165.
「エルドラシア王国が見えたぞ~!」
マストの上の見張り台から船員が叫んだのは、ラフィオス王国を発ってから八日目の事だった。
船旅が初めてだった奴らは、船員の声に船室からぞろぞろと甲板に出て来て大陸を見ようと鈴なりになっている。
「おっ、あれがエルドラシア王国か! それにしても、たった数日の移動でここまで陽射しの強さが違うのってすげぇよな」
「天候がよくて助かったね。凪いだ海ですら結構揺れてるように感じたんだから、嵐になんて遭ったら大変だっただろうなぁ」
船内でジッとしていられなかった俺の部下達は、後方の甲板から前方へと早々に移動して見晴らしのいい場所を真っ先にキープしていた。
戦闘でもそうだが、こういう時に率先して動くのはシモンと次いでアルノーだ。
「見えてはいても、到着するのはまだ半日はかかるはずだぞ。夜には到着するだろうから、先に降りる準備を終わらせておいた方がいいんじゃないのか?」
「そんなの暇すぎて何度もやったぜ。あ~、やっと陸に立てるかと思うとホッとするな」
「だけど船旅で上陸した後って、陸酔いというものになるらしいですよ」
「なんだそれ? 陸で酔うってありえるのか? ははは」
身体を伸ばして愚痴るガスパールに、マリウスは実家の商人達から聞いたであろう知識で注意した。
前世でも今世でも船に乗った事がなかったから、話には聞いていても陸酔の経験がない。
船酔いはしなかったし、もしかしたら陸酔いもしないかもしれないな。
「到着したらジェスに伝えないとな……」
従魔契約してからこんなに長い間離れているのは初めての事だ。
船旅中も、うっかりその場にいないジェスに話しかけそうになったりと、ジェスが隣にいるのが当たり前になっていた事を再確認させられた。
「団長、ずっとジェスがいなくて寂しそうだったもんな! その魔法鞄に入ってるお菓子ならオレがいくらでも代わりに食べてやるからさ!」
周りにジュスタン隊だけでなく、第一騎士団の奴らもいるというのに、満面の笑みで話すシモン。
視線を周囲に巡らすと、不自然なまでに全員視線を逸らした。
「すぅ……、ふぅ~……」
一度深呼吸してからシモンの後頭部を掴み、手すりの外へ押し出す。
「この中にある物は全てジェスの物だ。貴様にやる分はひとつもないと思え。それとも貴様が痺れトビウオのおやつにでもなるか?」
「あぶっ、危ないっ! それはシャレにならねぇって、団長! さすがにここからじゃ陸まで泳ぐ自信はねぇよ!?」
必死に手すりを握りしめて落ちないように耐えるシモン。
本気で落とすつもりはなかったが、思ったより少々力が入ってしまったようだ。
他のジュスタン隊の部下達は、いつもの事と言わんばかりにまだ遠くに見えている大陸を眺めていた。
そんなこんなで平穏な(?)航海が終わり、陽が傾く頃に船はエルドラシア王国の港に到着した。
王城からの迎えは第三王女であるクラリスの婚約者であるエルドラシア王国の王太子、フェリクスを筆頭に護衛の騎士団、恐らく大臣達と魔塔の者と思われるローブ姿の男達も見える。
「ようこそエルドラシア王国へ。私は王太子のフェリクスです、ラフィオス王国の皆様を心より歓迎します。特に……、我が妃となるクラリス王女、遠い国へ嫁ぐ不安もありましょうが、あなたの笑顔が曇らぬよう努力しますのでよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いいたします」
優雅な所作でキスハントをするフェリクス王太子。
十六歳と聞いていたが、百八十センチは超えているであろう身長に、ゆるく波打つ赤毛に引き締まった小麦色の肌。
そして暖かい国なせいか露出がラフィオス王国人より確実に多い。
パッと見は男らしいが、クラリスに微笑みかける緑の瞳はとても穏やかで優しそうだ。
クラリスもホッとしたように笑みを浮かべている。
「お相手よさそうな男でよかったねぇ」
整列している仲間内にだけ聞こえるように、アルノーが囁いた。
船旅中に何度か退屈になったクラリスが俺達にも話しかけてきて、あんな妹がいたらよかったというのが全員の意見だ。
「そうだな。まぁ、妙な男だったら俺達が出なくても、本当の兄が釘を刺しただろうさ」
にこやかにフェリクス王太子と握手を交わすエルネストに視線を移す。
「エルネスト王子も随分印象が変わったよな。やっぱ王太子の重圧がなくなったせいか?」
「いやぁ、それもあるだろうけど、団長が虐めなくなったせいじゃねぇの?」
「確かに~。顔を合わせたらしょっちゅう喧嘩売ってたもんねぇ。なんか今は懐かれてるみたいだけど」
「三人共、それ以上は……」
ガスパールの呟きに、シモンとアルノーが余計な事を言い出した。
マリウスが俺の機嫌を察知して止めようとしたが、少し遅かったな。
「貴様ら……、後で海水浴をさせてやろうか……? 接岸する時に飛び込みによさげな崖を見つけたからな」
「「「ヒッ!」」」
前を向いたまま地を這う低い声で提案してやると、三人は同時に小さく悲鳴をあげた。
俺の前にいた第一の騎士達まで震えていたのはなぜだろうか。