名もなき貴方へ
それは、誰宛かの手紙。
海岸を歩いていると、噂には聞いていたが、まさか瓶詰の手紙を見つけるとは思いもしなかった。
コルク栓の上からろうそくのロウのようなもので、中に水が入らないようになっていた。
瓶自身も、昔見たことがあるような、ジュースの瓶だ。
一旦、何かあれば怖いので、ネットで知った文化財の確認をしてくれるところへと向かう。
大阪府手野市にある手野総合博物館、そこに連絡を取ってみた。
「あの……」
俺は受付で予約をしていたことを伝えると、すぐにとある建物へと案内をされた。
そこへ入ると、受付から連絡が入っていたようで、学芸員が応対してくれた。
「ご予約をされていた方、ですね」
「あ、はい。そうです」
どうぞこちらへ、と案内をしてくれた。
「えっと、中村様、でしたね。それで、本日は海岸で手紙が封入された瓶を拾われた、と」
「ええ、これになります」
ゴトリと会議室に用意されたステンレス製の金属バットの上に置く。
一応、バッドの中に不織布が敷かれてたため、傷つくことはなさそうだ。
「……なるほど、これですか」
そういって白手袋をして、学芸員が瓶を慎重に転がしたり上げたりして外見を確認した。
「この瓶自身は1890年代から1920年代に、テック・カバナー食品という会社で創られたものですね」
同時に、カメラを持ってきて、いろんな角度から写真を撮りまくっていた。
言いながらさらに慎重にロウの部分を切り取る。
「これについては成分分析してみないとわかりませんが、おそらくは1900年代初頭のロウでしょう。ともなると、中の手紙も、その前後に書かれたものと推定します」
続けて、ロウを何かのジップロックのような口を閉じれる袋にしまい、さらにふた部分の中身をこじ開けて、蓋となっているものも、中の空気も一緒に先ほどのものとは違う袋へと閉じ込めた。
これらは後で別に試料分析を行うと教えてくれた。
「では、手紙を取り出します」
ここも素手ではなく、細長いピンセットを使って、手紙を引き出した。
「……ふむ、なるほど」
学芸員が手紙をピンセットで広げながら中を読んでいるようだ。
「なんて書いてあるんですか」
思わず俺は聞いてみた。
「潮流試験をするために、サンフランシスコからこの瓶を流した。もしも拾った場合には、アメリカ合衆国マサチューセッツ州プリマス郡カバナー市にあるカバナー大学のアンドリュー・スミス海洋学終身教授研究室に連絡を入れること。1903年5月24日記す」
手紙をまるまる読んだようだ。
「今日は2024年12月25日なので、100年以上前の手紙ってことですか」
「そういうことのようですね。連絡先も書かれていますので、こちらから連絡を入れてみますか?」
「ぜひともお願いします」
俺はそうお願いをした。
しばらくして、博物館の代表電話から連絡が来た。
どうやらお礼として規定のお金を支払うそうだ。
ただすでにアンドリュー・スミス教授は死んでいるので、代理の人が来るのだという。
受け取りは手野市にある春雷会という団体の施設だ。
正装をしてきてほしいということなので、一張羅を着こんで向かうと、すぐに洋室の一間に案内される。
ドキドキしながら周りを眺めていると、ネットで調べた通り、明治時代後期当時の様子が残っているようだ。
ただ詳しくはないから、よくわからないが、専門家なら垂涎ものなのだろう。
「……お待たせいたしました、どうぞこちらへ」
ノック3回で、さらに別室へ案内をされる。
と、そこにはアメリカ人が3人立っている部屋だった。
通訳なのか、日本人も2人いる。
こちらも洋室だが、さっきまでいたのを客間とするなら、ここは応接室だ。
ソファーの類はないから、必然的に立って受け答えをすることになるだけだ。
「初めに、こちらはカバナー大学の副学長、生命環境学部学部長、それと現海洋学教授の御三方です」
英語でぺらぺらと案内をされるかと思いきや、最初から通訳の人が説明をしてくれている。
逆に俺の方も通訳の人が向こう側へと紹介をしてくれていた。
わざわざ来てくれているのだが、内容としては俺への品物を手渡しするという程度のものだった。
記録をたどると、報告をしてくれたのは、俺で47人目らしい。
そして当時教授が残していたものによって、俺が受け取る品物も規定されていたそうだ。
それが大学からの贈り物として、公式グッズとしてピンバッチと特別な帽子の2つだ。
当時は木製の盾を規定していたらしいのだが、それが今となってはなくなってしまったため、同じ図柄を使っているピンバッチになっているらしい。
それと、規定の金額をくれることになっていた。
昔も今も金額は変わらず10米ドルとなっている。
そして最後、俺と彼ら3人と握手をして、記念撮影をして終わりとなった。
今、家にはその時にもらった帽子を飾り、ピンバッチも専用の台紙に張り付けて壁に飾っている。
使えるそうなのだが、もったいなくて使う機会がない。
いつかアメリカでも旅行に行くときにでも使ってみようとは思う。
それがいつになるのかは、波の音だけが知っているだろう。