表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/19

第8話 獣の影

 夜は、どこか張りつめていた。

 家々の油灯は落とされたはずなのに、戸の隙間からこぼれる明かりがちらほら残っている。

 村人たちは眠ろうとして眠れず、布団の中で何度も寝返りを打ち、時折小さな声で囁きあっていた。


「……また来るんじゃないか?」

「でも、おっさんがいるから……」

「オルフさんが、門に立ってる」


 その言葉には、安心と不安がないまぜになっていた。


 村の入口。

 門の前には、背筋をまっすぐ伸ばしたおっさん――オルフの姿があった。

 その隣には、木槍を抱えたリシア。

 夜気は冷たいはずなのに、彼女の手は汗で湿り、心臓は胸を激しく叩いていた。


「ふぅ……」

 小さく息を吐いても、足の震えは止まらない。


 昼間の修行で「立ち続ける」ことは覚えた。

 だが、今から訪れるのは訓練ではない。

 本物の敵、本物の死。


(私……立てるのかな……)


 弱気が喉元まで込み上げた瞬間、隣のおっさんが低く呟いた。


「肩に力が入りすぎだ。膝を緩めろ」


「えっ……」

 慌ててリシアは足を見下ろし、力を抜く。

 すると、さっきまで石のように固まっていた足が少しだけ軽くなった。


「……はい」


 短く答えた声は震えていたが、それでもオルフは頷いた。


 夜風が草を揺らす。

 その音だけが世界を支配しているかのようだった。


 耳を澄ますと、遠くで犬が吠える声がした。

 それもすぐにやみ、再び静寂が訪れる。


 リシアの背筋に冷たい汗が流れる。

 昼間の村人たちの笑顔が、今は戸の奥に隠れてしまっている。

 誰もが不安で震えながら、おっさんと自分の背に頼っているのだ。


(……怖い。でも、逃げられない)


 木槍をぎゅっと握り、リシアは隣に立つ。


 そのとき、村の奥から小さな声がした。

 母親が子どもに囁いているのだろう。


「大丈夫。門にはオルフさんが立ってるから」


「……ほんとに?」


「ええ。あの人は、どんなに笑われても門を離れなかったでしょう?」


 かすかな会話が夜風に乗って聞こえた瞬間、リシアの胸にじんと熱いものが広がった。


(……そうだ。私も、立つんだ。あの人と一緒に)


 門前に並ぶ二つの影。

 夜空には雲が流れ、月が顔を出したり隠れたりを繰り返す。

 光と闇の間で、ただ二人の呼吸音だけが重なった。


 やがて――村の空気をさらに張りつめさせる、不穏なざわめきが森の奥から漂ってきた。



 夜気が急に冷え込んだ。

 さっきまで鳴いていた虫の声が、ぴたりと途絶える。

 森の奥に潜んでいたはずの鳥の羽ばたきも消え、空気そのものが重く張り詰めた。


「……止んだな」

 おっさん――オルフが低く呟いた。


 その声に、リシアの心臓がどくんと跳ねる。

 息を呑んで耳を澄ますと、確かに村を包む夜が異様に静まり返っている。


 風がひゅうと吹き抜ける。

 それは草木の匂いだけでなく、血と獣臭を混ぜ込んでいた。

 鼻を突くような生臭さに、リシアは思わず顔をしかめる。


「っ……これ、なんの匂いですか?」


「血だ。近くに“獣”がいる」


 短い返答に、背筋がぞくりと震える。

 体の奥から「逃げろ」と警鐘が鳴り響き、足が勝手に後退しそうになる。


(だめ……下がっちゃだめ。私、弟子になったんだ)


 必死に足に力を込め、リシアは槍を握り直す。

 だが手のひらは汗で滑り、穂先は小刻みに揺れていた。


 オルフがちらりと横目で彼女を見る。

「怖いのは当然だ。だが――怖さを知っている奴ほど、立てる」


 その一言が胸に突き刺さった。

 リシアは唇を噛み、必死に頷く。

「……立ちます、オルフさん」


 そのときだった。

 森の奥から、低い唸り声が響いた。


「……グルルルル……」


 地面がわずかに震える。

 耳の奥がじんじんと痺れるような重低音。

 それは狼の遠吠えとも、熊の唸りとも違う。

 もっと凶暴で、もっと底知れない気配だった。


 村の奥から、誰かの悲鳴が小さく漏れた。

 家の戸がぎしりと閉められる音が連鎖し、村全体が怯えに飲み込まれていく。


「来るぞ」

 オルフの声は低く静かだが、槍を構える腕は鋼のように揺るがない。


 リシアも木槍を構える。

 呼吸は荒く、全身が震えている。

 それでも一歩も退かず、オルフさんの隣に立った。


 やがて、森の影の奥で赤い光が瞬いた。

 それは炎ではなく――眼。

 獣の眼だ。


 月明かりを反射して、ぎらりと二つの光が浮かび上がる。

 その背後から、木をへし折るような音が続いた。


 リシアの喉がひゅっと鳴る。

 恐怖が胸を塞ぎ、息が浅くなる。


(怖い……でも……オルフさんがいる)


 震える足を踏みしめ、木槍を握る手に力を込める。


 赤い眼がゆっくりと近づいてきた。

 闇の中から一歩、また一歩。

 地面を踏みしめるたびに、土が鈍く響く。


 村人たちの間から再び小さな悲鳴が漏れた。

 誰もが戸の影から怯えた視線を向けている。


 だが、門の前に立つ二人だけは退かない。


「……オルフさん」

 リシアが震える声で呼ぶ。


「心配するな」

 オルフは短くそう言い放ち、前を見据えた。


 次の瞬間、月明かりに照らされて――獣の巨大な影が姿を現した。



 月が雲の切れ間から顔を出した瞬間――それは現れた。


 森の奥からにじり出るように現れた影。

 その輪郭は人よりも大きく、肩幅は二倍以上。

 闇の中でぎらりと光る赤い眼が、門の前に立つ二人をまっすぐ射抜いていた。


 次の瞬間、月光がその全貌を照らす。


 全身を覆う毛並みは黒く煤け、ところどころがまだらに血で濡れている。

 背丈はゆうに二メートルを超え、太い前足の爪は鉄をも断ちそうな鋭さ。

 口を開けば、牙が月明かりを反射して白く光った。

 吐き出される息は熱を帯び、地面に霜を溶かすほどだ。


「ひっ……!」

 門の向こうで見ていた村人の一人が声を漏らした。

 母親は子どもを抱き寄せ、必死に戸を閉める。

 村全体がその巨体に飲み込まれるような圧力を感じていた。


 リシアの膝が小鹿のように震えた。

 木槍を構えているのに、指先の感覚がなくなり、汗で柄が滑りそうになる。


(な、なんて大きさ……これが獣……!)


 恐怖で胸が塞がり、息が浅くなる。

 今すぐにでも逃げ出したい。

 けれど、その足は門の前から動かなかった。


 横で、オルフさんが一歩前に出たからだ。


「通さぬ」


 その声は低く、夜気を切り裂くように響いた。

 ただそれだけの言葉なのに、背筋が凛と伸びる。

 リシアは慌てて足を踏みしめ直し、震える声で呟いた。


「……私も、立ちます……オルフさんと一緒に」


 獣の赤い眼がぎらりと動き、二人を舐めるように見据える。

 次の瞬間、喉の奥から獣の咆哮が轟いた。


「グオォォォォォォン!!!」


 空気が震え、地面がびりびりと揺れる。

 戸の隙間から覗いていた村人たちは一斉に悲鳴を上げ、子どもたちが泣き声をあげる。


 その恐怖の中でも、オルフさんは一歩も退かなかった。

 槍を構え、獣と真正面から向き合う。

 その背中は大きく、決して揺らがない壁のようだった。


(オルフさん……私も、怖いけど……逃げない!)


 リシアは唇を噛み、木槍を胸の高さまで引き上げる。

 膝は震えている。

 けれど、その瞳には確かに光が宿っていた。


 獣は地面を爪で抉りながら、じりじりと間合いを詰めてくる。

 そのたびに土が飛び散り、空気に血の匂いが混じった。

 村人たちは戸の奥から「オルフさん……」「リシア……」と祈るように名を呼ぶ。


 門の前に立つ二人は、それに応えるようにさらに強く槍を握った。


 やがて――獣が腰を沈め、次の瞬間、門へ突進してきた。



 獣が地面を蹴った。

 轟音が夜を揺るがし、土煙が爆ぜる。

 門を目指して一直線――その速度は人間の目にはただ黒い塊が迫るようにしか見えなかった。


「ッ!」

 リシアは思わず声をあげた。

 体が勝手に後ろへ逃げそうになる。

 だが――その前に、オルフさんが大地を踏み鳴らした。


 槍が低く構えられる。

 その動作は無駄がなく、獣の突進に合わせるように穂先が閃いた。


 次の瞬間――金属が打ち合ったような衝撃が門前を震わせた。

 獣の爪と槍の穂先がぶつかり合い、火花が散る。


「ぐっ……ぬおおッ!」

 オルフさんが歯を食いしばり、体ごと押し返す。

 だが、獣の力は凄まじく、槍の柄が悲鳴を上げてきしんだ。


 地面が削れ、門の木材がぎしりと鳴る。

 村人たちは恐怖に悲鳴を上げた。

「門が……壊れる!」

「オルフさん、危ない!」


 だが、おっさんは一歩も退かない。

 踏みしめた足は土に沈み、背中は岩のように揺らがなかった。


「……通さぬ!」


 その一言とともに、槍を強く押し返す。

 穂先が獣の肩をかすめ、黒い毛並みに赤い筋が走った。


「ガァァァッ!」

 獣が怒りの咆哮をあげ、爪を振り下ろす。

 オルフさんはすかさず槍の柄で受け止めるが、衝撃で体が軋む。


 リシアはその迫力に膝が崩れそうになった。

(だめ……! 私も立たなきゃ!)


 必死に踏みとどまり、木槍を構え直す。

 肩が震えても、胸が苦しくても――逃げるわけにはいかない。


 獣の突進を受け止めているオルフさんの背が、大きく揺れた。

 土煙の中で、その姿はまるで一本の柱のように見える。


「リシア!」

 短く叫ぶ声が飛んできた。


「は、はい! オルフさん!」

 返事をする声は震えていたが、彼女の眼には必死の光が宿っていた。


 獣がさらに体を揺さぶり、門を突き崩そうと暴れる。

 木材が裂ける音が響き、村人たちが再び叫ぶ。


「だ、駄目だ! もう持たない!」

「逃げろ、みんな!」


 だが、オルフさんの背中から放たれる気迫が、その場を押さえ込んでいた。


「……退くな。門は――通させぬ」


 その言葉に、リシアは歯を食いしばり、木槍を前へ突き出した。


 穂先が闇を裂き、獣の巨体の脇腹をかすめる。

 鮮血が飛び散り、リシアの頬を赤く染めた。


「ッ……!」

 恐怖と興奮で体が震える。

 だが、確かに槍が届いた。


 獣の赤い眼がぎらりとリシアに向けられる。

 怒りと殺意が混じった視線に、息が止まりそうになる。


「リシア、下がるな!」

「はい、オルフさん!」


 震えながらも返事をし、彼女は槍を構え直す。

 血の匂いが濃くなる中で、村人たちの視線が門前に集中した。


 獣の唸り声がさらに高まり、次なる突進のために腰を沈める。


 夜の空気が張り裂けそうな緊張に包まれる中――

 オルフさんとリシア、二人は門の前に並び立った。



 獣の咆哮が、夜の空を震わせた。

 耳をつんざく音にリシアは思わず目を閉じ、全身が震えた。

 木槍を握る手から力が抜け、柄が滑りそうになる。


(怖い……怖い……!)


 胸が苦しく、呼吸が浅くなる。

 心臓の鼓動が早すぎて、頭がくらくらした。

 体の奥から「逃げろ」と叫ぶ声が響き、膝が勝手に折れそうになる。


 その瞬間、脳裏に浮かんだのは――あの子どもたちの顔。

 昼間、井戸端で笑っていた無邪気な笑顔。

 「通さぬ姉ちゃん!」とからかい半分に呼んでくれた声。

 泣きながら「オルフさんに守ってもらえるんだよね」と母親に縋っていた姿。


(私が下がったら……今度はあの子たちが泣く)


 胸の奥で、小さな炎が灯った。

 震える膝に力を込め、リシアは必死に立ち直る。


「……オルフさん」

 震える声で呼びかける。


「立て、リシア」

 低く、鋭く、それでいて揺るぎない声が返ってきた。


 その言葉に、心臓の鼓動が少しずつ整っていく。

 リシアは息を大きく吸い込み、叫んだ。

「――立ちます! オルフさんの隣で!」


 獣が再び突進の体勢を取る。

 爪が土を抉り、赤い眼がぎらついた。

 オルフさんが槍を低く構える。

 その背中は大きく、まるで村全体を庇っているようだった。


(私は……あの背中に守られてるだけじゃない。隣に立つって決めたんだ!)


 恐怖で震える足を踏みしめ、木槍を構え直す。

 指先に再び力が戻り、穂先が月光を反射してきらめいた。


 獣が咆哮とともに飛びかかる。

 その巨体が夜空を覆い、迫ってくる。


 オルフさんは槍を突き上げ、正面から受け止めた。

 轟音とともに衝撃が走り、地面が揺れる。


 リシアは一歩も退かず、震える声で叫んだ。

「通さぬっ!」


 槍を突き出す。

 狙いは正確ではない。だが、確かな意志がそこにあった。


 獣の爪がかすめ、頬に熱い痛みが走る。

 薄く血が流れるのを感じながらも、リシアは踏みとどまった。

 その姿に、戸の隙間から見ていた村人たちが息を呑む。


「リシアが……」

「立ってる……あの獣に……!」


 恐怖の中でも、確かに希望の灯が生まれていた。


 獣の巨体が暴れ、オルフさんが一瞬押し込まれる。

 リシアは必死に横から突きを放ち、わずかに獣を逸らす。

 大きな傷にはならなかった。

 けれど、その一撃が二人を再び並ばせた。


「……やるな」

 オルフさんが短く呟く。


「はい……まだ震えてますけど!」

 リシアは必死に笑った。


 獣は怒り狂い、再び咆哮を上げる。

 その声に村人たちは耳を塞いだが、誰もが目を逸らせなかった。


 門の前――恐怖に抗い、立ち続ける二人の姿がそこにあった。




 獣の咆哮とともに、空気が爆ぜた。

 巨体がしなり、爪が稲妻のように振り下ろされる。

 オルフさんは咄嗟に槍を横に構え、衝撃を受け止めた。


「ぐっ……!」

 全身に伝わる衝撃で膝が沈む。

 土が弾け、木槍を持つリシアも体勢を崩しそうになる。


(オルフさんが……押されてる!)


 心臓が喉を叩く。

 頭の奥で「逃げろ」という声が響く。

 だが、リシアは叫んだ。


「オルフさんッ!」


 獣がさらに力を込め、門を打ち砕こうとする。

 オルフさんの腕が痺れ、槍の柄が悲鳴を上げた。


(私が……やらなきゃ!)


 リシアは震える足に力を込め、木槍を突き出した。

 狙いは定まらない。だが、必死に闇を貫こうとした。


 ――ザシュッ。


 穂先が獣の肩口をかすめ、黒い毛並みを裂いた。

 赤い血が飛び散り、リシアの頬に温かさが弾けた。


「や、やった……!」

 自分の声が震えながら漏れる。


 獣が痛みに咆哮を上げ、赤い眼をぎらりと光らせた。

 その視線がリシアに向けられる。

 殺意と怒りが混じった眼差しに、足がすくむ。


「ひっ……!」

 思わず木槍を落としそうになったその瞬間――。


「下がるな、リシア!」

 オルフさんの声が鋭く飛んだ。


「はいっ、オルフさん!」

 必死に返事をし、木槍を握り直す。


 獣は唸り声を上げながらリシアに迫る。

 巨体が振り上がり、爪が月光を反射する。

 リシアの呼吸が浅くなり、目の前が暗くなる。


(こわい……でも、退かない!)


 その時、オルフさんが槍を大きく薙ぎ払った。

 獣の爪とぶつかり、火花が散る。

 その隙にリシアは横から突きを放ち、再び獣を押し戻した。


「ガァァッ!」

 獣がよろめき、門前に土煙が舞う。


 村の奥からざわめきが広がった。

「リシアが……当てたぞ!」

「おっさんと一緒に……!」


 怯えていた村人たちの瞳に、わずかに光が戻る。

 子どもが戸の隙間から顔を出し、小さく叫んだ。

「がんばれー! 通さぬ姉ちゃん!」


 その声に、リシアの胸が熱くなった。


(私……本当に、戦えてる……!)


「油断するな!」

 オルフさんが低く言う。

「一撃で満足するな。戦いはここからだ」


「……はいっ!」

 リシアは大きく頷き、槍を構え直す。


 呼吸は荒く、汗が流れる。

 それでも――瞳は恐怖だけでなく、確かな決意で輝いていた。


 獣が体勢を立て直し、さらに大きな咆哮を上げる。

 その声に村人たちが身を竦める。

 だが、門の前に並ぶ二人は退かない。


 おっさんと弟子。

 並び立つ影が、松明の灯りに長く伸びた。


 その姿は、村人たちにとって初めて「希望」と呼べる光景だった。



 リシアの一撃は確かに獣を裂いた。

 だが、それで終わるほど甘くはなかった。


 獣は肩を振り払い、血を飛び散らせながらさらに唸り声を高める。

 赤い眼が怒りで燃え上がり、爪が地面を削る。

 その巨体から立ちのぼる熱気は、夜の冷気を一瞬でかき消すほどだった。


「ガアアアアアッ!!」


 咆哮に村人たちが再び悲鳴をあげる。

 家の戸が叩きつけられるように閉められ、幼い子どもの泣き声が響いた。


 一方その頃、森の奥。

 焚き火の残光に照らされて、一人の黒い影が佇んでいた。

 フードを深くかぶり、その眼は冷ややかに村の様子を見据えている。


「……門を守るだけの、おっさんか。

 だが、ただの門番にしてはしぶとい」


 低く笑う声。

 その背後で、別の獣の影が蠢き、鎖をぎしりと鳴らした。


「ふふ……これはまだ“試し”だ。本当の地獄は、これからだ」


 門前。

 オルフさんは槍を構え直し、血の匂いの中で静かに息を吐いた。

「リシア、油断するな」


「はい、オルフさん!」

 リシアも木槍を握り直す。

 手は震えている。だが瞳は、恐怖だけではなく決意に燃えていた。


 村の奥から、誰かの声が上がった。

「オルフさん、リシア! 負けるな!」


 続いて別の声。

「通さぬんだろう! 俺たちも信じるぞ!」


 最初は小さな声だったが、次々と重なっていく。

「通さぬ!」「通さぬぞ!」

 震える声もあれば、必死に叫ぶ声もあった。


 その声に押されるように、リシアの胸が熱くなる。


(私、一人じゃない……!)


 獣が再び地を蹴った。

 土煙が夜空に舞い、衝撃で松明の火が揺らぐ。

 オルフさんが低く吠える。


「来るぞ!」


 二人は並んで槍を構えた。

 背を寄せ合うことはない。だが、不思議と心は一つに結ばれていた。


 獣の突進が再び迫る。

 だが今度は、村人たちの声援が夜を揺らしていた。

「通さぬ!」「通さぬ!」

 その声は恐怖を押し返し、二人の背中を強く支えた。


 リシアは心の中で叫ぶ。

(オルフさんと一緒に――この門を守る!)


 闇の中、黒幕の影がにやりと笑った。

「面白い。だが、まだ序章にすぎん」


 森の奥で、さらなる獣の遠吠えが響いた。

 夜はまだ終わらない。

 村を覆う脅威は、これからさらに大きくなっていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ