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殺人犯の弟

作者: 緒川 文太郎

 僕は殺人犯の弟だ。


 僕には八つ歳の離れた兄が居り、僕が高校に入学して間もない頃に殺人事件を起こした。愛する人と永遠に共に居たいという、何とも不可解な理由からだった。兄が逮捕されてからは、父母と共に逃げる様にして、当時住んでいた街から引っ越した。だが、引っ越して一週間も経たない内に、殺人犯の家族だという噂が立ち始めた。兄一人が犯した罪の所為で、僕等加害者家族には、何処に逃げても安住の地は無かった。

 そんな理由で、転校した高校では僕はいつも独りだった。誰とも会話をせず、目を合わせる事も無かった。強制参加の部活動で囲碁部を選んだのも、それが一番の理由だった。僕は、誰とも関わらない生き方を選ばざるを得なかったのだ。


 囲碁部で出会ったのが彼女だった。一学年先輩で、囲碁部の部長を務めていた。囲碁を打つ彼女の白くて細い指を見ている内に、僕は自然と恋に堕ちていた。恋の熱に浮かされたのだろうか、殺人犯の弟の分際でありながら、彼女に告白をしようと思い立った。絶対に酷い振られ方をすると覚悟を決めていたが、彼女は笑顔で僕の告白を受け入れてくれた。

 彼女と交際を始めてからは、僕の世界が一変した。登下校はいつも彼女と一緒で、放課後も暗くなるまで囲碁部に入り浸った。僕の兄の事は知っている筈だが、彼女はその事について一切触れて来なかった。僕は、高校へ通うのが楽しくさえ感じられた。教室では相変わらず浮いた存在ではあったが、彼女と一緒に居られれば僕はそれで幸せだった。彼女が、僕の全てになった。


 「一寸だけ、寄り道して帰らない?」

下校途中で彼女にそう提案され、丁度通り掛かった公園に立ち寄る事にした。公園内の少し奥まったベンチに腰を掛け、僕等は本日の部活動での対戦結果等について語り合っていた。隣り合って座った彼女と指先が触れ合い、自然と互いに見詰め合う形となった。彼女がゆっくりと目を閉じた瞬間、僕等の唇は触れ合っていた。遠慮がちな唇だけの触れ合いから、徐々に舌と舌を絡め合う大胆なものへと変わって行く。気付けば僕は、彼女の後頭部へと両腕を廻し、激しく彼女を貪っていた。彼女の全てが欲しい。僕はゆっくりと彼女の後頭部から手を滑らせ、彼女の頸部の後ろに両手を添えた。このまま両手で絞めてしまえば……。

「ん……。」

息苦しそうな彼女の声で、僕ははっと我に帰った。

「は……激し過ぎ……息、出来ないよ……。」

紅潮した顔で息を切らせる彼女に、僕は更なる興奮を覚えると共に、先程の己の感情に戦慄した。僕は、彼女に何をしようとしていたのか……。


 その日の夜、僕はベッドの中で考えを巡らせた。殺人犯である兄と同じ血が、僕の中にも流れている。僕は兄と同じ様に、愛する人を求めるが故に殺してしまうのか?殺人を犯さずには居られないのか?

 僕は何度も寝返りを打ちながら、悶々と考え続けた。ふと、返還された押収品の中に、兄のコンピュータが在った事を思い出した。夜中にも拘らず、僕は物置に仕舞い込んだダンボール箱を漁り始めた。やっとの思いで兄のコンピュータを捜し出すと、電源を入れて片っ端から中のデータを確認して行った。その中に、『愛の道行き』と名の付いたワードファイルを発見した。僕は意を決してそのファイルを開いた。


 翌日、僕は彼女に別れを切り出す事にした。嫌いになった訳では無い、好きだからこそ別れるのだ。僕は兄のコンピュータに在った手記を読み、兄が抱いた狂おしい程の恋心を理解してしまったのだ。一時でも離れる事の出来ない程に、離れるなら殺してしまいたい程に、狂気のままに人を愛する感情。このまま傍に居れば、僕は同じ血が流れる兄の様に、何れ彼女を愛の名の下に殺してしまうかも知れない。

「ごめん、別れよう。」

そう告げた時の彼女の悲しげな表情は、きっと一生忘れられないだろう。彼女は、彼女の両親が僕に何かを言ったと勘繰っていたが、そんな事は全く無かった。内心では僕の兄の事は気になっては居ただろうが、面と向かって何かを言われる事は無かった。

「嫌だ……、嫌だよ。未だ私、こんなにも好きなのに……。」

そう言って、大粒の涙を流す彼女に、僕は非情にも背を向けた。背を向けなければ、情けなく涙を堪える僕の顔を見られてしまうから。

「先輩、今まで本当に……ありがとう。」

最大限の平静を装って、僕は一言だけ彼女にそう告げて立ち去った。

 その翌日から、僕は高校には一切行かなくなった。


 数ヵ月後、僕は初めて兄の面会に訪れた。以前の僕では考えられなかった事だが、今では兄の犯行動機が少しだけ理解出来る様な気がした。

「……久し振りだね。」

「久し振り。兄さんの好きなコーヒーを持って来たんだけど、差し入れ出来ないって言われちゃった。ごめん……。」

僕がそう言って挨拶をすると、兄は以前と同じ穏やかな微笑を浮かべた。僕とそっくりだった。

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