十九話
エルフは出生率が恐ろしく低い。よって必然的に、子育てには非常に敏感だ。
育てる場所には魔王が現れない。つまりは人の住まないエリアを選ぶし、そこには親戚中が集まって子供からは片時も目を離さない。
子供がある程度成長し、危機管理能力を備え、十分に魔法が扱えるようになるまでは、安心もしなければ妥協も一切しないのである。
エルフの少年、フォトもまた、そうやって育った。
エルフという種族は総じて知識欲が非常に大きく、彼もまた例外ではない。何でも分からないことを知りたがる少年であった。
書物による知識では満足せず、ありとあらゆるものを、その目で見て、その手で感じたいと願っていた。
しかし周りの大人がそれを許さない。脱走を試みようとも、成功することはなかった。彼のフラストレーションは溜まる一方だったのだ。
そんな中。彼の心情を理解したのか、外出を許可するように促した者がいた。
彼の祖父である、アグレルファー・ゴルディアーノ。その鶴の一声により、現在彼は念願の外出を行っているのである。彼の中での祖父の評価はうなぎ上り。もしかしたら、それは祖父の目的だったのかもしれない。
「うわぁぁぁああああ! 凄い凄い凄い!」
「こら、フォト! あまり離れないようにね!」
「は〜い!」
フォトは、目の前に映る全ての光景に感動していた。
祖父の住んでいるエリアで行われている、イベント。彼は知識でそれを理解し、想像していたのだが、彼の小さな世界は簡単に打ち砕かれた。それが嬉しかった。
空から降り注ぐカボチャのランタン。光を発していて、夜に見ればそれはそれは綺麗なのだろうけど、今は昼。残念ながら霞んでしまっているが、それでもその光景は圧巻。
幻術によって、様々な姿へと変わっている住人達。物語に出てくるような化け物に変身している者もいれば、何故か特徴のない人間へと変わっている者いた。フォトには分からなかったが、漫画やアニメのコスプレをしている者もいる。総じて衣装は華やかで、住民達の表情は明るかった。
そして大きな楽器を持ち、演奏をしているギルド組員。
彼らの奏でる音色は、聞いているフォトをより楽しい気分にさせてくれた。同じように影響された住人が、踊ったりもしている。フォトは踊りが出来ないことを悔やんだ。見ていられない踊りをする住人もいたけれど、フォトは彼らのように失敗を堂々と出来る勇気がなかったのだ。
「やぁ、坊や。ハッピーハロウィン!」
「ハッピー、ハロウィン!」
少年に話しかけてきたのは、同じぐらいの身長を持つホビットの男性。ただし巨大なオーガの肩に乗っているため、フォトは彼を見上げる形となった。
「はっびー、ばろ、うぃん」
「ハッピーハロウィン!」
ホビットの男性、ミタ・ビースを肩に乗せる、賢いオーガの乙女。マリーもまたフォトに話しかける。
普通の子供ならば彼女に恐怖を覚えることもあったかもしれないが、好奇心旺盛なフォトは、恐怖心よりも好奇心の方が勝ったようで、始めて見るオーガを興味深く見つめた。
そんな彼の視線を恥ずかしく思ったのか、マリーは頬を赤く染める。
ただしそんな彼女の様子に気付いたのは長い付き合いのミタのみ。何故ならオーガの皮膚は、元々赤いからである。
ミタは柔和な笑みを見せると、肩から飛び降りる。その動作の途中で、彼は空から降ってくるカボチャのランタンの一つを手にしていた。
「トリック・オア・トリート!」
ミタがランタンに向けてそう唱えると、ランタンはヒヒヒ! と笑い声を上げて、ポンッ! という軽快な音を鳴らして姿を変える。いつの間にかミタの手の上には、小さなパンプキンパイが乗っていた。
「わぁ! 凄い!」
「これが、この『イベント』の醍醐味だよ。坊やも試してごらん? ただし、食べれる分だけ。それに夕飯を食べれないほどに食べちゃいけないよ?」
「分かった!」
さっそく空から降ってくるカボチャのランタンを手に取り、呪文を唱える。
するとフォトの手の中には、クッキーが乗っていた。すかさずそれを口にする。今まで食べたことがないほどに、美味しかった。それに飲み込むと、心が暖かくなった。よく分からなかったが、そう表現するしかないような暖かい感覚がフォトを包み込んだのだ。
「どいうだい?」
「美味しい!」
「そうかい。それは良かった」
ミタは体に似合わないほどの跳躍力でマリーの肩に乗ると、手を振ってまたねという一言と共に、フォトの元から去っていった。
少しの間だったがフォトは彼のことが気に入っており、名残惜しくもなったが、フォトはカボチャのランタンから新しいお菓子を取り出すことに集中した。
結局彼はお菓子を食べ過ぎて、母に叱られてしまった。
「まったくこの子は!」
「──────ごめんなさい」
ションボリとするフォト。
さすがにこれで大人しくなると思った彼の母だったが、フォトはある光景を目にすると、再び元気を取り戻した。まるで叱られた事実など無かったかのように。
「お母さん! アレ! あの人!」
そんな彼の様子に、母は大きな溜め息を吐く。
しょうがないと諦めて息子の指し示す方向を見ると、このエリアを守る末裔の姿が目に入った。
「ああ、あれは灯路様だねぇ。末裔様さ。知っているだろう?」
その人は中心にいた。
姿は何の特徴もない人。想像していた神々しさのようなものはまるでなく。自分にデレデレとして気持ちの悪い顔を近づけてくる祖父の方が威厳があるかもしれない。それほどに、皆の楽しそうな雰囲気の中に溶け込んでいた。
住人達にからかわれているのか、時折声を荒げている。ただし本気で怒っているわけではないため、怖くなどなく、住人達も笑っていた。そして自分と同じように幼い者達に話しかけられると、空に向かって色とりどりの煙で作った動く絵を披露している。この世界に存在しない、末裔の住む真世界に生息する動物達だ。フォトもまた、それに見蕩れて歓声を上げた。
ふと、少年の中に疑問が生まれた。
末裔とは何だろう?
自分達を、魔王と呼ばれる存在から守ってくれていることは知っている。
ただしフォトはまだ、何故守ってくれるのか。そもそも何の末裔なのか。
その全てを知らなかった。
「ハッピーハロウィン!」
気付けばいつの間にか、その末裔様が目の前にいた。
彼はニッコリ笑うと、周りに振っていたカボチャのランタンが、釣られたようにヒヒヒと笑った気がした。