自分の求めたものは
我ながら、ずる賢い人間だと思う。
私、芹沢春はそんな自己嫌悪に浸りながら、大して景色は変わっていないのに未だ見慣れぬ廊下を歩いていた。
まだ僅かに冬の渇きが残る春の陽気は体内の水分と体力をわずかに奪っていく。
思い返すと、入学式からの1週間はだいぶおかしかったと思う。
部活の引き継ぎからクラス委員決め、新年度で浮き足立つクラスメイトを統率するのはだいぶ骨が折れたが、それに加えて彼女…青柳唯を部活に誘ったことが、最大のおかしい点だった。
地域探求部はこの学校の数多くの部活の中でも、特に特殊な部活だった。
少なくとも日本人なら誰でも知っているような、そんな有名な戦国武将の出身地である岡崎では…というより愛知全体で毎年かなりの観光者が来ている。
しかし、少子高齢化により若手が減少しつつある今、観光産業の維持のために、高校生のうちから観光産業に触れ、地域活性化を目指す…
そのために地域探求部の活動としては月に一回、地域誌に見開き1ページ、学校新聞の端っこに記事を書くことだ。
そんなやることが少ない部活だからか、去年の部員のほとんどが幽霊部員であり、専ら受験生専用部といった扱いを受けていた。
しかし、私はなんだかんだここが気に入っている。
活動している部員が極めて少ないため、基本的に静かで、自習をするにも、一息つくにも最適な場所だったからだ。
そんな場所に青柳唯を招待するために、本来ならしないようなことを1週間続けていた。
しかし、心のどこかにいるもう一人の自分は、極めて冷静に私の行動を批判している。
「青柳唯は障害者だから優しくしているんだろう?」と。
そんな下心がなかったなんて言い切れるわけがない。
でも、それが本心ではないとは言い切れる。
私は自分が好きな場所に青柳唯を招待してあげたい。
この学校は、この部活は良い場所であるということを彼女に知ってもらいたい。
そして、出来ることならば、彼女にもこの場所を好きになってもらいたい。
それが紛れもない、私の本心だった。
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青柳唯は授業終わりのチャイムと共に、教室から出た。
周囲はどこに遊びに行くかとか、休みの日の予定とか、部活見学でどの先輩がカッコよかったかとか様々な声が飛び交っている。
普段なら「よくこんなに会話のネタが尽きないものだ」とげんなりするところであるが、今日のわたしは一味違う。
いつもより鼓動が高鳴り、足取りも軽い。
今なら何でも出来そうな気分だ。
それこそ、大っ嫌いな長距離走でも。
その理由は、大体見当がついている。
先週の金曜日に彼女、芹沢春から地域探求部に誘われたからだ。
どんな部活かの説明もされてある。
部員がほとんど幽霊部員であることもだ。
仕事量が多くなるかもしれない?
地味だから楽しくないかもしれない?
関係ない、むしろ上等だ。
こっちは最初から部活ができるなんて思ってなかったのだ。
「学生らしいことができる。」
「普通の女の子みたいなことができる。」
それが、どんなに幸せなことか。
それはきっと、わたし以外の誰にもわからない、わたしだけの幸運だ。
そして、芹沢先輩。
彼女の力になりたい。
わたしに普通をくれる彼女に、できる限りの力を持ってサポートをしてあげたい。
普通ではない自分にだって、そのくらいのことならできるはずだ。
「まだ来てないのか…?」
部室にたどり着いたものの、芹沢先輩の姿は見えない。
「……誰だ?」
突然低い声が聞こえてくる。
驚いたわたしは、つい扉の影に隠れてしまう。
その声の主は知らない男の人だ。
おそらく3年生なのだろう。
「まだ仮入部は始まってないぞ。」
「えっと、あの、芹沢先輩のお手伝いに…」
先ほどの胸に溢れる自信とやる気はどこはやら、わたしは一転して蚊の鳴くような声を出すことしかできなかった。
「山田先輩、後輩をいじめないでください。」
後ろから安心する声が聞こえる。
「芹沢、勧誘なんかしたのか?」
「一人じゃ大変ですからね、先輩たちはほとんど来ないし。」
「ふーん、ならいいわ、好きにやんな。」
そう言い残し、大柄でメガネな先輩は廊下の向こうへとむかい、
「がんばれよー」
気の抜けたコーラみたいな声と共に消えていった。
「ごめんね、じゃあ、始めようか。」
山田という先輩がいなくなってから、二人きりになった部室で芹沢先輩が切り出した。
室内にはカメラや気持ち古めのパソコン。
「今はどんな仕事があるんですか?」
「4月の間にはね、来月の地方紙と学校新聞に提出する記事を書くことかな。あとは、月末の部活紹介。」
「部活紹介は地方紙とかの記事を使う予定だから、その記事を作っちゃおう。」
「今月の場所は決まってるの、今日は写真を撮りに行こうかなって。」
「今日の放課後は大丈夫?」
「はい、そもそも一人暮らしなので門限なんてないですから。」
「じゃあ、速く準備して出発しちゃいましょう。」
わたしは先輩から手渡されたカメラを受け取った。
その少し古ぼけたカメラには「地域探究部」と書かれたネームプレートが下げられ、首にかける紐がついていた。
学校の最寄り駅から学校までの道、かなりの長さの緩い坂。
その間にそれはあった。
赤い柵と、白い柵。
それに囲まれた小さな池。
そこから少し進むと、「六所神社」と書かれた石碑があった。
「ここですか」
「そう、通学路にあるけど、実はすごいところなんだよ」
周囲の下校中の一年生たちの波を縫って、わたしたちは神社の中に入った。
そこには周囲の比較的新しい街並みとは違う雑木林が広がってきた。
「鎮守の森、って言うんだよ」
「駅のほうには松の木が植えてあるの」
時間は17時を過ぎ、傾きつつある日の光が小石の道をかすかに照らし、手水舎に貯まる水や、馬の像を神秘的に輝かせていた。
「きれい……」
「そうでしょ。きれいだよね、この時間の景色」
わたしはほぼ無意識のうちにカメラを持ち上げ、シャッターを切る。
「時間ないし、上に向かおうか。」
その言葉と共に、やけに急な階段を上り、目がちかちかするくらい明るい赤の楼門をシャッターを切りながら抜ける。
その先にも、楼門と同じ赤の立派な拝殿があって、もちろんそこでもシャッターを切った。
しかし、わたしは拝殿の右手側にある「母子犬」という銅像に気持ちが向いていた。
子犬を伏せながら見つめる母犬の像だ。
どうやら、撫でると安産祈願の効果があるらしい。
そして、犬の撫でる場所は全国共通なのか、背中から頭頂部において、撫でられた跡である銅の色があった。
違うところを撫でたら後利益がちょっと下がるかもしれないけれど、わたしは母犬の顎を撫でた。
実家の猫がそこを撫でると喜んでいたからだ。
別に子犬のほうでもよかったのだが、母犬の銅の色が少ないのが少しかわいそうに見えた。
「記事を書くときに、ここによく来るんだ。」
いつの間に隣に立っていた先輩は続ける。
「駅前のなのに意外と人が少なくて、どこか安心して、落ち着いて考え事をしたいとき、一人になりたいとき、そんな時にここに来るの」
「どうして、そんな場所を私に?」
そういうものは、秘密にしておくものではないのか。
この会話を記事にしないにしても、教えれば安心する秘密の場所ではなくなってしまうのに。
「どうしてだろう、もし私が逃げちゃった時のため、かな。」
「逃げる人には見えません」
「それは、青柳さんが私のことを知らないからだよ」
急な階段を、わたしを見ながら降りる先輩は、やけに危なっかしく見えた。
先輩のことを知りたいとは、思う。
でも、無理に知ろうとしたら、先輩は逃げてしまうかもしれない。
そんな危うさ。
階段を降り切って、こちらに振りむく。
沈みかけた日に照らされる先輩はまるで、夢の中の天使のように輝いて見えた。
「青柳さんは、どんな普通の人になりたい?」
世界が止まった、そんな気がした。
普通とは、なんだ。
音で頭が痛くならない人のことか。
それとも、どんな時でも友達と話せる人か。
もしかして、成績がすべて平均値の人のことか。
わたしは、普通を知らない。




