191.
「アリア、学院には明日から行くのか? 一応クラリス王女に知らせておこうと思ってな」
「うん! もう普通に歩けるし、明日から行くつもり!」
「今度から実験をする時は、ちゃんと対策をするか、護衛の手配をするように」
「はぁい……」
この会話中、俺とシモンはアイコンタクトを取っていた。
シモンは足音を殺してそっとドアへと近付く。
それにアリアが気付いて口を開きそうになったので、わざと話しかける。
「アリア、せっかくケーキを買って来たんだ、歩けるようになったのなら、こっちのテーブルで食べないか?」
「食べる! あ、でもその前に着替えたいかな……」
そういえば寝ていたからアリアはワンピースのようなパジャマのままだった。
そして俺が返事をする前に、シモンは勢いよく内開きのドアを開ける。
「ぅわぁっ」
悲鳴のような声を上げながらアリアの部屋に転がり込んで来たのはカールだった。
ドアに耳を付けて俺達の会話を聞こうとしていない限り、こうなる事はないはずだ。
シモンはカールが室内に入った瞬間、後ろ手にドアを閉めた。
「カール!?」
驚きの声を上げるアリア。
シモンは転んだままのカールを見下ろして、ニタリと笑う。
「いらっしゃ~い。ドアに張り付いて何をしていたのかなぁ? 盗み聞き一択だろうけど」
「ちちち、違う! いや、違わないというか、その……、一応女性の部屋に男性ばかりが訪ねてきたわけだから、心配になったというか……」
「魔塔主の命令でか?」
「い、いや、一応来訪を報告したが、そんな命令は受けてない! まぁ、魔塔主も気にはしていたが……」
微妙な証言だな。
「てっきり魔塔主はアリアが他国の俺達にうっかり機密を漏らさないか心配して、カールに様子を窺わせていたと思ったんだが」
これは嘘だ。
もしも魔塔主がカールに命令していたのなら、この言い訳に乗って来るだろう。
逆に命令ではなく、カールが自主的に盗み聞きをするように仕向けたのなら、どうしてなのか理由を言うはずだ。
表情には出さず、ジッとカールを観察する。
「いや……、魔塔主は最近アリアがヴァンディエール殿達と親密にしているようだが、女性慣れしている彼らがその気になったら手の平で転がされるのではないかって……。あと半月ほどでいなくなる相手に好意を寄せたら、アリアが後で泣くのではと心配されていただけなんです」
なるほど、魔塔主は人のいいカールをそそのかして、俺達の会話を把握しようとしたのだろう。
どんな内容にせよ、カールが聞いたのなら後で聞き出す事は可能だからな。
……もしかして、カールがアリアに好意を持っているのを利用したとかじゃないよな?
カールは二十代のようだが、それでも結構年齢差があるから、妹を心配する兄の気持ちだろうか。
「バッカじゃないの!? あたしは恋愛なんてしてる暇ないんだから! たとえ好みでも、ちょっと優しくされたからって、すぐになびくような女じゃないの!」
「へぇ、誰が好みなんですか?」
「ッ! たとえばの話よ!!」
マリウスの茶々に噛みつかんばかりに即答するアリア。
優しくされたと聞いて、一瞬アルノーの事かと思ったが、見た目がいいとは言っていない。
もしもアリアの好みがシモンだったら、怪我を治したシモンの可能性もあるか?
…………ないな。
「興奮すると怪我に障るから、落ち着いて」
「怪我はもう治ったわよ。ほら」
アリアは少しパジャマをたくし上げて、傷跡を見せた。
「えっ!? あれだけ酷かったのに……」
なんだ。
怪我が治った事を驚いているという事は、盗み聞きを始めたのはついさっきなんだな。
気付くのが遅れたと思ったが、そうではなく本当にいなかっただけなのか。
考えてみれば魔塔主に報告に行っていたと言っていたな。そのタイムラグだろう。
立ち上がりかけたカールは、すっかり治ったアリアの足を見て再びへたり込んだ。
「よかった……。本当によかったぁ……」
心の底からホッとしているのがわかった。
やはりカールは利用されただけで、魔塔主の片棒を担ぐようなタイプじゃないな。
これが演技だったら人間不信になりそうだ。
「そんなにオレ達の会話が気になるんならよ、あんたもこの部屋にいればいいんじゃねぇ? あんたの分のケーキはないけどな」
シモンの言葉にケーキを譲る気はないという、強い意志を感じた。
「カール、俺の分を食べてかまわないぞ」
「えっ!? ケーキなんて高価なもの……そんな……」
「普段恐ろしいくらい高価な魔導具を扱っているのに、ケーキひとつで何を言っている」
ケーキと魔導具でどれだけ桁が違うと思っているんだ。
普通の人とは、もう感覚が違っているのかもしれない。
「魔導具が高価なのは当然ですが、ケーキは食べ物ですよ!? 食べたらなくなる物に銀貨は出せません!」
ブルブル首を振っているが、視線だけはチラチラとケーキに吸い寄せられているようだ。
「だったらタダで食べられるこの機会を逃さない事だな。俺は帰りにもケーキ屋に寄るつもりだから気にするな」
「えっ!? 団長ズリィ!」
「馬鹿者。お前達だけ食べたのがバレたら、アルノーとガスパールが騒ぐのが目に見えているだろう」
ついでにジェスと俺の分も買うけどな。
アリアが着替えた後、四人は満面の笑みでケーキを頬張った。
そしてその日の夕食後、部屋で周りの冷たい視線を浴びながらシモンはジェスにケーキを分けてもらっていたが、俺の作った物の方が美味しいからと言われては分けるなとは言えなかった。