表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/19

第14話 影との戦い

 夜を越えた村には、重たい空気が漂っていた。

 影を退けたとはいえ、不気味な笛の音は耳に残り、村人たちの心から安堵を奪い去っていた。


 朝になっても、誰一人「勝った」と口にする者はいない。

 むしろ人々は家の周囲を確かめ、扉の板を二重に打ち直し、畑を見回っては落ち着かぬ様子でいた。


 門の周辺には昨夜の戦いの爪痕が残っていた。

 土には影が通った跡が黒く焦げつき、松明の燃えかすが散乱している。

 門柱のひとつは傾き、縄で辛うじて支えられていた。


「……ひとまず補強はできそうだ」

 男衆が声を掛け合い、木材を運び込む。

 女たちは水桶を抱え、血の染みを洗い流す。

 それでも拭っても拭っても、冷たい気配は残っていた。


 リシアは槍を手に門の前に立っていた。

 肩にはまだ痛みが残っていたが、夜の戦いで退かなかった誇りが胸に灯っている。

 同時に、胸の奥を掴むような不安も消えていなかった。


(影は退けた……でも、笛の音は止まらなかった。

 あれはきっと、まだ続く……)


 木槍を抱きしめる腕に汗がにじむ。

 村人の前では笑顔を作ろうとしても、心臓の鼓動が強く響き続けていた。


 そこへオルフさんが現れた。

 肩には新しい包帯が巻かれ、まだ血が滲んでいる。

 それでも背筋は真っ直ぐで、いつもと変わらぬ眼差しだった。


「顔が強張ってるな、リシア」

「えっ……そ、そんなこと……」


「誇りは持て。だが油断はするな」

 短い言葉に、彼女は思わず姿勢を正す。


「オルフさん……あれは、本当に終わったんでしょうか」

 リシアの問いに、おっさんは森の奥を見据えた。


「終わっていない。昨夜のは“試し”だ。黒幕が本気を出すのはこれからだ」


 その言葉に、リシアの背筋が震える。

「試し……」


「ああ。影を送り込んで、村の力を量ったんだろう」

 オルフさんの声は淡々としていたが、その眼光は鋭かった。


 昼下がり、村人たちは井戸端で噂を交わしていた。

「また来るんじゃないか……」

「次はもっと恐ろしいのを連れてくるかもしれん」

「通さぬって叫んでも、どこまで通じるか……」


 不安を紛らわせるような会話に、笑いはなかった。


 リシアはその声を背に聞きながら、槍を強く握りしめた。

(怖い……でも私は、退かない。オルフさんの隣で立つって決めたんだ)


 彼女の瞳に、小さな炎が宿る。

 その隣でオルフさんもまた森を睨み続けていた。


「……夜になれば、また来る」


 その呟きが、昼の村をさらに冷え込ませた。



 その夜――。


 村は早くから灯りを落とし、家々の戸板はしっかりと打ち付けられていた。

 しかし誰一人眠れてはいなかった。

 母親は子を抱きしめ、男衆は武器代わりの農具を手元に置き、老人すら目を閉じることができずにいた。


 やがて。

 森の奥から、あの旋律が流れてきた。


「ひゅぅぅぅ……ひゅぅぅぅ……」


 冷たい風に乗り、村の隅々まで染み込むような笛の音。

 それは前夜よりも強く、胸を抉るように不快で、耳にするだけで膝が震える。


「きゃっ!」

 家の中で赤子が泣き出す。

 犬が狂ったように吠え、牛が柵を蹴り、鶏が羽をばたつかせる。

 村全体が不安に揺さぶられた。


 門前に立つリシアの肩も震えていた。

「……また、来ましたね」


 隣のオルフさんは槍を構え、低く唸る。

「ああ。今度は前よりも多いぞ」


 その言葉に、背後に集まった村人たちがざわつく。

「も、もう無理だ……!」

「昨夜だけでも死ぬ思いだったのに……」


 だが、若者兵団のキースが一歩前に出て叫んだ。

「逃げるな! 昨日はリシアが立ったんだ! 俺たちも立たなきゃ恥だろ!」


 仲間のハルドも声を張る。

「そうだ! 怖いのは同じだ! でも通さぬって言えば、影は退けられる!」


 その声に、村人たちが少しずつ顔を上げる。


 リシアは胸を押さえ、震えながらも声を張った。

「みんな……私も怖いです。でも、立ちます!

 だから、一緒に立ちましょう! “通さぬ”って、声にしてください!」


 その言葉に、村人たちの胸が熱くなる。

 母親が泣きながら子を抱きしめ、「通さぬ」と小さく呟いた。

 それが火種となり、声は次々に広がっていった。


「通さぬ!」

「通さぬぞ!」

「通さぬんだ!」


 笛の音が強くなればなるほど、村人たちの声もまた強くなった。

 その合唱は夜の空気を震わせ、森の奥の黒幕の耳にも届いていた。


 だが同時に――森の縁から、無数の黒い影が揺らめき始めていた。



 森の縁がざわめいた。

 風もないのに木々が揺れ、地を這うような黒い影が次々と姿を現した。


「ひっ……!」

 村人たちの誰かが悲鳴をあげる。


 それは昨夜よりも数が多かった。

 十、二十……いや、それ以上。

 まるで闇そのものが形を持ったかのように、門を取り囲むように広がっていく。


 影は獣の形をとって牙をむき出しにし、あるいは人の腕を模して松明を奪おうと伸びてきた。

 しかしその姿はどれも不安定で、炎に照らされるたびにゆらりと揺れては歪む。


「昨夜の倍はいるぞ……!」

 若者兵団の誰かが声を裏返らせた。


「な、なんでこんなに……!」

「通せるわけがねぇ!」


 恐怖が再び広がり、後ずさる者もいた。


 だが、その瞬間リシアが声を張り上げた。

「下がらないで! 昨日だって退けられたじゃないですか!」


 震えてはいた。

 だが、その声は確かに村人たちの胸を突いた。


「私たちが“通さぬ”って言えば……絶対に退けられます!」


 オルフさんも槍を構えながら低く呟く。

「恐怖で足が止まるのは仕方ない。だが口だけは止めるな。“通さぬ”と叫び続けろ」


 その言葉に、村人たちは息を飲み、互いに顔を見合わせる。

 そして一人が、勇気を振り絞って声をあげた。


「……通さぬ!」


 それは弱々しい声だった。

 だがすぐに別の声が続く。

「通さぬ!」

「通さぬぞ!」


 震える声が、次第に重なり合っていった。


 その合唱の中で、影が一斉に襲いかかってきた。

 闇の獣が牙を剥き、黒い腕が松明を叩き落とそうと伸びる。

 門前が再び修羅場と化す。


「来るぞ!」

 オルフさんの声に、リシアは槍を突き出した。


 穂先が黒い影を貫き、煙のように散らす。

「通さぬっ!」


 その叫びに呼応するように、若者兵団が槍を構えた。

「俺たちもだ! 通さぬ!」

「通さぬぞ!」


 村人たちも農具や松明を振りかざし、合唱はさらに大きくなる。


「通さぬ!」

「通さぬ!」

「通さぬんだ!」


 笛の音と合唱が夜空にぶつかり合い、村全体が震える。


 リシアの胸が熱くなる。

(私だけじゃない……みんなが一緒に立ってる!)


 しかし、影の数は減るどころか、さらに増え続けていた。

 門前に押し寄せる黒い群れは、村を呑み込もうとする波のように広がっていく。



 影の群れが、波のように押し寄せてきた。

 門前に広がる黒いもやが形を変え、牙や爪をむき出しにする。


「うわああっ!」

 若者兵団の一人が悲鳴をあげた。

 だが、すぐにリシアが木槍を振り払い、影を裂く。

「通さぬっ!」


 散った黒煙が夜風に流れ、周囲の村人たちが息を呑む。


「見ただろ! 斬れるんだ!」

 キースが声を張り上げる。

「怯えるな! 槍を突き出せ! 通さぬって叫べばいいんだ!」


 若者兵団が震える足を前に出し、松明と槍を構える。

「通さぬ!」

「通さぬぞ!」


 その声に勇気をもらったのか、村人たちも農具を振り上げた。

 鍬や鎌、木の棒すら武器になり、炎を掲げて影へ立ち向かう。


 オルフさんが槍を振り払い、三体の影を一息に薙ぎ払う。

「声を絶やすな! 立ち続けろ!」


「はいっ!」

 リシアは返事をし、必死に槍を突き出した。

 影が歪んで散り、黒い残滓が地に落ちて消える。


 門前に火の手が次々と上がった。

 松明を掲げる者、火のついた藁束を振り回す者。

 炎に触れた影は悲鳴のような音を立て、煙となって溶けていった。


「いける……! 本当に退けられるぞ!」

「通さぬ! 通さぬんだ!」


 恐怖に縛られていた村人たちの声が、次第に自信を帯び始めた。


 リシアは汗を拭う暇もなく、次々と影へ槍を突き込んだ。

「通さぬっ!」

 その叫びに呼応して、子どもたちまで窓から小さな声を張り上げる。

「通さぬー!」

「通さぬよー!」


 その声に大人たちの目が熱く光った。

「子どもたちに泣かせ顔を見せられるか! 守るぞ!」


 オルフさんは背後の村人に叫んだ。

「後ろを守れ! 影は門だけじゃない、村を囲むぞ!」


 振り返れば、確かに村の周囲にも黒い影が滲み出していた。

 農具を持った男衆が走り、女たちも松明を掲げて列を作る。


「通さぬ!」

「通さぬぞ!」


 村全体がひとつの防壁となり、黒い群れを押し返した。


 リシアの胸が熱く震えた。

(これが……みんなで立つ力……!)


 恐怖に押し潰されかけていた村は、今や総力を結集して戦っていた。

 その中心に、師弟の二人の影が大きく揺れていた。



 影の数は減るどころか、ますます増えていた。

 松明の炎に照らされ、門前の地面は黒い靄で埋め尽くされていく。

 獣の形をしたもの、人の姿に似せたもの――どれも不気味に揺らめき、牙を剥いて迫ってくる。


「くっ……!」

 リシアは汗に濡れた手で木槍を握り直した。


 影の群れが左右から襲いかかる。

 振り返る暇もない。

 彼女は一歩踏み込み、全身の力で槍を薙いだ。


「通さぬっ!」


 槍の軌跡に沿って影が裂け、煙のように霧散する。

 だが、その隙を狙って背後から別の影が跳びかかってきた。


「リシア!」

 オルフさんの声が飛ぶ。


 リシアは反射的に槍を引き戻し、柄を背後に突き出した。

 黒い腕が掴もうと伸びるが、木槍に弾かれて消える。


「はぁっ……はぁっ……!」

 息が荒い。視界が揺れる。

 それでも足は止まらなかった。


 周囲の村人たちがその姿を見て、声を張り上げた。

「リシアが立ってるぞ!」

「俺たちも負けられねぇ!」


 若者兵団のキースが血を吐くような声で叫ぶ。

「通さぬ! 通さぬぞ!」


 声が合わさり、夜空を震わせる。

 リシアの胸が熱くなった。

(そうだ……私一人じゃない。みんなで立ってるんだ!)


 再び影が三体、同時に飛びかかる。

 リシアは槍を構え直し、息を吐く。


 一突き。正面の影を胸から貫き、煙に変える。

 薙ぎ払い。右の影を裂き飛ばす。

 振り返りざまに柄を突き出し、左の影を弾き飛ばす。


「通さぬっ!」


 その声は震えていなかった。


 村人たちも負けじと声を重ねる。

「通さぬ!」

「通さぬぞ!」

「通さぬんだ!」


 農具を振り下ろす音、松明が唸る音。

 炎と叫びが影を押し返す。


 しかし、戦いは消耗戦だった。

 影を斬っても斬っても、次々に現れる。

 リシアの腕は痺れ、膝は重くなっていく。


 それでも彼女は踏みとどまった。

「私は……絶対に退かない! オルフさんと一緒に、通さぬ!」


 その声に、村人たちの目が光り、合唱はさらに大きくなる。


 オルフさんが短く叫ぶ。

「よくやった、リシア!」


 その一言に、彼女の胸に熱が広がった。

 疲労で体は重くても、心だけは燃えていた。



 どれだけ斬っても、影は尽きなかった。

 リシアが槍を突き、村人たちが農具を振るい、松明を掲げても、黒い靄は絶え間なく押し寄せてくる。


「はぁっ、はぁっ……! 数が……減らない!」

 リシアの息は荒く、視界が霞んでいた。


 足元には影の残滓が煙のように漂い、地面は黒い染みに覆われている。

 それでも新たな影が次々に姿を現し、村を包囲するかのように迫ってくる。


 村人たちの声が乱れ始めた。

「通さぬ……通さ……」

「もう無理だ! 影が多すぎる!」


 誰かが叫び、列を崩しかける。

 その隙を突いて影が飛び込み、若者兵団の一人が肩を裂かれた。


「ぎゃっ!」

「しっかりしろ!」


 血が地に滴り、悲鳴が広がる。

 恐怖が再び村人たちを飲み込みかけていた。


 リシアの足も震え始めていた。

 腕は痺れ、膝は重く、全身から力が抜けていく。


(だめだ……これ以上は……私……)


 心に絶望が忍び寄る。

 その瞬間、膝が崩れ落ちかけた。


「リシア!」

 低く鋭い声が飛ぶ。


 顔を上げると、オルフさんが槍を振るい、影を弾き飛ばしていた。

 血に濡れた額、荒い息。だがその背は揺らいでいない。


「立て! 通さぬと決めたのなら!」


 その一言が、胸に突き刺さった。

 リシアの瞳に再び炎が宿る。


(そうだ……私は決めたんだ。退かないって!)


 彼女は槍を支えにして立ち上がり、声を張り上げた。

「通さぬっ!」


 その叫びに、再び村人たちの声が重なる。

「通さぬ!」

「通さぬぞ!」


 乱れかけていた声が再びひとつに戻り、影を押し返していく。


 だが、敵はなおも止まらなかった。

 笛の音が強まり、黒い群れはさらに濃くなる。

 森の奥で笑う黒幕の気配が、戦場全体を覆っていた。



 門前では、村人たちの「通さぬ!」という叫びが夜空に響き続けていた。

 炎を掲げ、槍や農具を振るい、必死に影を押し返す。

 影の群れは声に打ち消されるように霧散していったが、それでも新たな影が尽きることなく湧き上がってくる。


「まだ……来るのか!」

「きりがない!」


 リシアは全身に汗をまとい、震える膝を必死に支えていた。

 槍を握る手には力が残っていない。

 だが背を丸めず、声を振り絞る。

「通さぬっ!」


 その声が合図となり、村人たちも再び声を張り上げる。


 だが――そのとき。

 森の奥から、新たな気配が滲み出した。


 影の群れとは異なる、ずっしりとした重圧。

 冷たい風が吹き抜け、炎の灯が一瞬揺らぐ。


 オルフさんは槍を構え直し、低く呟いた。

「……いるな」


 森の深部。

 濃い霧が立ちこめる岩場に、ひとりの影が立っていた。

 黒い外套に身を包み、顔を覆うフードの奥から、赤い光がゆらめく。


 男は笛を唇から離し、薄く笑った。

「……老いぼれと小娘、そして村人ども。ここまで抗えるとはな」


 その声は冷たく、夜風に混じって村まで届いたような錯覚を与える。


 男の足元には、鎖に繋がれた獣がうずくまっていた。

 通常の獣ではない。

 黒い毛並み、爛々と光る瞳、背には影の触手のようなものが蠢いている。

 鎖を引くたびに、獣は低く唸り、地面を爪で抉った。


「声で影を退けるか……愉快だ。

 ならば次は、その声ごと踏み潰してやろう」


 男は笛を掲げ、嗤う。


 門前では、まだ村人たちの合唱が続いていた。

 「通さぬ!」「通さぬ!」

 しかしその声の中に、不安が混じり始めていた。


 リシアは息を荒げ、胸に槍を抱く。

(敵は……まだ本気を出してない。これから……!)


 オルフさんもまた森を睨み、低く言った。

「次は影じゃない。奴が……獣を放つ」


 その言葉を裏付けるように、森の奥から獣の咆哮が響いた。


「グォオオオオオオッ!」


 夜空を震わせ、村の屋根瓦まで揺らす咆哮。

 村人たちが一斉に顔を上げ、恐怖に息を呑む。


 黒幕は笛を鳴らし、口元に不気味な笑みを浮かべていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ