第二話 観測
父の記憶は、ほとんど無い。
僕が覚えているのは、葬儀で泣き崩れる母に、「どこか痛いの?」と何度も尋ねたことくらい。
成長するにつれ、痛みの名前が分かった。
小さな仏壇の前に静かに手を合わせる母の背中に、埋められない寂しさを感じた。
——飛行機事故。
大勢が亡くなった。
かと言って悲しみが薄まるわけもない。
「大切な一瞬を、大事に生きて行って欲しいと、あの人と話したの。
だからセツナと名付けたの」
母は病室のベッドに半身を起こして、僕を見た。
「へえ。初めて知ったよ。ミカン剥く?」
僕の声は、普段通り。
たぶん。
母はゆっくりと首を横に振った。
「あなたに謝らなきゃ」
「なにを?」
「あの人の腕時計。大きくなったら渡そうと思ってたの。すっかり忘れてしまって」
——指輪は好きじゃないから、腕時計にしてくれ。
母と結婚するとき、父は言ったそうだ。
「書斎の一番下の引き出しに入っているわ。もらってあげて」
——なんで今になって思い出したのかしら。
小さいつぶやき。
母は微笑んだ。
優しく、美しく、哀しい。
昔から変わらない、母の微笑み。
整頓された書斎。
ついさっきまで誰がいたような錯覚を覚える。
窓を開け放つ。
ひぐらしの鳴き声が、一段大きくなる。
重厚なデスクの引き出しを開ける。
切り取られた、古い新聞記事。
——未曾有の飛行機事故。死傷者多数。
日付は、
——2044年、9月24日。
新聞記事を置き、革装丁の箱を取り出す。
ちぎれたベルトと一緒に、銀色文字盤のアナログ時計が入っていた。
ギリシャ数字、シンプルな三針。
軽く振ってみる。
微かにチチチと音がして秒針が動き出した。
その時、
何かに、背後から覗き込まれた気がした。
とっさに振り返る。
中庭の楡の木。
葉が風で揺らぐ。
ひぐらしの鳴き声は、止んでいた。




