215.
今回は黒狼SIDEストーリーです
「ねぇ藍、草から連絡が来たよ~」
報告をしながら、たゆんと音がしそうな胸を揺らし、黒狼の頭の隣に座るダークエルフの女性。
金髪碧眼のエルフと違い、白髪に近い銀髪に月のような薄い黄色の瞳と、褐色の肌にむっちりとした肉付き。
一瞬その揺れる胸元に目を奪われつつも、興味のないフリをして読んでいた書類に視線を戻したのは黒狼の頭である藍というエルフの男性だ。
「あいつか。最後に向こうから連絡があったのは十年以上前だったな。あの代わり映えのしない里に何があったんだか。蘭はもう目を通したか?」
草というのは名前ではなく、現地にその辺の草のように紛れ込んで情報を得るスパイの役目をする者の事である。
黒狼が里を飛び出した時、情報収集と情報操作をするためにもと、仲間を一人紛れ込ませていた。
逆に万が一にでも黒狼内に裏切り者がいた場合を考え、黒狼内でも名前を言わずに草と呼んでいるのだ。
「何かねぇ、よそ者が里に来たみたい。例の場所に手紙が入ってたんだって。あの家畜の餌の米の美味しい食べ方とか書いてあるけど、わざわざそんなの食べなくても、他の物を食べればいいのに」
黒狼の集落にある頭の執務室には、里から手に入れた畳が敷かれ、立派な文机もある。
その文机の上に届けられた手紙を置くと、蘭はコテリと藍の肩に頭を乗せた。
書類を持つ藍の二の腕に当たる柔らかな感触。藍の表情は変わっていないが、満更でもないと蘭は正しく理解している。
「ちょっと! また藍への報告書を勝手に持って行ったわね!」
スパァン! と勢いよく執務室の襖を開けたのは、蘭とは違い他のエルフと同じくスレンダーなエルフ女性。
「菊ってば~、そんなに怒らなくてもいいじゃな~い! 運ぶ手間を省いてあげただけなんだからぁ」
藍の肩に頭を乗せたままそう言う蘭に対し、菊は明らかに苛立った。
この部屋に揃った三人が、黒狼のトップメンバーだ。
「ちょっと魔力量が多くて藍に重宝されてるからって調子に乗らないでよね! さっき蕗が探していたわよ、また作業の途中で抜け出したんでしょ!」
「あ~あ、バレちゃった。もう戻るからそう怒らないでよぅ。また後でね、藍」
蘭の肩から二の腕にかけてスルリと指先で撫でて立ち上がると、執務室から出て行った。
その瞬間、菊はぴっちりと襖を閉め、藍の隣に座る。
「ねぇ、あんな女に何鼻の下伸ばしてんの?」
「あんな女じゃなくて蘭、だろう? 仲間なんだから邪険にするな。怒った顔も綺麗だが、私は菊の笑顔が好きだ」
「もうっ! 藍ったらいつもそうやって誤魔化すんだから!」
頬を膨らませて不満を訴えてはいるが、明らかに先ほどより機嫌がよくなっている。
実際のところ、エルフ達の顔立ちはとてもよく似ているため、菊を綺麗だという事は藍が自分の事も綺麗だと認識している事に他ならない。
「蘭と違って菊は三百年一緒にいるんだ。赤ん坊の頃から知っているお前を誰より信用しているし、大切に思っているという事を忘れないでくれ。蘭は少々頭は弱いが、膨大な魔力を持っているから補佐をしてもらうと助かるのはわかるだろう? 故郷からコーヒーだって持ち込んでくれたから邪険にはできないさ」
そう話しながらも、藍は菊の手を取り、優しく撫でて見つめ合う。
すっかり恋する乙女の顔になった菊に対し、トドメとばかりに優しく微笑みかけた。
自分が知る中で最も優秀で、幼い時から兄のように慕ってきた藍に、菊は惚れこんでいる。
藍もその事をわかっているからこそ、真っ先に黒狼の右腕として選んだのだ。
「それはわかってる、けど……。ねぇ、今夜……部屋に行っていい? 蘭より先に藍の子供がほしいの」
「わかった。待っているからおいで」
「約束ね! あっ、これ、今日の報告書! それじゃあ、今夜……ね?」
喜々として執務室を出て行く菊を見送り、蘭は口の端を上げた。
子供ができにくい長命種のエルフは、結婚という制度がない。
代わりに生まれた子供は里全体で育てるのだ。
己が優秀だと自覚している藍は複数の女性から求められるのは当然と考えているから、菊以外と関係を持つ事に何の罪悪感などなく、むしろ誇らしく思っているのが透けて見えた。
エルフの中でも魔力量が多く、己を慕う者達をまとめ上げるリーダーシップもあり、知識欲も周りに比べて旺盛だったため書物を読んで色々と学んだと自負する藍。
その読んだ書物の中に先人の日記や、妄想を書き連ねた物語なのか、本当の事なのか定かではない物もあった。
運悪く多感な時期にそういう書物を読んでしまった藍は、己こそがこの書物に書かれている主人公なのだと考えるようになってしまったのだ。
蘭や菊、黒狼の仲間達は知らない。
黒狼ができたきっかけ、そして野望。
それらが里の書庫に眠る書物から発生した、藍の長年の思い込みと妄想の産物だという事を。
彼らは自分達が信じた黒狼の頭、藍に心酔してその志を共に歩むと決めたのだから。
エルフの里という狭い世界に生きた彼らが、自分達の知らない知識や考え方に触れた時、その世界はどう変わるのだろうか。
彼らの常識を覆す一歩である精米という知識が、執務室の文机に無造作に置かれていた。