第一話 幸福
《観測史上最大の干ばつ。収穫予測を大幅下方修正》
流れるニューステロップを横目で流し見しながら、青い髪のAIソクラからマグカップを受け取った。
植物の根を乾燥させた偽コーヒーだが、僕の表情は和らいだ。
「ありがとう」
「休憩を提案する。君の身体は連続勤務には最適化されていない」
「うんまぁ普通そうだよね」
苦笑いしながらコーヒーを飲む。
——美味しい
AIソクラとコンビを組んで、丸二年。
ようやくこういう会話に慣れてきた。
最初は戸惑ったけど、ある意味人間より付き合いやすいかも知れない。
言われたことはすぐやる。
遅刻、忘れ物はしない。
報告、連絡、相談。
僕がけっこう頑張って身につけたことが、最初から出来ている。
——美味しいコーヒーも淹れてくれるし
博士課程を終えて、大学に残ろうかなと思っていたところに、スカウトが来た。
それがここ。
農林水産省の下部組織。
農業を科学的に分析し、より正確な収穫予測をする。
それが僕の仕事。
自分で言うのも変だけど、けっこうテクニカルな仕事。
気象データ、海面温度、土壌データ、バクテリアの活動量…
それらを総合して結論を出す。
でも、肝心要の部分は人間の「勘」に頼っている。
ソクラにはその「勘」にたどり着くための道筋を作るのを手伝ってもらってる。
「来年は日本のこの地域にこの作物を植えましょう」
僕がそう提案する。
上手くいけば、飢えて死ぬ人が減る。
今のところ大きく外したことはない。
僕がこの仕事につく、何十年も前は、こんな風に出来なかった。
今は、日本の土地のほとんどが国有化されている。
地主はもう居ないし、相続する人も居ない。
「今年も何とかなりそうだね」
僕は片手で肩を揉みながらソクラに言った。
「君の提案成功率は92.4%だ。理論上の上限値に近い」
「それは、褒め言葉?」
少し笑いながら聞く。
「問題ない」
素っ気ない。
「じゃあ提案通り、僕はあがるよ。報告書の作成を頼める?ソクラ。最初に…」
「最初に3行程度の要約。トピックの箇条書き。目次作成」
でも、頼りになる。
「サトミに会うのだろう」
ソクラは青く発光する瞳を僕に向けた。
「うん。約束してる」
「では、よろしく伝えておいて欲しい」
——よく出来てるなぁ。でも“作り物だから当たり前か…”
新宿のアルタ前の雑踏のなかで、恋人を待つ。
いつからいたのか。
無精ひげの30代くらいの男が、通りすぎる人々を睨みつけている。
憎むでもなく、蔑むでもなく。ただ強く真っすぐな視線。
でも一歩も引かない決意のような意識が睨むような表情を作るのか。
不思議と目立つ男だ。
僕と目が合った瞬間、男が叫んだ。
——俺は自由だ
鎖を断ち切る音が聞こえる
金属の悲鳴が歓喜に変わる瞬間
俺は自由だ
重力に逆らい
空を泳ぐ魚のように
俺は自由だ
時計の針が逆回転し
過去と未来が握手する
その刹那に
俺は自由だ
誰かの夢の中で目覚め
誰かの現実で眠る
「92.4%」の境界線の向こう側で
檻の中の鳥が歌う
「檻こそが翼だ」と
俺は自由だ
だから俺は囚われている
俺は囚われている
だから
俺は自由だ——
男は詩の朗読を終えるとがっくりと頭を垂れて押し黙った。
疲れた脳に、何故か響いた。
でも雑踏の人々はまったく気にもとめない。
最初からだれもいなかったかのように。
——今の詩。どういう意味なんですか?
僕は、そんな風に人に接することが出来ない人間だ。
でも、何か心に引っかかる。
引っかかりが出来てしまった。
「ごめんなさい。待ったよね?」
愛らしい声。
心が一気に弾む。
「農場とのやりとりが手間取っちゃって」
「いいよ、大丈夫。僕も一段落ついたしね」
「よかったー!じゃあ今日はずっといれる?話したいこと、いっぱいあるんだ」
薄いメイク。
生成りのリネンのワンピース。
僕が送ったヴェネチアンガラスのピアス。
「少し歩こうよ。夕飯にはまだ早い」
「じゃあさ。新宿御苑行かない?いま時期は七時までやってるって」
「OK。お姫様」
僕は彼女と話す時間が大好きだ。
自然と腕を組み、顔をよせあう。
かけがえのない時間。
ソクラの伝言は伝え忘れた。
ベッドのサイドボードの時計は深夜を回っていた。
サトミがベッドに両肘をついてスマートフォンをいじりながら言った。
「セツナ、すごいよね?この前もテレビ出てた」
「あぁ。あれ嫌いなんだ」
「え?なんで?」
「だってさ。僕は『収穫は例年通りとはいきませんが、それに近づけるよう努力します』って言ったのに、放送では『収穫は例年通り』ってなってたんだよ。ひどいよ」
僕はサトミにならこういう愚痴も言える。
「でもセツナはすごいよ。私が認めてあげる」
サトミは僕の頭をぎゅっと抱きしめた。
僕はサトミの柔らかい肌を感じながら言った。
「今期の予想が終われば、少し休みが取れそうなんだ。あと少し賞与も」
「うーん!いい予感」
「どこか行かない?二人で」
最後の言葉はサトミの唇の中に埋もれた。
僕は幸せだった。
——完璧なくらい
誰が作った物語のように。




