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没落令嬢は専属料理人として美食家公爵に見初められました

作者: 倉田六未

 煮えたぎる大鍋から立ち上る湯気が、額に汗を浮かばせる。

 

 王宮の厨房は朝から慌ただしい。今日は年に一度の料理コンテストの日だからだ。


「フィーナ! そこの野菜、さっさと運べ!」


「はい!」


 私――フィーナ・ローレンスは、籠いっぱいの野菜を抱えて厨房を走る。


 粗末な麻の服に、汚れても構わないエプロン。手は荒れて、爪の間には取りきれない汚れが残っている。

 

 三年前までは、こんな姿では絶対になかった。


 あの頃の私は子爵令嬢で、美しいドレスを着て、舞踏会に出席していた。

 

 でも父の事業が失敗して、家は没落。母は心労で病に倒れ、翌年には亡くなった。

 

 一人になった私は、生きるために宮廷厨房で働くことを選んだのだ。


「ねえフィーナ、あんた本当にコンテストに出るつもりなの?」

 

 先輩料理人のマリアが、呆れたように言う。


「はい。出場登録もしましたから」


「身の程知らずね。あんたみたいな下働きが、まともな料理なんて作れるわけないでしょう」

 

 マリアは鼻で笑う。彼女は料理人見習いとして五年のキャリアがあり、今回のコンテストでも優勝候補の一人だ。


「それに、材料はどうするの? コンテストは自分で用意しなきゃいけないのよ?」


「母から教わった料理を作ります。材料も、なんとか揃えました」

 

 嘘ではない。母は宮廷料理を私に教えてくれた。

 

 でも今回作ろうとしているのは、母から教わったものじゃない。

 

 前世――そう、私には前世の記憶がある。日本という国で、普通のOLとして暮らしていた記憶が。

 

 あの世界の料理。この世界にはない、でも確実に美味しい料理。

 

 それを作ってみせる。







◇◇◇


 コンテスト会場となった大広間は、料理人たちの熱気で溢れている。

 参加者は二十名。それぞれが自慢の料理を披露する。

 

 審査員席には、五人の貴族が座っている。その中央にいるのが――グレン・アルトリア公爵。黒い髪に深い青の瞳を持つ、整った顔立ちの男性だ。まだ二十代後半だというのに、その佇まいには威厳がある。

 

 そして彼は、王国随一の美食家として知られている。


「では、コンテストを開始します! 制限時間は二時間。審査は見た目、香り、味、独創性の四項目で採点されます」


 司会の声が響き、料理人たちが一斉に動き出す。


 私も調理台に向かう。

 

 用意した材料は、鶏肉、玉ねぎ、米、卵、ケチャップ、バター。

 

 シンプルだけど、これで十分。


「オムライスを作ります」

 

 小さく呟いて、手を動かす。

 

 まず玉ねぎをみじん切りにして、鶏肉を小さく切る。フライパンでバターを溶かし、玉ねぎを炒める。甘い香りが立ち上る。鶏肉を加え、火が通ったら炊いた米を投入。ケチャップで味付けをして、チキンライスの完成。

 

 周りの料理人たちは、豪華な食材を使って複雑な料理を作っている。ローストした魚に金箔を散らしたり、何層にも重ねたパイを焼いたり。


 それに比べて、私の料理はなんとシンプルなことか。

 

 でも、味で勝負する。見た目の豪華さじゃない。


 皿にチキンライスを盛り付ける。形を整えて、ラグビーボールのような楕円形に。

 

 そして次が肝心。

 

 ボウルに卵を三つ割り入れ、よく混ぜる。フライパンにバターを溶かし、卵液を一気に流し込む。素早くかき混ぜながら、半熟の状態に仕上げる。

 

 そっとチキンライスの上に滑らせて――


「完成」

 

 ふわふわの卵がチキンライスを包む。ナイフで切れ目を入れれば、トロリと卵が流れて広がる。

 

 オムライス。

 

 前世で何度も作った、思い出の料理。


「時間です! 手を止めてください!」

 

 司会の声で、全員が動きを止める。

 

 審査員たちが席を立ち、一人ずつの料理を見て回る。

 

 グレン公爵が私の前に立った。


「これは……」


 彼の青い瞳が、オムライスを見つめる。


「オムライスと申します。卵で包んだチキンライスです」


「初めて見る料理だな」

 

 公爵は興味深そうにフォークを手に取る。卵を切ると、トロリとした黄身が溢れ出す。チキンライスと絡めて、一口。

 


 その瞬間、公爵の目が見開かれた。


「……なんだ、この味は」

 

 二口、三口と、黙々と食べ進める。やがて皿が空になると、公爵は私を見た。


「君の名は?」


「フィーナと申します」


「フィーナか。覚えておこう」


 全ての審査が終わり、結果発表の時間。

 

 司会が審査用紙を手に取る。


「優勝は――エントリー番号十五番、フィーナさんの『オムライス』です!」

 

 会場がざわめく。

 

 下働きの私が優勝? 信じられないという視線が突き刺さる。

 

 マリアは顔を真っ赤にして、悔しそうに唇を噛んでいる。


「審査員全員が満点をつけました。完璧な料理でした。フィーナさん、おめでとうございます」

 

 賞金の袋と月桂樹の冠を受け取る。手が震えた。

 

 私、やったんだ――


「フィーナ」

 

 グレン公爵が近づいてくる。


「はい」


「私の専属料理人になってくれないか」


「え……?」


「君の料理を、もっと食べたい。私の屋敷で働いてほしい」


 専属料理人。それは宮廷料理人の中でも、最高の栄誉。


「喜んで!」


 私は即答していた。

 

 新しい人生の扉が、今、開かれた。







◇◇◇


 アルトリア公爵邸の厨房は、宮廷のそれとは比べものにならないほど立派だった。広々とした空間に、最新の調理器具が揃っている。食材庫には新鮮な野菜や肉、魚が豊富に保管されている。


「好きなだけ使っていい。君の作りたいものを作ってくれ」

 

 公爵はそう言って、私に厨房の全てを任せてくれた。


 最初の数日は、公爵の好みを探るために色々な料理を作った。宮廷料理も作ったし、前世の知識を活かした料理も作った。

 

 そして分かったのは、公爵が本当に美味しいものを求めているということ。見た目の豪華さじゃない。素材の味を活かした、心のこもった料理。

 

 それが彼の求めるものだった。


「今日の料理は?」

 

 夕食の時間、公爵がダイニングに現れる。普段は執務で忙しい彼だが、食事の時間だけは必ず席につく。


「ハンバーグです」


 皿を置くと、公爵が目を細めた。


「いい香りだ」

 

 ナイフを入れると、肉汁がジュワッと溢れ出す。デミグラスソースが絡んで、艶やかに輝く。

 

 公爵が一口食べて――


「……美味い」

 

 そして、彼が微笑んだ。

 

 小さな、本当に小さな笑顔。

 

 でもそれは、私がこの屋敷に来てから初めて見る、心からの笑顔だった。


「公爵様、笑われましたね」

 

 食事が終わり、皿を下げる時に言うと、公爵はハッとした表情になった。


「……笑ったか、私は」


「はい。とても素敵でした」


「そうか」

 

 公爵は窓の外を見つめる。


「母が生きていた頃は、よく笑っていたらしいんだ」


「お母様を?」


「ああ。十年前に亡くなった。それから、心から笑えなくなった気がする」


 その横顔は、どこか寂しそうで。


「でも、君の料理を食べると、不思議と心が温かくなる。母の作ってくれた料理を思い出すんだ」


「……私で良ければ、毎日作ります」


「ありがとう、フィーナ」


 それから、公爵との距離が少しずつ縮まっていった。

 

 毎日の食事の時間が、二人にとって特別な時間になっていく。


 カレーライスを作った時は、「このスパイスの使い方は初めてだ」と驚いていた。グラタンを作った時は、「熱々で美味いな」と嬉しそうに頬張っていた。

 

 そして私は――

 

 公爵の笑顔を見るたびに、胸が温かくなることに気づいていた。

 

 これは、恋なのかもしれない。







◇◇◇


 ある日、公爵から晩餐会の話を聞かされた。


「来週、屋敷で小規模な晩餐会を開く。取引先の貴族たちを招待するんだ」


「承知しました。どのような料理がよろしいでしょうか」


「君に任せる。君の作りたいものを作ってくれ」

 

 公爵は信頼してくれている。その期待に応えたい。


 晩餐会当日。

 

 招待客は十名ほど。侯爵家や伯爵家の人々だ。

 私はコース料理を用意した。前菜からデザートまで、全て前世の知識と母の技術を融合させた料理。


「これは素晴らしい!」


「こんな料理は初めてだ」


 客人たちは料理を絶賛してくれた。

 

 順調に晩餐会は進んでいく――そう思っていた。


「……この味」

 

 一人の老婦人が呟いた。彼女はランベール侯爵夫人。かつて母の友人だった人だ。


「このソースの作り方、フィーナ夫人の得意としていたものに似ている」

 

 私の心臓が跳ねる。


「まさか……」

 

 侯爵夫人が私を見つめる。


「あなた、フィーナ・ローレンス嬢では?」

 

 ざわめきが広がる。


 フィーナ・ローレンス。没落した子爵家の令嬢──それが私の正体。


「やはり。あの美しい緑の瞳、忘れるはずがない」


「そんな、没落令嬢が公爵の専属料理人に?」


「平民に身を落としていたのか」


 好奇と憐みの混じった視線。

 

 私は拳を握りしめる。隠していたわけじゃない。でも、わざわざ言う必要もないと思っていた。


「それで?」

 

グレン公爵の声が響いた。彼は落ち着いた様子で、ワイングラスを傾ける。


「フィーナが元令嬢だろうと、平民だろうと、私には関係ない」


「しかし公爵、身分の違いは――」


「身分など些細なことだ」


 公爵は席を立ち、私の元へ歩いてくる。


「私は彼女の料理を愛している。そして、彼女自身を愛している」


 会場が静まり返る。


「フィーナ」


 公爵が私の手を取る。


「私は君を、正式に妻として迎えたい。公爵夫人として、私の隣にいてほしい」


「公爵様……」

 

 涙が溢れそうになる。


「でも、私は料理人で――」


「料理人でも、元令嬢でも構わない。君は君だ。私の人生に彩りを与えてくれた、かけがえのない人なんだ」

 

 公爵の青い瞳が、優しく私を見つめる。


「私も……私も公爵様を愛しています」

 

 堪えきれず、涙がこぼれた。

 

 公爵が優しく私を抱きしめてくれる。

 

 温かい腕の中で、私は初めて心から安心した。

 

 もう一人じゃない。この人が、隣にいてくれる。


 客人たちは驚いていたが、やがて拍手が起こった。


「おめでとう、公爵」


「フィーナ嬢、いや、公爵夫人。末永くお幸せに」

 

 祝福の言葉が降り注ぐ。


 ランベール侯爵夫人は涙を浮かべて、「フィーナ夫人もきっと喜んでいるわ」と言ってくれた。







◇◇◇


 それから半年。


 私はフィーナ・アルトリア公爵夫人となった。

 

 公爵夫人としての仕事は忙しい。社交界に出席したり、慈善事業を手伝ったり。

 

 でも、時々厨房に立つ時間も作っている。

 

 料理は私の原点だから。


「今日は何を作っているんだ?」

 

 グレンが厨房に顔を出す。最近は執務が落ち着いているようで、よく様子を見に来てくれる。


「オムライスです」


「また? この前も作っただろう」


「あなたが好きだって言うから」


「……ああ、確かに好きだ」

 

 グレンが微笑む。以前とは違う、心からの笑顔。毎日こうして笑ってくれるようになった。


 出来上がったオムライスを二人で食べる。ダイニングではなく、厨房のテーブルで。


「やっぱり美味いな」


「ありがとうございます」


「フィーナ」


「はい?」


「君と出会えて、本当に良かった」

 

 グレンが私の手を取る。


「私もです。料理人になって、没落して、色々あったけれど……今が一番幸せです」


「これからも、ずっと一緒にいよう」


「はい」


 窓の外には青空が広がっている。

 

 母が亡くなってから、どれだけ辛い日々を過ごしたことか。

 

 でも、その全てがあったから、今の私がいる。

 

 グレンと出会えた。

 

 料理を通じて、心を通わせることができた。


 後日、私たちは孤児院を訪れた。

 

 子供たちに料理を教える活動を始めたのだ。


「お姉ちゃん、これで合ってる?」


「上手よ。その調子」

 

 子供たちの笑顔を見ていると、温かい気持ちになる。グレンも一緒に子供たちと遊んでいる。


「公爵様、こっちも見て!」


「ああ、よく出来ているな」

 

 優しい声で子供たちに話しかける彼。きっと、良い父親になるだろう。


「フィーナ」

 

 帰り道、グレンが囁く。


「いつか、私たちの子供も一緒に料理を作れたらいいな」


「……はい」

 

 頬が熱くなる。そんな未来を想像すると、胸が高鳴る。


 没落令嬢として絶望していた私。でも料理という武器で、人生を切り開いた。

 

 そして、運命の人と出会えた。

 

 これからも、料理と愛で満ちた日々を過ごしていこう。

 

 グレンと、ずっと一緒に。



(完)



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