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第1話 村の門に立つ退役兵士

 村の入り口には、頼りない木の門があった。

 釘が抜けかけた板を横に並べ、縄で留めただけのもの。強風が吹けばギシギシと軋む。

 それでも村人たちは「まあ獣除けくらいにはなるさ」と笑い、通り過ぎていく。


 だが――その前に、一人の男が立っていた。


 背筋はまっすぐ。槍を片手に握りしめ、ただ正面を見据えている。

 名はオルフ・バルナー。

 年は四十五。背は高くなく、髪もすでに白が混じる。鎧は錆びつき、槍の刃も欠けていた。


「まだやってるのかよ、門番ごっこを」

「ははっ、もう剣も振れんくせに」


 畑帰りの若者たちが笑いながら通り過ぎる。

 子どもたちは面白がって石を投げる。


 だがオルフは一切反応を示さない。

 眉一つ動かさず、ただ真っ直ぐに門の先を見ている。


 彼の眼は、退役したただの老兵のものではなかった。

 二十年以上、王都の巨大な城門に立ち続けてきた門番の眼だった。


 ――その日々を思い出す。


 朝焼けの中、交代で門に立ち、槍を持って「通行証を見せろ」と声をかける。

 豪商が馬車を連ね、傭兵団が行き交い、旅人が疲れた顔で列を作る。

 彼の仕事はただ、それを“見る”こと。

 見る、見続ける、違和感を逃さない。


「立ってるだけで給料がもらえるのか、楽なもんだな」


 若い頃、そう言われて笑われたこともあった。

 剣を振るう華やかな兵士たち。魔法を操る術士。

 誰もが彼を見下し、「ただの門番」と呼んだ。


 だがオルフは知っていた。

 ――立つだけで身につくものがある。


 旅人の肩の傾きで荷の重さが分かる。

 汗の色で病か否かが分かる。

 目の動きで嘘をついているかが分かる。

 数え切れない人々を見続けるうちに、自然とそういう「感覚」が染みついていた。


 剣の技を磨くことはできなかった。

 魔術の才もなかった。

 ただ立ち、ただ観ること。

 それだけを二十年繰り返した。


 ――結果、彼の眼は異常なほど鋭くなった。


 それでも功績として語られることはなく、誰からも褒められることもなかった。

 ただ静かに退役の日が訪れ、彼は故郷の村へと戻った。


 今も、村人に言われる。


「門なんて守る必要ねぇだろ、盗賊なんて滅多に来やしねぇ」

「働きたくないから立ってるだけなんだろ」


 笑われても、石を投げられても、オルフは動かない。

 門の前に立つことが、彼にとって生き方そのものだからだ。


 春風が吹き抜ける。

 畑の麦が揺れ、牛の鳴き声が響く。

 それらすべてを――オルフは黙って観察し続けていた。


 陽は高く昇り、村の通りに人の往来が増えてきた。

 農夫が荷車を押し、女たちが水桶を抱え、子どもたちが駆け回る。

 村の門の前で、それをすべて見つめる男がいる。


 オルフ・バルナー――退役した門番。


 村人たちにとって、彼は厄介な存在だった。

 働き手でもなく、戦士でもなく、ただ門の前で立っているだけの中年。

 彼がそこに立つ理由を誰も理解できなかった。


「おっさん、今日は何を見張ってんだ?」

 畑から帰る若者が笑いながら声をかける。

「どうせ何も起きやしないのにさ」


 オルフは答えない。

 目だけをすっと動かし、若者の肩に積まれた藁の量を測るように見る。

 その視線に気づいた若者は、居心地悪そうに肩をすくめ、舌打ちして去っていった。


 子どもたちはもっと露骨だった。

 小石を拾って投げつけ、

「門番ごっこ! 門番ごっこ!」と囃し立てる。

 石が鎧に当たり、カン、と乾いた音を立てても、オルフは動じない。

 じっと立ち続ける姿は、逆に子どもたちを怖がらせることもあった。


 村の女たちは噂した。

「奥さんも子どももいないっていうし、ちょっと変わってる人よね」

「戦争で名を上げたわけでもないのに、偉そうに突っ立って……」


 耳に入っても、オルフは何も言わなかった。

 ただ門の前に立ち、通り過ぎる人々を見続ける。


 ――彼は孤独だった。

 だが、その孤独の中でこそ、彼の眼は研ぎ澄まされていった。


 農夫の歩幅。

 荷車の軋む音。

 商人が馬をなだめる手の力加減。

 井戸水を運ぶ女の額の汗。

 犬が吠える声の高さ。


 そのすべてに、わずかな異変を探す。


 王都の門に立っていたときと同じように。

 「何も起こらない」日常を観察し続ける。

 それが彼にとっては自然なことだった。


 時折、村の若者兵士が近づいてきては言った。

「オルフさん、剣の稽古でも教えてくれませんか?」

 彼らは期待していた。二十年以上兵として務めた男なら、剣の技を伝えられるのではないか、と。


 だがオルフは首を横に振った。

「……俺には剣は教えられん」

 若者たちは落胆し、去っていく。


 それでも彼は続ける。

 観察を。

 立ち続けることを。


 ある日、川辺から帰る商人の列を見て、オルフはふと眉をひそめた。

 馬車を引く商人の一人――手綱の握り方がおかしい。

 商人ならば自然と力を分散させるはずが、その男は“剣を振るう時のような握り”をしていた。

 気づけば、彼の視線は腰元へ滑る。

 布の下に隠された硬い線――武器。


 だが、結局その男は何もせず、馬車はそのまま村を出て行った。

 オルフは誰にも言わなかった。

 村人に言えば、また「妄想だ」と笑われるだけだ。


 こうして彼は、誰からも必要とされないまま、

 それでも一人で門に立ち続けていた。


 春風が草を揺らす。

 鳥の声が響く。

 



 その日は、春にしては妙に空気が重たかった。

 雲は薄いのに、風がなく、村の門の前の空気がぬるく淀んでいる。


 オルフはいつものように立っていた。

 すると遠くから、農夫の一団がゆっくりと歩いてきた。

 麦束を担ぎ、畑仕事を終えた疲れを顔に浮かべている。


 村人たちは手を振った。

「ご苦労さん!」

「今年は豊作だな!」


 和やかな声が飛ぶ。

 子どもたちも駆け寄り、荷物に触ろうとする。


 だが――オルフの眼は、一人の農夫に吸い寄せられた。


(……おかしい)


 肩に担ぐ麦束。だが背中はほとんど沈んでいない。

 疲れた顔をしているのに、歩幅は兵士のもの。

 足音は軽く、膝の動きに無駄がない。

 そして――手。

 指先に力の癖がある。農具ではなく、剣の柄を握る者の手。


 オルフは静かに呟いた。

「……あれは、武器を隠している」


 隣の村人が鼻で笑う。

「またかよ、おっさん。妄想だろ。あれは農夫だ」

 そう言って子どもを麦束の近くに押しやる。


 その瞬間、オルフの声が鋭く響いた。

「近づけるな!」


 村人がぎょっとする。その声の強さに、子どもたちが思わず足を止めた。


 偽りの農夫は、顔に不自然な笑みを浮かべた。

 そして――腰に伸ばした手が、閃いた。

 麦束の中から抜き放たれたのは、鎌ではなく鋭利な短剣。


 光が走る。

 子どもが悲鳴をあげた。


「伏せろ!」


 オルフの怒号が村に響いた。

 その声に反射的に子どもたちがしゃがみ込む。

 盗賊の目が驚愕に見開かれる。


「な、なんで分かった……!?」


 だが、答えを聞く前に。

 オルフは踏み出していた。


 錆びた鎧がきしみ、槍の刃こぼれが陽光を反射する。

 だがその動きは、二十年の立ち続けた経験が導くものだった。


 一歩。

 足裏で地を踏みしめ、盗賊の呼吸の乱れを読む。


 二歩。

 槍を突き出す。狙いは喉元。


 三歩目で――止まった。

 穂先は盗賊の喉を正確に捉え、しかし皮一枚も切らない距離で寸止めされた。


 盗賊の顔に冷や汗が流れる。

「ひ、ひぃ……!」


 周囲の村人は凍りついたように動けなかった。

 ただ、錆びた槍が揺れる光景に見入っていた。


 盗賊が後ずさる。

 だが、オルフの眼は逃がさない。

 視線だけで動きを封じる。

 その眼に射すくめられ、盗賊はついに短剣を取り落とした。


 カラン、と乾いた音が響いた。


 村人の間から、どよめきが起こる。

「……本当に、武器を……」

「おっさん、見抜いてたのか……」


 嘲笑は消え、恐れと尊敬が入り混じった眼差しがオルフに注がれる。


 オルフは短く息を吐いた。

 槍を引き、背筋を伸ばす。


「俺は立っていただけだ。だが……それで十分だった」


 風が吹き抜け、村の門の木枠がきしむ。

 その音は、まるで長年の門番を讃える鐘の音のように、村人たちの胸に響いた。


 こうして――退役したただの門番は、初めて村を救った。

 誰も気づかなかった異変を見抜き、ただ一突きで脅威を止めた。


 そして村人たちは知ることになる。

 「立っているだけの男」の眼こそが、村を守る最初の砦なのだと。


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