十四話
ちょっと恥ずかしいが、残念なことに人間の女友達が俺にはいない。神那さんは一般的な女性とは何処か外れている所がある気もするが、相談相手になってくれるのは嬉しい。
気付けば俺は、彼女のことを沢山話していた。同時に俺の情けない姿も語ってしまったが、この人に語るのは恥ずかしくはない。
うーん。でもやっぱり、早まった気がする。
どうからかってやろうか。とでも言わんばかりの表情だ。楽しそうなのは良いんだけど。
「しかし意外だな。君は積極的なタイプだと思っていたのだが」
話し終えた後、零れるように神那さんが言葉を放つ。ニヤリと歪む口元に、何故か色気を感じてしまう俺がいた。
「俺が? 有り得ませんよ。ヘタレですから。緊張するのなんのって感じで」
そんな俺の心境を隠すかのように、俺は言葉を返す。なんとかそれは成功したようで、神那さんは俺の言葉に頷き、そして何かを考えるかのように首を傾げた。
数秒後。長いまつ毛をフワリと動かし、彼女は口を開いた。
「そうか。私は異性を好きになったことがないから、そういう感覚は分からないな」
それはある種の、俺にとっての爆弾であった。
「え!? 無いんですか!?」
「恥ずかしながらな。友人として好意を持つことはあるが、恋仲になりたいというほどの想いを抱いたことがない」
意外だ。てっきり婚約者の一人でもいるものと思っていた。でもよく考えると意外でもない。
この人の隣に、男がいる姿を想像出来ない。というよりも、この人の隣に相応しい男は存在するのか?
「まさか、女性を好きになったことはあるとか?」
「それはないな」
神那さんは苦笑した。でも知ってます? 貴女を好きになった女性は沢山いるんですよ神那さん。
「理想が高いのだろうか」
「どんな理想ですか?」
「うーむ。好きになったことがないのだから、明確には言えないのだが。女というものは、どうやら父親に似た人を好きになるというではないか。私も父を尊敬している。だからやはり、父に似た男性に好意を抱くのかもしれないな。まだ出会ったことはないが」
神那さんの父親。先代の『武道家』である御人。
特徴、強い。ムッキムキ。生きる伝説とか言われている。
……似ている男など、草食系男子が蔓延るこの時代に現れるのだろうか?
「ん? というか、私の恋愛相談になっているではないか」
「ばれましたか」
上手く誘導できたと思っていたのだが。
「酷い男だ。君のことを話してくれたまえ。君のことを」
しかし俺としては神那さんの将来が心配である。間違いなく、余計なお世話だろうけど。
「じゃあ、俺はこれから何をすれば良いですかね?」
「そ、それはアレだ。ぷ、プレゼントでも、すれば良いんじゃないか?」
アドバイスを求めてみるものの、自分でも上手く答える判断材料がないことに気が付いたのか、神那さんは珍しく慌てふためく。いつもの綺麗という印象から変わって、その姿は可愛らしい。
「神那さんは、たまに挨拶をする程度の親しくない人に、突然プレゼントされて好きになっちゃうんですか?」
だとしたら、ちょろすぎる。
「う、うーん。ほ、他の悩みがあるだろう。それを相談してくれ」
あ、露骨に話題を反らした。顔が赤い。レア顔。なんか得をした気分。
あえてこのままこの話題を続けるのも面白い気がしたが、同時に俺も火傷をしそうなので、神那さんの提案に乗るとしよう。
「でも、他の悩みと言われても思い付かないですね」
「ん? それは無いだろう。君はとても悩んでいる。傍から見れば直に分かるぞ」
「そうですか?」
それはきっと神那さんだから、分かるのだと思う。
自分で自分のことはよく分かっている。俺は自然なはずだ。
「君の悩みも、大体は想像できる。話してみるといい」
「嫌です。俺は貴女に軽蔑なんてされたくない」
悩んではいけないのだ。それは許されない。
ましてや誰かに相談する? ありえない。この人は何を言っているのだろうか。
提案に乗ったのは、失敗だな。
「軽蔑もしたくない。聞かなかったことにします」
「それは何故だ?」
「何故だって? 本気で言っているんですか?」
俺達は、『末裔』じゃないか。
「だからですよ。貴女だって理解しているはずだ」
「ああ。理解している。だが私は疑問を持つ」
「頭でも、おかしくなったんですか?」
「悩むことは、悪いことなのだろうか」
「悪いことではないでしょうね。でも俺達にとっては、それが罪に変わることもある。少なくとも、俺の中に芽生え始めたこれは、罪だ」
今の発言だって、罪に問われる。この人は俺を裁きたいのだろうか。
信頼を崩すのは一瞬であると言われているが、間違いない。俺はこの短い時間の中で、この人に不信感を覚えた。酷く不愉快だ。
その綺麗に整った顔が、煩わしくて仕方が無い。
「君は子供だ。勿論、私も」
「ええ。俺はただのクソ餓鬼ですね。でも、分かります。貴女は口を閉じた方がいい」
「餓鬼が悩んで何が悪い? 子供なんだから、悩む時間くらい、欲してもいいんじゃないかな?」
「随分遅い反抗期ですね」
「ふふ。反抗期か。父にはそれが来なくて、つまらないと言われたことがある。だからだろうか、君の言葉が少し嬉しいよ」
神那さんは笑う。綺麗な笑みであった。本心なのか、本当に嬉しそうだ。
俺は炭酸飲料の残りを、一気に飲み干した。溜まっていた陰湿な感情が、少しは流れていった気がする。深呼吸をして、頭を冷した。
目の前の女性を見ると、煩わしさは無くなっている。不信感は残ってはいるものの、多少は冷静になったらしい。いい加減に、この短気な性格をどうにかしたいものだ。そんな俺の状態を読み取ったのか。心の奥に潜り込むような、的確なタイミングで、神那さんは話を再会する。
「悩みとは。私は正しい答えを得るための、チャンスだと思っている。この世に本当の意味での正しい答えは無いのかも知れないが、少なくとも、君の悩みは、『末裔』としての正しい解答を導き出すための、チャンスだ。それをみすみす見逃すのは、罪ではないか?」
「………本当に、上手いですね」
「素直に、ありがとうと言っておこう」
止め金が外れてしまった。溢れ出たものは、もう俺の中で暴れ回っている。
吐き出すことを、我慢することは、出来そうになかった。
「俺は、俺だ。俺は末裔だ。そのことは、未来永劫変わらない。変わらせない。変えようがない」
「ああ。その通りだ。君は正しい。君は君だ。私は私だ。私達は、末裔だ」
「だから、今から俺は俺じゃない。誰でもない。何も言わない。聞えるのは、ただの空気の振動だ」
「そうだな。私も、私ではない。誰でもない。独り言など、呟かないさ。勝手に、空気が震えるのだ」
そして、無音になった。