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間違ってなんかない


「青柳さんは、どんな普通の人になりたい?」

その問いに答えられないまま、その日はお開きとなった。

頭がこんがらがって、学校に戻るという先輩にカメラを押し付けたままその場を後にしてしまったわたしは、逃げるように家に帰っていた。

わたしにとっての「普通の人」とは何だ?

それはきっと、この忌々しい耳を持たない人のことだ。

「障害は個性」と言う人がいるけれど、わたしはそれを信じたくなくて、でも、わたしの個性は障害によって生まれたもので。

障害者の青柳唯ではなくて、ただの青柳唯として見て欲しくてあんなに否定していたのに、その言葉通りになって。

それは、自分は障害者以外の何者でもないと言われているようで。

でも、その言葉は自分では否定できなくて。

そして、こんなところまで逃げてきた。

もしかしたら、わたしが普通になるということは、自分じゃなくなることなのかもしれない。

そんなわたしに、一体何ができようか。


その日の夜、久しぶりに悪夢を見た。

教室で糾弾されている夢。

机を裁判所のように並べ、その真ん中にわたしはいた。

それはあまりに理不尽なもので、言いがかりに近い罪状が次々に全会一致で積み上げられていく。

クラスの空気を乱した罪

授業中耳栓を使った罪

授業中喋ってるのを注意した罪

昼休みに図書館で本を読んでいる罪

男子の命令通りに給食を多く盛らなかった罪

そして、障害者に歯向かった罪

わたしの目の前に座る少年が口を開け、勝利宣言をあげた。

「以上の罪により、青柳唯は死刑!」

いつの間にか磔にされ、目の前には古風なライフル銃が並ぶ。

そしてそれらが一度に火を吹いた時、わたしは目を覚ました。

「なんか、もう慣れちゃったな」

糾弾されるのも、否定されるのも慣れたけれど、辛いものは辛い。

これはもう、昔の出来事だ。

そうやって忘れようとしても、ずっと頭にシミのように残っていた。

たぶんそれは、明日の昼に来るという「電話」のせいだ。


あの質問の翌日の昼休み、わたしは地域探求部の扉の前に来ていた。

結局普通とは何かなんてわからない。

障害がない自分は、それはそれで何か違うような気がする。

だからといって、全てを諦めて周りに合わせ続けるのも嫌だ。

障害を受け入れるというのも、何か違和感のある気がする。

「普通の人」がどうあるべきかなんてわからないけれど、わたしは。

誰かに傷つけられたくない、否定されたくない、孤独になりたくない。

それが今の願いだった。

多分、「普通になりたい」とはその手段でしかなくて、「障害者の青柳唯」は周囲から否定されやすいだけの存在なのだ。

もしかしたら、「普通の人」にもわたしにはわからない悩みがあるのかもしれないし、向こうにはわからないわたしだけの悩みもあるのかもしれない。

「…世界はわたしだけのもの」

他人を変えることなんてできやしないのだから、考えても仕方ない。

扉を開けて、中に入る。

しかし、誰もいない。

「…当然か」

誰もいないと踏んだから、ここに来たのだ。

しかし、

「こんにちは、青柳さん。」

声が聞こえた。

「こ、こんにちは、芹沢先輩。」

今、先輩と会いたくはなかった。

「とりあえずご飯食べにきたの、青柳さんも?」

「はい。」

先輩は椅子に座って購買のパンを齧る。

わたしはそれを立ったまま見つめていた。

「どしたの?ご飯忘れた?」

「いえ、持ってきてます。」

「じゃあ、座りなよ」

しかし、足は動かない。

「何かあったの?」

わたしの目を見つめ、彼女が聞く。


「昨日の質問?」

わたしの悩みの一つを聞いた彼女はきょとんとした顔をして、くすくすと笑った。

「ごめんね、軽い気持ちで聞いたんだけど、そんな真剣に考えてくれたんだ。」

「もっと気楽に答えてくれてよかったのに。」

なんて無責任な。

「答えをずっと考えてたんです。」

「でも、普通が何かすらわからなかった。」

だって、物心ついた頃から障害者だったから。

「障害は個性」という言葉を否定したくても、わたしと障害は強く結びついていて、障害がない自分は自分ですら無くなってしまうような気がした。

「普通になりたくても、それは自分じゃないような気がして。」

「周囲と同化することは、間違ったことを認める気がして。」

周囲のノリを維持するためなら悪いことでもする。そんなことは認めたくなかった。

「障害をどんなに恨んでも、耳はそのままで。」

「ずっと間違ってないと信じても、結果的に間違ったのはわたしで。」

そうだ、今年の一月。

わたしは間違ったのだ。



「なんで殴ったの?」

中学の相談室、わたしを沢山の大人たちが囲んでいた。


今年の一月、わたしは男の子を殴った。

その頃のわたしは、聴覚過敏を噓と言われ、「本物の障害者と接すればそんなこと言わなくなるだろう。」とそいつの世話を押し付けられていた。

そいつのクラスでの扱いは(障害者というのもあるのだろうが)かなり良く、常に友人に囲まれ、楽しそうに談笑している姿をよく見ていたため、「このくらいならまだ我慢できる」と思って引き受けたのだ。

しかし、そいつはなぜだかわたしに対してだけ行動がおかしく、体を触ってきたり、突然奇声を上げたりしていたのだ。

そして、もうそろそろ年度の終わりという時期の休み時間の移動中に事件は起こった。

「トイレ行きたい」と騒がれ、車椅子を押して多目的トイレの前まで運んだ。

「あとは自分でやって」

「なんで?俺障害者なんだけど。差別だよ?」

「なんで男子のトイレの世話なんかしなきゃ……」

最後まで言い切る前に、トイレの中に引き込まれた。

「みんな心の中では俺を馬鹿にしてんだろ!?」

「何を言って……」

口を手で押さえた彼は続ける。

「お前だってそうだ!お前をめちゃくちゃにしてやる!文句あるならチクってもいいんだぜ、俺は障害者だから問題ないけどな」

そういった彼はわたしの制服の上から胸を触る。

怖かった。

でも、それ以上に、怒りが沸き上がった。

障害者だから、何をしてもいい?

そんなわけない。

わたしが悪いことをしたとき、母さんはわたしを怒った。

世界にはルールというものがあって、それは誰しもが守らなきゃいけないものだ。

わたしは制服を脱がすために両手を使っていた彼の顔面を、力一杯殴った。


「……わたしは間違ってない。」

「何を言ってるの?あの子は障害があって、あなたは……そうだ、“自称”障害者だったわね。」

病院の診断書は渡したはずだ。

「あんな紙切れ、信じるわけないでしょう?耳が聞こえる障害なんて、世界には耳が聞こえなくて困ってる人がいるのに……」

「最近の若者は甘いからな」

「あんな甘えた気持ちでいるから、そんなありもしない被害妄想をするんだ。」

違う。あんたたちが何を言っても、わたしには辛いんだ。

「どうせ“向こうから襲い掛かってきた”ってのも被害妄想でしょう?車椅子のあの子が人を殴れるはずないもの。」

黙れ、人にあいつの世話を全部押し付けたくせに。

あいつは都合悪くなると奇声をあげることも知らないくせに。

わたしの体をベタベタ触ってくることも知らないくせに。

「仕方ないでしょう、あの子は障害者なんだから」

他の子にはしないのに?

わたしと二人きりになった時を狙ってくるのに?

「彼、泣いてたわよ」

「唯にトイレに連れ込まれて、抵抗できない自分を殴ったって」

その後も尋問は続いて、結果的に警察沙汰にまでなって、わたしは高校の推薦を失った。

警察の人からは、有罪になる確率はほぼ0だと言われたけれど、警察のお世話になった時点で終わっていた。

周囲からは「障害者差別のレイシスト」とよばれ、数は少なかったが少しはいた友人も失った。

そんなわたしはせめて高校は卒業しようと、親身な警察の人の勧めでここまで逃げてきたのだ。



「わたしはそんな人間で。それでも」

「誰に何と言われようとも、わたしは間違ってなんかない。」

そうだ、間違ってなんかいるもんか。

あの状況で、それ以外に何ができたというのだ。

黙って受け入れろと、彼らはそういうのだろう。

音による苦痛にも耐え、耳栓による奇異の視線にも耐え、あんな奴の嫌がらせも耐えてきた。

それでも、彼らは「受け入れろ」といった。

そしてわたしは、すべての苦しいことを自分の両耳のせいにした。

すべてこの耳のせいだと。

この耳さえなければ、こんなことにはならなかったのにと。

この耳さえなければ、わたしは「普通」になれるのにと。


その時、スマホが振動した。

画面に表示された発信者の名前は「裁判所」

もともとこの電話がくることを知っていたから、ここにいたのだ。

先輩には勢いで話してしまったが、出来れば周りには知られたくはないから、ここに来ていたのだ。

わたしがほとぼりが冷めるまで愛知にいることはむこうももちろん知っている。

しかし、怖い。

もしかしたらほぼ0を引いてしまったのかもしれない。

ボタンを押す手が震える。

しかし


「大丈夫」


先輩が私の手を握った。

「青柳さんは間違ってなんかない。私が証明する」

その言葉は、とても心強くて、温かい響きを持っていた。

その言葉を聞いた瞬間、金縛りにあっているみたいだった指が自然に動き着信ボタンを押す。

「……」

しばらく、先輩は手を握ってくれていた。

そして、その電話の内容は、予想だにしないものだった。


「大丈夫だった?」

「……無罪だって」

無罪だった。

どうやら、彼は別の人間に同じ手段で手を出した挙句、現行犯で捕まったらしい。

そしてそちらの状況からして、わたしにも同じ手を使ったとされ私への疑いが晴れたのだという。

「……よかった」

となりの先輩が呟く。

「まだ、この学校にいてくれる?」

「もちろん、入ったんだから、最後までやりますよ」

「この学校も、この部活も。」

やけに熱くなっている彼女の手をとり、私は答えた。

先輩がいなければ、きっと電話に出られなかっただろう、そしてきっと真実に気づかないまま、ずっと苦しい思いをしただろう。

感謝してもしきれない。

まあ、私にできる恩返しは、部活の手伝いをするくらいのものなのだが。

「先輩、あの話、内緒にしててくださいね。」

先輩ならきっと、内緒にしてくれるだろうという信頼は少なくとも自分の中にはすでにあった。

「もちろん。でも、その代わりに一つだけわがままを聞いてほしいの。」

先輩は続ける。

「今度の部活動紹介、一緒に出てもらえないかな?」

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