160.
移動の際にエスコートのために肘を差し出すと、アナベラは一瞬驚いたように瞬きして手をかけた。
玄関から出てまだ寒いのに見事に花が咲いている場所へと向かうと、途中でアナベラがクスクスと笑い出す。
「どうかしたか?」
「いえ……、ふふっ。失礼かもしれませんが、ジュスタン様がこのように自然に女性をエスコートできるとは思っていませんでした」
「そりゃ……、俺も貴族のはしくれだからな。エスコートの仕方もひと通り習ったさ」
というより、以前の俺はそれなりに女遊びもしてきたから、ある程度は慣れている……とはアナベラには言えないな。
割り切った考え方をする相手ばかりだったから、今はみんな結婚してしっかりどこぞの奥方として暮らしているだろう。
「その……、ご存じだったかもしれませんが、前から私ジュスタン様の事……」
その言葉にドキリとした。
もしかして前から俺の事好きだったとか……!?
「蛇蝎のように嫌っていました」
「ま、まぁ、タレーラン辺境伯領へ行く前の俺はかなり迷惑な事をしてたからな……」
嫌われていたのは仕方ない事とはいえ、そんな頬を染めて甘い告白しそうな顔で言わなくてもいいと思うのだが。
密かに精神的ダメージを喰らいながらも平静を装う。
「そうですね。ですが、ディアーヌ様がかどわかされそうになった時に、私によくやったって……。そう言ってくれた事がとても嬉しかったんです。それまでは私が無茶な事をするとみんな心配して怒る事はあっても褒めてもらった事がなかったもので。その他にも色々と気遣いされているのを知って見る目が変わったんです」
「ククッ、無茶をしている自覚はあったんだな。貴族令嬢であれだけ肝の据わった行動ができる者はそういないだろう」
王宮侍女は気弱ではやっていけないというのもあるだろうが、物怖じせずにハッキリとした物言いは好ましい。
逆に物陰からじっとりと視線だけを向けてくるような令嬢は苦手だ。
「ふふっ、そう言ってくれるのはジュスタン様くらいです。あ、もう四阿にお茶が準備されているようですね! 冷めない内に行きましょう」
「ああ」
少しひんやりとした空気と太陽の暖かさが心地いい気温の中、これからの事など色々話していたら、あっという間に時間が経っていた。
そろそろ帰ると告げると、馬車を準備してあるという。
適当に辻馬車でも拾おうと思っていたから、ありがたい。
シャレット伯爵夫妻に挨拶をして馬車に乗ろうとすると、アナベラも同乗してきた。
そうか、馬車はシャレット伯爵家の物だし、婚約者なら送るのが当然なのかもしれない。
「そういえばジュスタン様が馬車というのは珍しいですよね、移動している時はいつも騎士服であの綺麗な白馬に乗っているところしか見ていない気がします」
「確かに騎士服の時はそうだな。しかしこの恰好で馬にまたがると着崩れてしまうからな」
「まぁ、ジュスタン様もそういう事を気になさるんですね!」
「ちょっと待て、俺を何だと思っているんだ」
部下達にもみっともないところを見せられないと、気を使っている方だと自負しているのに。
俺のジトリとした視線に対し、クスクスと笑っているアナベラ。
アナベラが嫌っていた頃の俺にだったら、絶対にこんな反応は返って来なかっただろう。
シャレット伯爵家があるのは当然貴族街なので、第三騎士団までそう時間はかからない。
明らかに貴族の家の物とわかる馬車が宿舎前に停車したのを誰かが見つけたのだろう、俺が降りる時にはちょっとした人だかりが玄関の方に見えた。
まさかアルノーが言いふらしていて、俺が戻って来るのを待ち構えていたわけじゃないよな?
「それでは、これで失礼する。近いとはいえ、道中気を付けて」
馬車を降りて開いたドア越しにアナベラの手を取り、唇を近付けてキスハントで挨拶をすると後方で騒めきが聞こえた。
アナベラからも人だかりが見えているせいか、クスクスと笑っている。
「はい。ではまた両家の顔合わせの時に。ジュスタン様は今からの方が大変そうですけれど」
「いつかは知られて騒ぐのはわかっていたからな。それが今日になっただけの事だ」
「…………もし、本当に結婚したいくらいお慕いしていると言ったらどうします?」
「え?」
思ってもいなかった事を聞かれて一瞬頭の中が真っ白になった。
「ふふっ、冗談です」
「なんだ、冗談か……。案外それも悪くないと思ったんだがな」
「えっ!?」
馬車のドアを閉めて御者に出発するように告げると、アナベラが窓越しに手を振るのが見えた。
手を振り返して見送っていると、複数の足音が駆け寄って来るのがわかった。
「団長~!! どういう事!? ねぇ、さっきの人が結婚相手!? すごく愛しそうに団長の事見てたし!」
真っ先に口を開いたのはアルノー。
どうやら俺が出かけた時からずっと気にしていたらしい。
「どこの誰だっ!? そんなもの好き!」
「何言ってるんですか! 団長は見た目がいいから結構モテるんですよっ! シモンと違って!」
「何だとっ!? もう一回言ってみろ、マリウス!!」
そうして突然始まる追いかけっこ。
「団長、二人は放っておいて話を聞かせてくれよ。本当に婚約したのか、あいつらも気になって仕方ないみたいだし」
エントランスからこちらの様子を窺っている部下達を親指で差しながらガスパールが説明を求めてきた。
どうやら真偽を確かめたいのはジュスタン隊の部下だけではなかったようだ。
「わかった。もう夕食の時間だろう、着替えたら食堂で話してやる」
「みんなー! 食堂で話してくれるってー!」
俺が答えると同時に知らせに走るアルノー。
それを聞いてエントランスにいた部下達の姿が消えた。
その日の夕食時、ディアーヌ嬢の侍女であるアナベラと婚約する事が決まったと報告したら、祝杯だと言ってほとんどの部下達は飲みに出かけて行った。
着替えに部屋に戻った時に妙に心臓がうるさかった事も、この日から宿舎の中で「姐さん」という言葉を耳にするようになったのも、気のせいだと思いたい。