七話
怒号、矢、魔法、そして血が舞う戦場で、王子は異界の美女と剣を交わしていた。
瞳は虚ろであり、何も考えてはいない。しかしその腕は王子と同等。女性は守るものであると育てられた王子にとって、非常に相手にし辛い敵であり、躊躇が生まれる。よって形勢は不利であった。
他の戦士もまた同じく、凄まじい強さであった。どうやら美女より強いものはいないようだが、自らが傷つくことに躊躇いのない攻撃は、間違いなく脅威の一言。数々の兵士が戦死していった。
「怯むな! 此方の優位に変わりはない!」
戦場に流れ始めていた、錯覚。
突如現れた者達の強さに、自分達は押され始めているのではという疑問。
だがそれはまったくをもって根拠のない思想。
異界の戦士達は強い。しかし軍隊の中でも強者の分類に入る仲間ならば、勝てない相手ではなく、数も少ない。こちらの勝利は間違いがなかった。兵士達の士気さえ維持できれば。
王子は戦いながらも、声を張り上げ仲間を鼓舞する。生き延びるために目の前の敵を排除し続ける王子の軍隊。彼らの根幹には、やはり戦いに勝利することではなく、生き延びるということだ。戦争というものをしてこなかった彼らにとって、それは仕方のないことだろう。特に個人での生存能力が必須であるビーストにとって、それは重要なことなのだ。
だからこその、『人間』である王子。次代の『王』として育てられた彼の声には、力がある。
それは戦場を駆け抜けて、仲間を前へと進ませた。
「はぁ!」
味方を鼓舞することで、王子もまた覚悟を決める。それが導く者の責任であると。
何度も繰り返した剣術。世代が変わるごとに、受け継がれ、進化していった技術。王子は絶対的な信頼を寄せていた。祖先の経験、そして努力を。それを受け取った自分が、負けるわけがないじゃないか。
美女の虚ろな瞳に、驚きの感情が見えた。彼女にとっては、いつのまにか自らの剣が宙を舞っていたのだから無理もない。王子は素早く魔力を引き出すと、魔法によって彼女を眠らせた。驚きによって生じた心の隙を、王子は巧みに突いたのだ。
倒れこむ美女を、ソッと包み込むように支える。その姿を見た敵兵に、動揺が生じる。彼女の強さはかなりのものであったから、敵陣にとっては切り札のような存在であったのかと、王子は判断した。
同時に怒りを覚える。美女の身体は柔らかかった。まともな筋肉もない。異界の戦士は、どんな者であっても強くなる。そんな伝承があったから、それが原因であるのだろうと推測する。彼女はまともに剣を持ったことはなかったはずだ。手の皮膚が硬くなく、振り方は滅茶苦茶。それを補っても余りある身体能力によって、王子は苦戦していたのだ。
奇妙な笛の音のようなものが、戦場に響く。
それを切欠に、敵陣は退却を開始した。他の異界の戦士もまた、素早く逃げていく。どうやら他の戦士は一人も命を落としていないようだ。現在は敵であるが、元は術によって連れて来られた異界の住人。彼らによって味方の命が奪われたが、彼ら自身に罪はない。王子はそれが偽善であることを自覚しながら、その事実に安堵した。
「すまない」
誰にも聞かれぬよう、王子は一言謝罪の言葉を呟いた。
王子によって捕らえられた一人の異界の美女。エルフの尽力によって、掛けられていた傀儡の魔法は解かれた。
ただその影響からか、女は心を無くしてしまったかのように、どんな感情も表に出さなかった。戦いの際に見せた驚愕の感情が、唯一王子が垣間見ることの出来た彼女の人間らしさであった。
彼女が心を取り戻すのは、不可能であると断定された。それでも王子は彼女を甲斐甲斐しく世話をして、語りかけ、彼女の素顔を見ようと努力した。いつの間にか、彼女に惹かれていたことを王子は自覚していた。それからは、当然のように王子が彼女と共にいる時間は増える。そして次第に、彼女の表情は柔らかくなっていった。
それは王子の持つ、導く力の影響なのか。それとも偏に愛する力なのか。また、その他の要因からなのか。
いずれにしても、異界の美女が元の顔を取り戻し、仲間の中で『聖女』と呼ばれるようになるのは必然だったのだろう。
本来の意思を取り戻した聖女は強かった。自らの力を制御し、昇華した彼女は操られた状態とは比にならなかった。
その力を持って戦場を駆け抜け、彼女は同郷の戦士を捕らえる。彼らはエルフによって魔法を解かれて、聖女と王子によって感情を取り戻していった。彼らによって形勢が不利へと変えられた戦場。それは皮肉なことに、彼らによって再び王子の軍勢の有為に傾いた。『救世主』と呼ばれ始めた彼らは、決して自らの名を語ることはなく、聖女と同じくその戦い方から名付けられた『あだ名』によって呼ばれることとなった。
それは自らが異界の存在であることの線引き。必ず自分の世界へ変えるという、決意の現れであった。
聖女もまた、その例に沿っている。寧ろ彼女が、始まりであった。
ただ唯一、王子は彼女の名を知っていた。
いずれ別れることを決めながら、二人は愛し合っていたのだ。