第四章 寄附行為のこと
秋、カイと二人で会う機会があった。
三人での食事ではなく、カイから「少し話したいことがある」と連絡が来た。
いつもの食堂で、コーヒーを飲みながら、カイが言った。
「レン、寄附行為の制度を知ってるか」
「知ってる。障害を持つ人間への、他者からの評価の仕組みだ」
「今年、俺が条件を満たした」
レンは少し止まった。
「条件を満たした、というのは」
「スコアが中間値を超えた。障害を持つ人間への補助行為の回数が、今年度の基準を超えた。それで——寄附行為が可能になった」
「誰かに寄附したのか」
「した」カイは少し間を置いた。「ツバサ・ミウラ、という人間がいる。ミコさんの研究機関にいる」
「ツバサを知ってるのか」
「俺の分析仕事で、数回接点があった。制度の内部構造の分析で、障害者の評価データを扱うことがあって——その過程で。直接話したことはそれほど多くない。でも——仕事の速さと、数字の読み方は、知ってる」
「俺も先日会った」
「そうか」カイは少し驚いた顔をした。「じゃあ、同じ人間のことを話してる」
「寄附したことを、ツバサは知らない」
「知らない。見えない形で届く。それが制度の仕組みだ」
レンはそれを聞いた。
「カイが寄附したことを、俺に話したのはなぜか」
「——話したかったから」カイは言った。「理由を言葉にするのは難しいが、俺が父親のことを話したとき、お前が聞いてくれたことがあった。あのときみたいに、今日は俺が話したかった」
---
「寄附行為をしたとき、どう感じたか」とレンは聞いた。
「感じたことを、まだ整理できてない」カイは言った。「返ってくるものがない行為をするのは、初めてだった。評価が上がるわけじゃない。感謝されるわけじゃない。でも——後悔はしてない」
「返ってこないことが、どうだった」
「不思議な感じだった。俺は監査員として、長い間、数字で評価を管理してきた。何かをしたら、何かが返ってくるという仕組みの中にいた。今も、フリーランスでそれは変わらない。でも——返ってこない行為をして、最初はその後に何を待てばいいかわからなかった」
「何かを待っていたのか」
「待ってた。無意識に。何かが変わるはずだという感覚があった」
「変わったか」
「変わった。でも、外側じゃなくて、内側が」カイはコーヒーカップを少し回した。「自分の行為の記録が、俺の中に残った。誰かに見えない形で。でも、俺は知ってる。それが——何か、重さが変わった感じがした」
「重さが変わった」
「軽くなったのか、重くなったのかが、まだわからない。でも——変わった」
---
帰り道、ソラに話した。
「カイが、ツバサに寄附したと言ってた」
「聞いていました」
「返ってこない行為をして、内側が変わったと言ってた」
「そうですか」
「ソラは、寄附行為の制度をどう見てる」
「面白い制度だと思います」
「面白い?」
「都市国家の制度は、ほとんどの場合、見えることを前提に設計されています。評価は数字になって残る。行為は記録される。しかし寄附行為は——する側には見えて、受け取る側には見えない。非対称です」
「非対称が、何かを作る」
「する側の人間が、見返りなしに行為することを選ぶ。それは——制度が人間に何かを促している、ということです。行為を促すことで、人間の内側が変わる。カイさんが言ったことは、そのことだと思います」
「制度が人間を変えようとしている」
「そうかもしれません。ただし——変えようとしていることは、非公開です。制度の設計意図は、表に出ていない」
「乖離マップで、それを可視化するべきか」
ソラは少しの間、黙った。
「難しい問いです。可視化することで、制度の意図が知られる。知られることで、行為の質が変わる可能性があります」
「見えることで、変わる」
「はい。見えていないから、純粋に行為できる部分がある。見えるようにすることが、常に良いこととは限らない」
「乖離マップが、初めて、見えないままでいい何かに向き合ってる」
「そうかもしれません。これは——どうしますか」
レンはしばらく考えた。
「v16には入れない。でも、ソラに記録しておいてもらう。いつか、言葉にするために」
「わかりました。記録します」




