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私のアンドロイド

作者: ヒビキ

 廊下の東側に延々と続く大きな窓から朝陽が降り注いでいる。白い壁が光を反射して眩しいくらいだ。

 年代もののこの豪奢な屋敷は、手入れが行き届いているためにその古さを風格に変え、美しい威容を放っている。それはこうして内から見る分にも、外から見るにもだ。

 窓を右手に、真っ直ぐに進んだ突き当りが屋敷の主人の寝室であり、そこが目的地でもある。

 ゴシック様式の扉を3回ノックする。

 返事はないが、そういう時は入っても良いものだと以前主人から教わっていた。

「お早う、ねぼすけさん」

 広げた新聞は小さな手に余る。

 12歳ほどの少女の姿には不似合いなほど、やや皮肉気に、からかい気味に目を細めた表情をしている目の前のこの方こそが、屋敷の、そして自分の主だ。

 寝間着姿で、長い金髪を結いもせずに流したまま優雅に背の高い椅子に腰掛けている。

「着替えるよ。

 用意してはくれないか」

「はい、マスター」

 椅子から主の足がぶらぶらと揺れる。

 落ちるなどという失敗など起こしそうにない方だったが、その所在なさそうに揺れる足がひどく、記憶に焼きついた。



 主は幼げな風貌に反してこの国で一番の財力と権限を持った人物だった。

「キリ、庭へ出るよ。

 今日はそちらで昼を過ごす。お前は植物の世話と、接客だ」

「はい、マスター」

 19世紀の英国風の衣装を着て、長い髪を編みこんで結い上げコサージュを付けた主が言う。この屋敷で働いているのは自分ひとりで、世話をするのも主ひとりだ。

 広い屋敷に応じて庭もまた広く、掃除も手入れもことのほか時間のかかる仕事だが、主は自分の仕事ぶりに不満もないのか、いつも「終わったのか」「食事は」としか返さない。

 今日は、外の方が風も吹くというのに温かいほどだった。

 自分の胸のあたりにも届かない主の背に従い歩く。

 緑に揺れる葉と、さまざまな色彩を添える花が植えられた庭は自分が働き始めるよりも以前からあるもので、手入れをしろと言われたからにはその形を崩さないことだけを念頭にただ作業してきた。

 だから毎年、この庭の風景はほとんど変わることが無い。はずだった。

 主が気まぐれを起こさない限りは。

 植え込みが両側に続く石畳の小道を真っ直ぐに行けば球形の屋根を乗せた東屋が現れる。

 客に庭園を見せるにも良い場所でもあり、庭と屋敷ともほど近く、休息をとるにも良い所であった。

「ああ、アーマンディーが綺麗に咲いたね」

 東屋の東北東にあるアーチに絡みついた白い花を眺めて主は言う。

 去年、白い花が見たいなとそう言ったので用意したものだ。

「春の花も美しいね。

 アルストロメリアは何時頃咲くかな?」

「あと2、3ヶ月先になるかと」

「そうか。楽しみだな」

 そして、主はひらひらと手のひらを振った。

 仕事に励め、という合図でもあり、適当な花を選んで来いとも言っていた。

 主からそう遠く離れない位置で、草木の世話をする。

 ぱらり、と本を捲る音が聞こえる。

 日陰で主は本を読む。

 この国で最も尊いとされる方は、仕事に携わらなくなって久しいと聞く。

 頁を捲る音と、次第に中天へと向かう太陽の位置だけが時間の経過を報せる。



「やあ、アナスタシア」

 茶色の巻き毛の客人が主を呼んだ。

 主も自分の後ろに立つ客人に向かって微笑みかけ、名を呼ぶ。

「元気そうじゃないか、アレクセイ」

「それはこっちの台詞だよ。

 ここ数年、あちこちを患ったと言っては篭って、姿をほとんど見せていなかったのはどこの誰だい?」

 さあ、誰だったかね。と主が笑う。

「それでとうとう人手が足りずに、またアンドロイドを雇ったのかい?」

「まあね。それなりの、アンドロイドだよ。なあ、キリ」

「はい、マスター」

 まじまじと、客人は自分を覗き込む。

 大きく見開いた目で観察し、軽く、肩を叩いた。

「なんだが随分と古そうな型式だね。

 命令だけを忠実にこなすだけの、応用が利かなさそうにも見えるけれど……」

「それは悪口なのかな?」

「ああ、すまない。

 君の趣味にとやかく言うつもりはないから、ね」

「そうしてくれたまえ」

 別段、気を悪くした風でもなく、言葉は投げたボールよりも正確に跳ね返り、相手の手のひらに戻る。

 主と客人は長い交友関係があるのだという。

「君と出会って150年以上は経つのか」

「出会ったばかりのお前は初々しかったよ、アレクセイ」

 少女の姿をした主と、青年の姿をした客人が強い日差しを避けるために天蓋の下で談笑する。自分は二人のために紅茶を入れる。セカンドフラッシュ。主にとって大切な客をもてなすときにのみ使用する茶葉だ。

「そりゃあ、当時でさえ400年も生きた君と比べれば。アナスタシア、僕は赤子同然だとも。

 評議長として立つ君と、議会へ初めて足を踏み入れた僕とでは経験の差がありすぎる」

「それはどうも」

 得意げに笑う主に対し、客人は身を乗り出し弁明するかの様相で語った。

「この際だから言わせてもらおう。

 君は議会の中でも最も、歴代の議長としても最高峰の功績を残した。

 それだけではない。君が興した会社が経済にもたらした恩恵もすさまじい。

 僕は、君の持つ能力を心の底から尊敬している。勿論、君自身もだ」

 主は勢いよく語る客人を穏やかに見る。

 気持ちの良い風が吹いて、客は乗り出していた体を静かに、また元の位置へと戻した。

「……だから、君が、居なくなる前に言っておきたかった……」

 深く、腰を下ろし、両肘を突いて頭を支えて声を落とす。

 主は彼に訥々とした言葉で聞かせた。

「私は、はじめ、なにもかもに必死だった。

 二つに分かれた世界。それを束ねてよりどころにするためには国が必要だろうと思った。

 国として体裁を整えるために、国に住む者達を守るために、もう一つの国と渡り合うために、私は何をしなくてはいけないのか。

 何をしたいのか。

 必死で考えた。

 ずっと考え続けた。この時代遅れの身体でも、考えることだけは出来たからね。

 だけどもう解っている。医師の診断も間違いがないよ。

 私はもうじき死を迎える。

 でも君たちがいる。

 君たちが考え続けてくれる。

 それならば、思い残すことは無い」

 日の光は温かい。

 風も緩やかに吹く。

 草木も花も咲き誇り、芳香を宙に撒く。

 今日の、夕食をどうするか指示を仰がなければ。

 客人は伏せていた顔を上げる。その顔はくしゃりと歪んでいた。

 主は客人に微笑むと、ゆっくりと頭をこちらへと向けた。

「使用人は、もう残りすくない私の生のために必要ないと思った。

 今はだから……あそこにいる、キリだけでいい」

「あまり気を利かせてくれそうに無い型遅れのアンドロイドだけと、最後を迎えるなんて」

「他人の趣味には、」

 とやかく言う無粋な輩ではないのだろう?と、主は、楽しげに笑って見せた。




 外では雨が降っている。

 折角咲いた花も、濡れて傷むことが予想できた。

 雨の後の庭や家の手入れは、と方法だけが頭を巡って、後ろからか弱く引かれた力に途切れて消えた。

「キリ、部屋まで連れて行っておくれ」

 居間の写真をじっくりと眺めていた主がそう言った。

 もう長い距離を自力で歩くことも出来なくなった主を抱える。

 軽い。そう、思った。

 それは仕方がないことだ。見た目は出会ったときと変わらずとも、中身はもうぼろぼろなのだから。

 仕方が無いのだ。

 運ぶことも。主が運ばれなくては移動も出来ないことも。

 その重みに、落とすまいと腕を抱えなおした。

 主は目を閉じて身体を預ける。

 主か、自分自身か。軋むような気が、した。



 主の部屋は以前と変わらない。ただ、ベッドサイドのテーブルに、花が一輪飾られていた。

 数日前、客人が来たときに摘んで帰った花だ。

「雨で散らずに済んだね」

 細い指先で、壊さないように主はベッドの上から乙女椿の花に触れた。

 壊れ物が壊れ物を触るような危うさを、覚える。

 スプリングの利いたベッドは、ひざ立ちで自分を見上げるのを助けるでもなく、邪魔するでもなく主の動きを吸収した。

「キリ、こっちへ」

 促されるままに、ベッドの上へ乗る。

 さらに近くへ、と招かれるまま近づくとか細い腕が首に回った。

「何か、歌って」

「マスター、何かとは、なんですか」

「何でもいい。お前の歌が聞きたい」

 私の歌、とはどういうことだろう。

 歌はいくつも記憶の中に入ってはいたが、なぜ、歌を必要としているのか解らなかった。

「お前の声で、お前が私に聞かせたい歌を歌っておくれ」

 縋るような力のなさで、柔らかく主は諭すように笑う。

 何をしたらいいだろう。

 何を。

「……そう、そうか……」

 選んだのは自分の故郷の、幼子へ聞かせる歌だった。

 怒る言葉も褒める言葉も投げかけもせず、主はもたれかかり頷くだけで、静かに目を閉じた。

「これが……お前の思ったこと、なんだね」

 主は止めない。自分も歌を止めない。

「優しい、優しい子だ。

 ……お前は、温かいね……」

 広いベッドの上に広がった長いスカートが大輪の花を彷彿とさせた。

 主の身体は、冷たい。

 何故か苦しくなるような、温度だった。




 主の楽しみにしていたアルストロメリアの花が咲いた。

 けれど主はもう、起き上がることなどできない状態で、庭の花などとてもじゃないが見れるはずも無かった。

「キリ、そこにいるのか」

「はい」

「近くへおいで」

 か細い声が自分を呼ぶ。

 身体の形だけは、以前と、恐らくアナスタシアとして存在し始めた日から変わらないだろう。

 だがその中身は。

「あと十数分だ。私は死ぬ」

「はい」

「私は死ぬのが恐ろしい」

「はい」

「お前は私が死ぬことについてどう思う。

 嬉しいか」

「いいえ」

「殺しに来たのに、こんな情け無い形で倒れるからか。

 それとも、死が理解できないか」

「主が、いなくなるのは、恐ろしいです。

 花が、咲きました。庭園は今、見事に咲き誇っています。

 どうしてそれを見てはくれないのですか」

 だんだんと欠けていく主を見ていて、募るものがあった。

 どうして。なぜ。疑問で押さえつけていても、不安が、恐怖が。

「ああ……そうか。

 キリ、お前は今、泣いているんだね」

 かなしみが、とめどなく押し寄せた。

 主の眼球はいつもと変わることなく自分を見据えているのに、視覚はもうない。

 かなしくて、たまらなかったのに、主は嬉しそうに笑った。

「見られないのが無念だが、感情も思考もしなかったお前がそんな風に泣いてくれるだなんて。

 手元に置いた甲斐があったよ、私を、アンドロイドの女王を殺しに来た人間よ」

 生命維持のために内部機関は取り外されて中身は徐々に欠けて、軽くなっていった。

 歩行機能のためのバランス制御装置どころかそこへ回す動力装置も無い。

 視覚機能も、眼球はあっても受信体が無くなれば意味が無い。

 もう、抱き上げて運ぶことも無いが、以前よりずっと、ずっと、軽くなった主の身体。

「お前が人間だと暴かれることさえなければこの国にいるといいと思ったのだが……そうか、泣いたのか。

 我々には無い能力だから、お前はここには居られない。

人間だと解ったなら殺されてしまう。帰りなさい。人間の国へ」

「…………嫌です」

 はっきりと、そう思った。

「主には、もう、会えなくても。

 主のいたこの屋敷をずっと守りたい。

 この屋敷が誰かの物になってしまうというのならその方の元で働きつづけて、ここで貴方の面影を探したい」

「この期に及んで命令に逆らうとはな」

 もう表情も、声も変わりはしないのに主が嬉しそうだ、と思った。

「それがお前の思った、望みか。

 なら出来る限り、そうするがいい。

 アンドロイドの国で、人だと解らない様に、必死に考えて、思い続けなさい」

「はい、マスター・アナスタシア」

 主は返事を聞いただろうか。

 生存を示していたランプが消えていた。



「……アナスタシアは死んでしまったのだねえ」

 主の客人で友人の、アレクセイ様は主が生前愛した庭を眺めてぽつりと呟いた。

 お寂しいのだろう。

 主の屋敷を引き取り、移り住んで1ヶ月は経つが未だにこの方も屋敷の中に主の影を探している。

「そうですね」

 庭の手入れをしながら、返事をする。

 アレクセイ様は、屋敷ごと自分を引き取って下さった。

「そういえば、君。

 初めて会ったときと少し能力が違うように思うんだけど。

 もっと古い単純な、もしかするとアナスタシアよりも古い型式のアンドロイドみたいに見えたんだけ

どなあ」

 両手を広げ、問いかけられる。

「主が最期に、能力を私に分けて下さったのです」

 考えること、思うこと。

 今日も温かい。

 私は笑って、そう答えた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 最後まで読むと全貌が見える、というのがいいですね。 最初は???だった部分(アナスタシアとアレクセイの会話等)が、二度読むことで理解できて楽しかったです。 [気になる点] 悪かった点という…
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