70.
「団長、あそこに見えるの煙じゃないですか?」
休憩中に用を足すために少し集団から離れていたマリウスが、戻って来た途端に上空を指差して言った。
うっすらとだが、確かに一筋……、いや、二筋ほど煙が上っているのが見える。
森に入って十日ほど経っただろうか。ジェスの感覚を頼りに進んできたが、進んでも進んでも森と山しか見えず辟易してきたところだったので、変化があるのはありがたい。
「確かに……。山岳民族がいるという情報はなかったはずだが……。わざわざこんな森の奥の山まで調査に来てないだけかもしれないな」
『あの煙の方にお母さんの気配がするよ』
外した俺のマントに包まって、愛馬の上に座っているジェスが煙の方を指差した。
「何ッ!?」
「え? どうしたんですか? ジェスが何か言いましたか?」
「ああ、あそこに見える煙の方に母親がいるらしい」
「「「「「ええぇぇぇぇ~!?」」」」」
たまたま俺とマリウスの会話を聞いていた部下達数人が大声を出した。
「何事ですか!?」
部下達の声を聞きつけて、聖騎士団長のアクセルが駆け寄って来た。
「あそこに煙が見えるだろう? あの方向にジェスの母親の気配がするらしい」
「煙……? あの、他の皆さんも見えているんですか?」
俺が指差した方を目を凝らしながらアクセルが見たが、どうやら煙が見えてないらしい。
戸惑いながら周りにいる第三の騎士達に聞くが、全員頷いている。
もしかして遠征ばかりしていた俺達は、視力が発達しているのかもしれない。
逆に聖騎士は巡礼の旅で護衛する事はあっても、普段は王都から離れない上に、ほとんど大神殿の中にいるから俺達ほど目はよくないのだろう。書類仕事も多そうだしな。
「何かあったんですか?」
遅れてやって来たのは、疲れた顔の聖女。
山の中の村育ちといえど、男ばかりに囲まれて十日も移動と野営をしていれば疲れるだろう。
「聖女はあの煙が見えるか? あの方向にジェスの母親の気配がするらしい。ジェスが住んでいた巣があるのか、はたまた山岳民族が住んでいるのかはわからんがな。もし山岳民族がいるのであれば、運がよければまともな休息が取れるかもしれないぞ」
「…………!! じゃあもう少しですね! あの距離なら今日中に到着できるかもしれません、がんばりましょう!!」
疲れのせいか理解するまでに数秒かかったようだが、聖女は明らかに目の輝きを取り戻した。
村から大神殿に来て以降、ずっと柔らかなベッドで寝ていたもんな。
その生活に慣れた頃にこの野営生活させられたんじゃあ、ベッドが恋しくて当然だ。
「あ……、聖女様にも見えるのですね……」
ダメージを受けている男がここに一人。
「俺達は普段から遠征に行っているし、聖女は山育ちらしいから目がいいんだろう。料理もそうだが、得手不得手というものがあるのは当たり前だ」
結局聖騎士団の料理は、最初の食事をマズそうに食べているのを見かねた聖女が作る事になった。
とは言っても、今いる場所では下手に煮炊きすると、少々相手をするのが面倒な魔物も出てくるので、ほとんど携帯食や作り置きで過ごしている。
「ではこの先も煙を目視できる第三騎士団に先導をお願いします。その煙の場所にドラゴンがいなくても、情報だけでも手に入りそうですからね」
「そうだな。あとはそこにいる者達がこちらに友好的かどうかが問題だ」
もしも伝説のエルフだったとしたら、きっと縄張りに俺達が入る事すらよしとしないだろう。
仲間意識が強くて、他の種族と関わろうとしないらしいからな。
「聖女様がいらっしゃるのに、友好的でないなんて事はないでしょう」
「あんな山奥にまで、神殿の教えが届いているとは思えないがな。希望を持つのは自由だが、知らない土地では最悪の状況を予測し、構えておく事をおすすめするぞ。楽観的なだけでは聖女は護れまい」
「……っ! 忠告感謝しよう」
反発するかと思ったが、それよりも聖女を護る事を最優先と考えて飲み込んだらしい。
どこかの一応王太子している奴にも見習ってほしいくらいだ。
休憩が終わり、煙の発生場所を目指して進む。
背中ではジェスが時々お母さんに会えると呟いてソワソワしているので、早く会わせてあげたい。
結局その日は大体近くまで来たとは思うが、陽が落ちてきた事もあり野営する事になった。
もう聖騎士達だけでテントも手際よく張れるようになったし、こちらの手を必要とする事はなくなっている。
そしてその日の夜、いつも通りジェスと一緒に寝ていたら、ジェスが身体を起こした。
「どうしたジェス、眠れないのか? 明日には母親に会えるといいな」
半分寝ぼけながらジェスを撫でる。
ジェスもいつものように俺の手に顔を擦りつけるように甘えながら、クスクスと笑った。
『もう会えたよ』
「そうか、もう会えたのか、よかったな…………会えた?」
寝ぼけた頭でもおかしい事を言っていると理解した、いや、一瞬理解できなかったが。
驚いてカバッと身体を起こすと、そこにはゆったりとした服を着た妙齢の美女が立っていた。
「ふふ、どうやら我が子は大切に可愛がられているようだな。妾から子を奪った者達であれば、皆殺しにしてやろうと思ったが、どうやら違うようだ」
『うん! ジュスタンはボクを助けてくれて、名前もつけてくれたんだよ! それでね、美味しいお菓子も作ってくれたの。まだあるからお母さんも食べる? ボクの分食べていいよ、ボクはまた作ってもらえるから!』
ジェスの言葉で、母親と再会したからと俺から離れる気がないというのがわかった。
嬉しくなって、優しく指でジェスの頭を撫でる。
「そうか。ならばこの先のドワーフの里で待っていよう。朝に出発すれば昼には到着するだろうて。ジュスタンとやら、坊やを助けてくれて礼を言う」
ジェスの母親はそう言うと、テントから出て行った。
裸足のままジェスを連れて追いかけると、不意に月明かりが陰る。
夜空を見上げると月明かりの下、美しい蒼いドラゴンが昼間見た煙の方向へと飛んで行くのが見えた。