表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/19

第2話 嘲笑と感謝

 盗賊を見抜いた日の翌朝、村はざわついていた。

 普段なら牛の鳴き声や子どもの笑い声しか響かない通りに、珍しく人が集まり、口々に噂している。


「なあ、本当にあのオルフが盗賊を止めたのか?」

「俺も見たさ。槍を突きつけて、盗賊が腰を抜かしてた」

「ば、ばか言え! 錆びた槍と老いぼれの腕だぞ? 運が良かっただけだろう」


 言葉の端々には驚きと疑いが入り交じっていた。

 中には感心したように頷く者もいれば、鼻で笑う者もいる。


 子どもたちは違った。

 昨夜、間一髪で助けられた子の仲間たちが口を揃えて言う。

「門番さん、かっこよかった!」

「すごい声だったよ、あの『伏せろ!』って!」

 小さな手を振り回しながら真似をする子どもたちに、大人たちは苦笑するしかなかった。


 だが、一人の母親は涙を浮かべていた。

 助けられた子の母だ。

 夜通し子を抱きしめていた彼女は、朝になっても震えを止められず、オルフのもとを訪ねた。


 門の前で、いつものように槍を持って立つオルフ。

 彼女は駆け寄り、深々と頭を下げた。


「オルフさん……! あの子を、私の子を守ってくれて、本当にありがとう……!」


 涙で声が震える。

 オルフはその姿を静かに見下ろし、短く答えた。


「……俺は立っていただけだ」


 母親は首を振る。

「いいえ、誰にもできなかったことを、あなたがしてくれたんです。

 あの人たちが何を企んでいたか、考えるだけで……」


 言葉にならず、母親はまた涙をこぼす。

 その姿を見た村人たちの表情も変わっていく。

 「やっぱり本物かもしれないな」と呟く者もいた。


 だが――全員がそうではなかった。


 昼過ぎ、畑仕事を終えた若者たちが酒場に集まった。

 昨夜の噂は当然のように話題に上る。


「ちっ、たまたま運が良かっただけだ」

「そうだそうだ。あんな老いぼれ、次に本物の敵が来たら一撃でやられるさ」

「なのに女どもが感謝してるのを見るとムカつくんだよな」


 ジョッキを叩きながら、不満をぶちまける。

 その場には、助けられた子どもも隅に座っていた。

 小さな拳を握り、言い返そうとする。

 だが、大人たちの怒鳴り声に押され、結局声を飲み込んでしまった。


 外では、門の前でオルフが立ち続けている。

 彼は酒場のざわめきなど耳に入れていない。

 ただ、通りを行く人々を見ていた。


 村長までもが、懐疑を口にした。

「ふん、盗賊を一人止めたくらいで大騒ぎするな。

 あれは偶然じゃ。あの男に、村を守る力などあるものか」


 その言葉に、村人たちは黙り込む。

 だが、中には小さく「でも、あの子は助かったんだ」と呟く者もいた。

 村は二つに割れようとしていた。


 数日後、村は市場の日を迎えた。

 近隣の村や旅商人が集まり、通りは珍しく人でごった返していた。

 魚の干物や布地、薬草や香辛料が並び、普段は静かな村に色とりどりの声が飛び交う。


「安いよ安いよ! この布は王都仕立てだ!」

「干し肉はいらんか! 一週間は持つぞ!」


 子どもたちははしゃぎ、女たちは品物を手に取り、男たちは酒樽を覗き込む。

 活気に包まれる市場の片隅――その喧騒を、オルフはいつもと同じように門の前から眺めていた。


 彼の眼はただの見物ではない。

 一人一人の仕草、荷物の重さ、足取り、視線の動きを丹念に追っている。


(この商人は本物だ。腰の曲がり具合が長年荷を背負った証拠……

 あの旅人は足取りが妙に軽い。荷の中身は空か……いや、隠しているか)


 人波の中で、不自然な“軽さ”を見抜く。

 だがすぐに声を上げることはしない。証拠もなく騒げば、ただの偏屈者と笑われるだけだからだ。


 そのときだった。


 広場の中央で、子どもの甲高い声が響いた。

「わ、わっ! 財布がない!」


 小さな少年が泣きそうな顔で足元を探している。

 周囲の大人たちは「どこかに落としたんだろう」と笑っているが――オルフの眼は別のものを捉えていた。


 一人の行商人風の男。

 顔は笑っているが、目は笑っていない。

 歩きながら、不自然に腰布の内側へ手を差し入れていた。


(……やはりな)


 オルフはゆっくりと歩き出した。

 人混みを避けるように進み、男の背後に立つ。

 その動きは静かで、誰にも気づかれない。


 そして――低く、しかしよく通る声で言った。


「落としたものは、自分の物にはならん」


 その瞬間、男の肩がびくりと跳ねた。

 群衆の視線が集まる。

 オルフは淡々と告げる。


「今、布の下に隠したものを出せ」


 男は慌てて笑顔を作る。

「な、何のことかな? 私はただ……」

 だがオルフの眼が射抜くように見据えると、言葉が詰まった。


 静寂。

 やがて男は観念したように腰布から小さな財布を取り出した。


「……あ、あぁ……これは……拾っただけで……」


 泣いていた少年が駆け寄る。

「それ! ぼくのだ!」


 群衆の中から怒号が上がった。

「この野郎、スリじゃねぇか!」

「子どもから盗むなんて!」


 人々の手が伸び、男を取り押さえる。

 オルフはその様子を静かに見届け、再び門の前へと戻った。


 群衆はざわめき、やがて小さな感嘆の声が広がる。

「やっぱりあのおっさん、ただ者じゃない」

「盗賊のときも偶然じゃなかったんだ」

「立って見てるだけで、全部分かるのか……?」


 子どもを抱きしめた母親が、また涙を浮かべてオルフに頭を下げた。

「二度も……本当にありがとうございます……!」


 だが、オルフはいつも通り淡々と答える。

「俺は立っていただけだ」


 その一言は、もう嘲笑としては響かなかった。

 村人たちの中に、確かな尊敬と畏れを芽生えさせていた。


 しかし同時に――。

 広場の端で、昨夜酒場でオルフを笑っていた若者たちが、苦々しい顔でその光景を見つめていた。


「ちっ……これじゃ本当に英雄みたいじゃねぇか」

「偶然が二度続いただけだ。俺たちは騙されねぇ」


 嫉妬と苛立ちが渦巻く視線を、オルフは背中で受けながら、ただ静かに門へ戻った。

 その背中は、村の誰よりも大きく見えた。


 スリ騒動から数日後、村の広場に人が集まった。

 村長が呼びかけたのだ。

 広場の中央に立つ白髪の老人――村長は杖をつきながら声を張り上げた。


「さて、皆も知っておるだろう。門の前に立つ退役兵、オルフのことじゃ」


 ざわめきが広がる。

 「盗賊を見抜いた」「子どもの財布を守った」――そんな声が飛び交う。

 だが村長は眉をひそめ、手を振って静めた。


「わしは思う。あれは偶然じゃ」


 人々の間に重い空気が流れた。

 村長は続ける。

「盗賊もスリも、ただの幸運で防げたに過ぎん。

 門の前に立つだけで村を守れるなど、馬鹿げておる」


 その言葉にうなずく者もいれば、反発する声もあった。

「でも、助けられたのは事実だ!」

「わしの孫を守ってくれたんだぞ!」


 村は二つに割れようとしていた。


 そのとき、オルフが人混みを抜けて歩み出た。

 いつものように槍を手に、背筋を伸ばして。

 村人たちが息を呑む。


「村長殿。俺は剣を振るうことはできん。若い頃からな」


 オルフの声は低く、だがよく通った。

「俺にできるのは、立つこと。見ること。それだけだ」


 村長が鼻で笑う。

「それでどうやって村を守るつもりだ?」


 オルフは答えた。

「立っていれば、見える。人の歩き方、目の泳ぎ、息の乱れ。

 剣を振るう前に、敵かどうか分かる。

 それだけで、村は守れる」


 短い言葉に、沈黙が落ちた。

 村長は反論しようとしたが、声が出なかった。

 その場にいた母親が涙ながらに叫んだ。

「私の子を救ってくれたのは、剣でも魔法でもなく、その眼です!」


 ざわめきが広がり、村人たちの多くが頷いた。

 村長は渋い顔で杖を突き、背を向けた。

「……勝手にすればいい。だが責任は取れんぞ」


 集会は解散となった。


 その夜。

 月明かりに照らされた門の前に、オルフはいつものように立っていた。

 風は冷たく、村は静まり返っている。

 昼間の騒ぎが嘘のように、虫の音だけが響いていた。


 すると、小さな足音が近づいてきた。

 昨日助けられた少年だった。

 彼は恥ずかしそうに顔を上げ、オルフを見つめた。


「……ありがとう」


 そう一言だけ言うと、少年は走り去った。


 オルフは微かに口元を緩めた。

 胸の奥に、小さな温かさが広がる。

 嘲笑と感謝――その両方を受けても、彼の信念は変わらない。


(俺は立つ。立って、見る。それが俺にできるすべてだ)


 そう心に刻んだ瞬間、遠くの闇に影が揺れた。

 人か、獣か、それとも――。

 オルフの眼が細く光を宿す。


 門の向こうに迫るものを、見逃すつもりはなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ