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京都にての歴史物語

見えずの刀

作者: 不動 啓人

 月空に群雲漂う京の夜、一人ほろ酔い加減に歩く弥助を、十数人にも及ぶ影が取り囲んだ。手には月光を返す冷たき輝きが。

 暗闇に上下し、林立するその様は、まるで燃え立つような情熱を貫徹できず、志半ばで倒れていった勇士達の痛々しい程に鋭き魂のようなもので。

 文久3年(1863)8月8日。

 仏生寺弥助虎正ぶっしょうじやすけとらまさは数ヶ月前から京都に入っていた。長州藩に仕官が決まり、それへと向かう所であったが、何を思ったのか京に留まり、この日を迎えたのである。

 弥助は神道無念流しんどうむねんりゅうの達人であった。江戸錬兵館えどれんぺいかんの師範代を勤め、強さ閻魔鬼神の如く、当時江戸においては『日本一』といわれた男である。斎藤弥九郎さいとうやくろうをして「鉄の草履で日本国中探しても二人とはいないだろう」と言わしめた。

 そんな弥助をこの動乱の中、放っておく手はない。錬兵館の同門である桂小五郎かつらこごろう高杉晋作たかすぎしんさくから、長州に来るよう強く誘いを受けていたのである。 それに錬兵館は何かと長州との繋がりが強かった。弥助はその誘いに応じた形なのだが……

 京に入った弥助を、思わぬ再会が待ち受けていた。それは以前からの知り合いであり同門の芹沢鴨せりざわかも。そして流派は異なるが、やはり顔見知りであった近藤勇こんどういさみ試衛館しえいかんの面々であった。彼らは新撰組しんせんぐみと名乗り、京都警護にあたっていた。

 すると弥助は長州藩への仕官が決まっていたにも係わらず、新撰組と親しく交わるようになったのである。

 そして八月八日の夜。

「若先生ですか?」

 重なる影のその先に、弥助は静かな声をかけた。命の危険に晒されているというのに、それは波立たぬ水鏡のような声。

 影が蠢く、そしてその奥から一人の男が現れた。月明かりに照らし出されたその顔は、紛れもなく二代目斎藤弥九郎その人であった。

「弥助、なぜ俺だと分かった?」

 やや興奮しているのか、言葉に妙な弾力があった。

 しかし一方の弥助は、その弾力ある言葉を跳ね返すではなく、静かに受け止めるような言葉を返した。

「なんとなく……ですかね」

 ゆっくりと雲が月を隠し、漆黒の闇が辺りを包む。

「なぜ、長州に来ない? そればかりか、最近は新撰組などと親しくしているそうだな。お前に尊王の志はないのか?」

 尊王、攘夷、はたまた倒幕。弥助にとってはどうでもいい事であった。学問、思想の類は肌に合わなかった。

 弥助は正直なところ無学の徒である。周りからは散々学問をやるよう勧められたが、どうしても駄目だった。肌に合わないとしか言いようがなかった。

 しかし、最早剣の腕だけで通用する時代ではなく、学問がなければ仕官も出世も覚束なかった。

 弥助も学問がないばかりに剣術師範の仕官もできず、塾頭の座も桂に譲っていたのである。

――まるで俺は、見えない刀を振るっているようだ。

 だが、こんな時代にあっても刀に生きる男達がいたのである。それが新撰組であり、弥助が彼らに親しみを感じたのはまさにそこにあったのだ。

 だから幕府方だろうが長州だろうが関係ない。そこに共感するものがあったたけだ。

「ふっ、お前に思想を尋ねても分かる筈がないな。たが、お前のその腕は、敵に回られると脅威になる。今の内に消えて貰うぞ」

 元々弥助と弥九郎の関係は上手くいってなかった。いつかこんな日がくるだろうと弥助は予感していたのである。

 刀を構える刺客の面々。しかし、みな弥助の強さを知っているだけに容易に斬りかかる者はいなかった。これに業を煮やし、弥九郎自らが刀を抜いて前に出た。

「さぁ、抜け」

 しかし、弥助は一向に刀を抜こうとしない。脱力し、自然の構えを取ったままだ。

 だがやがて――

「若先生に刀は向けられませんよ」

 と言って手に何も持たずに構えだけを上段に取った。弥助必殺の大上段の構えだ。

 弥九郎に刀は向けられない。これは弥助の率直な気持ちだった。そもそも弥助は貧農の出であり、弥九郎の父、初代斎藤弥九郎に拾って貰ったようなものだからだ。その恩は絶対に忘れる事が出来ない。その恩を仇で返すような事は、弥助にとっては許されない行為であった。ならば、

――ここで大人しく若先生に斬られよう。

 対峙する二人。弥九郎は弥助の真意を測りかね躊躇していたが、やがて雲を抜けて月が顔を覗かせた時、

「せいッ!!」

 弥助目掛けて鋭い突きを放った。

 それに対して弥助は、

「やぁッ!!」

 弥九郎の剣先よりも早く刀を弥九郎の頭上に振り下ろした。が、そこに刀はなく。

 鮮血が弥助の胸と背から吹き出た。一直線に伸びてきた弥九郎の刀が弥助の胸を貫いたのである。

 瞬時に弥助は口からも血を吐いた。そしてよろめき、弥九郎にしがみ付く。

 弥助は体中を痙攣させていた。弥九郎は興奮に震えていた。

 そっと弥助が弥九郎の耳に口を近付け残した言葉。

「やっぱり、俺には刀だけでした」

 崩れ落ちた弥助の体は、それ以上動かなかった。

 こうして剣にしか生きられなかった幕末一の剣客は、幕末動乱の中、不器用な生涯を終えたのである。享年33歳という。

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