78.
エルネスト視点です。
聖女達が王都を出てからひと月近く経っただろうか、大神殿前の噴水に沈めたお守りの事もすっかり忘れて王太子としての政務をこなしていた。
ヴァンディエールがいないせいか、最近は妙にいら立つ事もなく日々は平穏に過ぎている。
いっそこのままヴァンディエールが戻って来なければ、ずっとこんな日が続くのではないかと考えてしまう。
しかし奴の強さはこの国に必要なものだ、できれば奴隷……は無理でも平民に身分を落とした状態であれば安心できるのだが。
書類の束から目を逸らし、ため息と共に窓から見える青い空を仰いだ。
ヴァンディエールはともかく、聖女は連日の野営で大変な思いをしていないだろうか、聖騎士達がいるから身の危険は問題ないだろう。
「大変です、エルネスト様!! 第二騎士団からの報告で、大神殿の前に大量の魔物が出現したそうです!!」
「何だと!?」
いきなりドアを開けて入って来た護衛騎士の一人により、信じられない報告がなされた。
ヴァンディエールに及ばないものの、私の剣の実力は護衛騎士達も認めるほどだ、すぐに装備を整え魔物が出たという場所へ向かう。
「報告によりますと、大神殿の噴水の所で言い争っている者達がいて、喧嘩を始めたかと思うと噴水から湧き出るように魔物が現れたそうです! 近隣の住民はすぐに家に籠るように指示してありますが、すでに何人か犠牲者が出ているとか」
移動中に聞いた報告に全身の肌が粟立った。
大神殿の噴水……、まさか……な。
貴族街を通り抜ける間にも数体の魔物と遭遇した。
幸い貴族の屋敷には塀や門があるため、被害は出ていないように見える。
しかし、魔物が発生したという大神殿は貴族街と商人街の間、人の往来も多ければ、当然店に塀などない。
それこそ平民街であれば、魔物の体当たりで壊れてしまいそうな家はいくらでもある。
もしもあのお守りを噴水に置いていこうと思わされていたとしたら、この騒ぎは私のせいという事だ。
そもそも神官長の時もおかしいと思わねばならなかったのだ。
いくら聖女の力を見せつけたいとしても、本来目的のために民を傷つけるのをよしとするような人物ではなかった。
今回の私のように誘導されていたとしたら……。
もしや以前のヴァンディエールも、という可能性すらある。
ダメだ、そんな事より今は王都の民を護る事に集中するんだ!
そこかしこで第二騎士団が魔物と戦っている。
最初に魔物が目撃された大神殿の前に行こうとするが、溢れるように現れる魔物達のせいで近付くことさえできない。
「く……っ、怪我した者は下がれっ! 第二騎士団の者っ、ここの指揮は誰がとっている!?」
「コンスタン副団長が商人街の南広場で陣頭指揮をとっていますっ! 平民街に魔物を行かせないようにと!」
賢明な判断だ、王都は王城を中心に貴族街、商人街、平民街と円が大きくなるような造りになっている。
そのため平民街に魔物が流れると、探索範囲が一気に広がってしまう。
暴れている魔物は角兎のような小物から、魔熊のような大物まで多種多様でみんな苦戦していた。
一旦この場の指揮をとっている者と合流した方がよさそうだ。馬達も混乱しているが、何とか落ち着かせて教えられた広場へと向かう。
南広場に到着すると、黒狼に囲まれている第二の騎士達を見つけた。
「加勢するぞ! このまま黒狼達の後方から攻撃せよ!」
私の号令で護衛騎士達が勇ましい返事と共に速度を上げて黒狼達に斬りかかる。
こちらに黒狼達が気を取られた隙を逃さず、第二の騎士達が次々と黒狼達を斬り伏せていった。
「ありがとうございます、エルネスト様。助かりました」
そう言ったのは知っている騎士だった。団長代理をしているコンスタン・ド・ロルジュ、学院時代から何かと絡んできていたヴァンディエールを何度も諫めてくれた者だったからよく覚えている。
「ロルジュ、状況は?」
「よくありません。平民街に行かせないようにするのに精一杯といったところですね。ですがとりあえず住人は建物の中に避難できたようです。できればこのまま魔物の発生源に行って状況確認をするつもりですが……」
「魔物の数が多くて近付けないというところか」
「はい。魔物との戦闘に慣れた第三騎士団がいれば……っ、いえ、今のは忘れてください」
ロルジュの気持ちはわかる、私の護衛をしている第一騎士団も、第二騎士団も基本的に対人戦闘であれば問題ないが、魔物との戦闘は第三騎士団に比べれば不慣れだ。
悔しいが、ここにヴァンディエールがいれば早々に片がついただろう。
「ふっ、あの見たくない顔を見たいと思う日が来るとはな。だがいない者に頼る事はできない、我々で何とかするぞ」
「見方を変えれば魔物素材が獲り放題って事です。あいつらが帰って来たら儲けた額を自慢してやりましょう」
「儲けた分は山分けだなっ! 大神殿の前に向かうぞ!!」
軽口を叩くロルジュが頼もしかったが、かなり疲弊しているのには気付いていた。
いったいどれだけの魔物がいるんだ。
歴史で習ったスタンピードほどではないが、外からではなく王都の内側から攻撃されているせいで混乱している者が多い。
「はぁっ、はぁ……っ!」
数時間かけてやっと大神殿が見える位置にまでやってきた。
ここ最近はかなり気合を入れて鍛錬してきたと思っていたが、すでに手に力が入らなくなってきている。
剣が妙に重い、鎧も拘束具かと思えるほどに煩わしく、自分の呼吸音が大きく聞こえた。
そんな時によりによって魔熊という大物が現れた。
他の者も自分と同じく疲弊しており、魔熊が腕を振りかぶっているのが見えるのに、剣を持つ腕が上がらない。
死を覚悟した瞬間、斬り落とされた魔熊の腕が宙を舞った。
「団長の言う通りだったな。エルネスト様、ここは引いて休んでください。ジュスタン団長は何日か遅れて来るでしょうが、山脈に向かった団長達以外の第三騎士団はここに到着していますので」
ヴァンディエールの判断に助けられた。
そう思った時、悔しさと安堵で不覚にも涙が出そうになった。
次回からはいつも通りジュスタン視点になります。