を成功した際はそれを行ってくれると言うが、信用は出来ない。ならば自身で行う。故郷から人間を呼び寄せる魔法陣を、この手記に書かれている内容を参考に改良して、その役割を代用できるようにした。
そのために俺はあえて死に近づくことにする。自らの魂に、勘違いをさせて、肉体を僅かに離れさせるのだ。
ギリギリで生存しているのだから、魂が下になることもない。
勿論確証はない。これは賭けだ。
王が友によって止められれば、俺は魔法の効果が切れて死ぬ。
そして魂が死んでしまったと勘違いすれば、全ては水の泡。
他に良い方法があるかもしれない。しかし俺は罪を重ねた。それならば、失敗した際の代償もまた、受け入れるべきだろう。
友よ、これを読んだならば、躊躇うな。君は進むといい。
俺は君の進んだ未来を受け入れる。
いずれにしても、もうお別れだ。君は最高の友だった。君と知り合えたことを、誇りに思う。