84.
「ジュスタン、あの人は誰?」
「この貧民街を取り仕切っているロドルフという男だ」
「……ボスに隠し子がいるなんて話も、養子をとったっていう話も入ってきてないんだけどな」
俺とジェスを見比べて、ロドルフは首を傾げた。
「この子はジェスだ。この名前はお前の耳になら入っているだろう?」
「は!? ジェスって……、まさか……その子供にしか見えないのが……ドラゴンなのか!?」
「そうだよ! ボクの事知ってるの?」
貧民街と平民街の境には、荒くれ者の冒険者が出入りする場末の酒場から貴族も出入りする高級娼館まで、夜の店が多数ある。
そのほとんどの店には、ロドルフの息がかかっていると言っていいだろう。
そしてあらゆる情報はこのロドルフの耳に入ってくるというわけだ。
「この男は王都内の事なら大抵知っている物知りだからな、今回も話を聞きに来たというわけだ」
「はは、まぁそういう事だ。立ち話も何だし、お茶を飲みながら話す時間はあるんだろ? ボスの好きな茶葉も買っておいたのに、なかなか来ないから来る前に劣化しちまうかと思ったぜ」
「悪かったな、知っての通り色々あったんだ。というか、ボスはやめろと言っているだろう」
ロドルフの事だから、裁判や実家に戻っていた事、ジェスと従魔契約どころかジャンヌとの契約の事すら知っている可能性がある。
「へいへい、だけど皆ジュスタンの事を本当のボスだと思ってるはずだぜ。オレもそうだしな」
ロドルフは慣れた様子でエレノアの手綱を引いて誘導した。
従騎士だった頃に知り合って以来、王都に来た時や第三騎士団に入ってからも時々会っているからエレノアも慣れている。
二階建ての庭付きの家に到着すると、ジェスの見た目と変わらない年頃の子供がエレノアを迎えに来て連れて行った。
この家の使用人は全て貧民街の孤児達で、ロドルフは仕事を与えて賃金を払っている。
古いが中は手入れが行き届いた居心地のいい家だ。
掃除や食事は働きに出るには難のある女性達がやっている、提案したのは以前の俺なのだが。
ちょっとした保育所のような事も提案して、この家の一室は子供好きにはたまらない部屋になっている。
最低限の体裁を整えてある応接室に通されると、片足を引きずった中年女性がカートを押してお茶を運んで来た。
彼女は五年前に貴族の馬車に轢かれて後遺症が残ってしまったそうだ。
商家の下働きをしていたが、怪我をして解雇されたところをロドルフが拾ったらしい。
「それにしても、ジュスタンの事をジュスタンって呼ぶ人は少ないのに、ロドルフは呼ぶんだね。仲良しなの?」
「おっ、気になるか!? 聞くか? オレとジュスタンの出会いを」
「聞く!」
正直俺としては荒れていた頃の話はジェスに聞かれたくないのだが、目をキラキラさせて聞く気満々のジェスにダメだとは言えなかった。
ウキウキしながら話す気満々のロドルフもやめるとは思えないしな。
「そうだなぁ……、あれはまだジュスタンが騎士になってない従騎士だった六年前……。ジュスタンは十六歳だったか? 今の姿からは想像できないくらい荒んだ目をしていてな、親の目を盗んで王都の屋敷を抜け出して貧民街に来たんだ。仲間達と身なりのいいジュスタンから金目の物をいただこうとしたのに、強いのなんのって! 十人以上いたのに逆にボコボコにされたんだよなぁ」
「まともな食事をしていないこどもの集団なんて、何人いても魔物討伐より簡単だ」
実際何度も実戦を経験した後だったし、子供の集団だったから脅威でも何でもなかった。
食べ物が欲しい、それだけで殺意も何もなかったから軽く小突く程度で怪我しないように手加減もしたっけ。
何より……、誰からも必要とされていないと思っている子供達の目が、当時の自分と同じに見えた。
「倒れたオレ達を放置してどこかへ行ったと思ったら、食い物持って戻って来て食べさせてくれたよな。それでチビ達もすっかり懐いちまってよ、それからも王都に来るたびに何だかんだ理由をつけてちょっとした仕事や食い物をくれて……、オレにもこれからどうすればいいか教えてくれたりな。この目の傷がついた時も、ジュスタンがポーションを置いてってくれなければ死んでいたかもしれない」
そう言ってもう開かなくなった左目に触れた。
大人のゴロツキと対決した時、骨まで届く切り傷を付けられたらしい。
高級な物ではなかったため、傷は塞がったものの失明は免れなかった。だが本人は感謝してくれている。
「そうなんだぁ、ジュスタンすごいねぇ」
「別に……、そう大した事はしていない」
純粋に尊敬の眼差しを向けてくるジェスが眩しい。
「元々将来的に王都に来て出世しようとは思っていたからな、王都の情報はあるに越した事はないと思ったんだ。それにはこいつらみたいなのが適任だから、ちょうどいいから利用させてもらっただけの話だ。幸い俺は実家で金を使う事もそうなかったし、それなりに収入もあったからな。……もういいだろう? いいかげん情報交換をするぞ!」
実際嘘ではないし、なにより俺の中のジュスタンがいい人に見られるのは恥ずかしいと叫んでいる。
俺も前世で思春期にこっそり悪ぶっていた時期があったが、その時に素の自分を見られた瞬間の気恥ずかしさは何ともいたたまれないものだった。
「へいへい、それじゃあジュスタンが最後に顔を出してからの目ぼしい情報をまとめてあるのは……、こっちが王都全体、こっちは貴族街、商人街、平民街に分けてある。気にしてると思って王太子と婚約者の行動を調べたのはこっちだ」
「さすがだな。俺の欲しい情報をよくわかってるじゃないか」
「長い付き合いだからな」
その後、結局夕食の時間まで情報交換とほんの少しの悪だくみを話し合った。