6 首斬りの主題
『なあ。おまえは、どっちだ?』
根菜のポリッジと蜂蜜酒の食事を終えて納屋に案内された途端、脳内で低い声が響いた。
おやすみなさい、と出ていくルーナを見送ってから、干し草の上に腰を下ろす。壁沿いの棚には、籠や壺、やたらと大きな皿などが所せましと並んでいた。
「何の話です」
『おれは姉のほうだな。冷たい感じがいい。おまえは妹のほうだろ?』
「だから、何の話です」
『体が反応していただろう』
呆れと苛立ちが、瞬時に動揺に変わる。
「変な言い方をしないでください。いきなり触れられて、驚いただけです」
食事の最中、隣に座ったルーナは、フードを下ろしたイザヤの頭をいきなり撫でてきたのだった。イザヤは驚きに飛び上がり、椅子から転げ落ちたのだ。
『触ってきたってことは、気に入られたってことだろう。おまえのほうはどうなんだ?』
「どうも何も、何もないですよ」
『まあ、どれだけ美人とお近づきになったところで、期待できる立場じゃねえもんな』
乾いた笑いの混じったその声に、イザヤは答えなかった。
稀人には、結婚も生殖も許されていない。稀人の子はまた稀人である可能性が高いからだ。
『こんなに艶のある黒髪は珍しい、と言っていたな。見せてくれよ』
「いやです」
エレミヤはまだ、イザヤの風貌を見たことがない。イザヤは最低限の身だしなみ以上のことはしようとしなかったし、自身の容姿に特段思い入れがあるわけでもなかったから、鏡や水辺に顔を映してしげしげと眺めるという習慣は持ち合わせていなかったのだ。
『せっかく褒めてもらったのに、みっともないとこ見せたのを気にしてるのか? あれくらいでひっくり返るこたないだろ』
「相手が誰であれ、いきなり触れられたら驚くものでしょう」
イザヤが言うと、左目がからからと笑うように動いた。
『ま、確かに、好んでおれたちに近づこうとする人間なんていないからな。あの妹は、年の割に純粋すぎて心配になってくる。逆に、姉のほうは――ちょっと知りすぎている感じがするな』
途端に重くなった語調に、イザヤの心臓がどきりと跳ねた。
『おまえ、今回の事件の「主題」は何だと考えているんだ』
イザヤは一瞬の間を置いて、元から低かった声をさらに小さくして答えた。
「まだわかりませんが、頭にあるのは『ユディト』です」
ふん、と満足げな吐息が返ってくる。
『おれも同じ考えだ』
ユディト。旧世界文書内の物語に登場する、寡婦の名である。「斬られた首」をアトリビュートに持つ、数々の主題のうちの一つだ。
異邦人の軍勢がユディトの住む町を襲った際、彼女は着飾って敵の将軍の元に出向いた。美しい彼女を喜んで迎えた将軍は、酒宴で泥酔し眠りに落ちる。ユディトはその隙に、剣で彼の首を斬り落とした。将を失った軍は敗走し、町の平和は守られた。
『アトリビュートは、「剣」か』
「主題がユディトであるなら、おそらく」
ユディトのアトリビュートは、「斬られた首」と「剣」である。首を入れる袋を持った侍女とともに描かれる場合もある。
ノーラの話を信じるならば、剣は洞窟の奥にある。洞窟付近を訪れた人間に取り憑く可能性は、十分にあるだろう。
『どうするつもりだ』
「夜が更けるのを待って、洞窟に行こうと思います」
『傀儡魔の当たりはついてるんだろうな』
問われた瞬間、一人の女性の顔が頭に浮かぶ。が、それを振り払うようにイザヤは目を閉じた。
「まだ、確証はありません」
『嘘だろ。考えてみろ、「ユディト」だぞ。旅人――つまりよそ者から故郷を守ろうとする、美しい女。かつての静かで美しい町を取り戻そうとしている彼女と、精神が符合する』
エレミヤの言う「彼女」がノーラを指しているのは明らかだった。イザヤはすかさず言葉を返す。
「ですが、もし彼女が傀儡魔であるなら、なぜわざわざアトリビュートである剣の居場所を私に伝えたのでしょうか」
『それこそ罠だ。おまえがそう考えるだろうことを見越して、疑惑の目を自分から外そうとしたんだろう。もしくは単に、おまえを誘い出そうとしていただけかもしれない。その場合、次の獲物はおまえというわけだな』
「まさか」
思わず声が大きくなる。泉でのノーラの言葉に、イザヤに対する敵意はなかった。
『じゃあ聞くが、彼女じゃなければ誰なんだ? 宿屋の主人か? だとしたら、動機は? 奴からしたら、旅人をありがたがりはしても、殺そうなんて考えは持たないはずだぜ。そもそも、ユディトは女だろ』
「主題の人物が女性でも、アトリビュートの作用する相手が女性であるとは限りません」
『だがこれまでのほとんどの事例で、主題の人物と傀儡魔の性別は一致しているんだぞ』
「わかっています。しかしそもそも、女性の力だけで首を斬るなど――」
イザヤはそこで言葉を止めた。魔力の力をもってすれば、「不自然」も「不可能」もない。
なぜだろう。ノーラは違う。そう思えてならなかった。あるいは、そう思いたいだけなのだろうか。
『おまえ、余計なことを考えてないか?』
「余計なこと?」
突然の言葉に、困惑の声を返す。
『魔力回収機構は治安維持機関だが、自警団とは別の秩序で動いている。魔力の関わった事件はなかったものとして扱われるから、犯人――傀儡魔は逮捕されることがない。そもそもおれたちは逮捕権を持たないし、人を裁く権利だってない』
エレミヤは淡々とした口調で続けた。
『おれたちの仕事は、アトリビュートから魔力を回収することだ。回収によって生じる影響についてまで考える必要はねえ。姉の正体を知った妹のその後については、管轄外だ』
「わかっています」
『どうだか。とにかく、思い出してみろ。酒場の男どもを見る彼女の、あの顔を。あの旅人の中に純粋な巡礼者なんかいない。巡礼を口実にして遊び歩いている放蕩者ばかりだ。奴らにとって女神の泉はオモチャでしかねえんだよ。だいぶ言葉を選んではいたが、姉が旅人たちを「侵略者」として見ているのは明らかだろう』
「しかし、首斬りの主題は、ユディトだけではありません。決めつけるのは早計かと」
『まだ言うのかよ。ユディトでなけりゃ、何だってんだ』
左目の苛立ちを感じつつ、イザヤは黙考した。「首斬り」、つまり「斬られた首」というモチーフの主題は、そう多くない。ユディトとダビデの他には、使徒パウロ、サロメと洗礼者ヨハネ、ペルセウスとメデューサ、トミュリスとキュロスくらいだろう。
その中で「剣」をアトリビュートに持つものは、ユディトとダビデ、パウロ、ペルセウスだ。
ペルセウスは、見た者を石にしてしまう怪物メドゥサの首を斬って退治した英雄だ。首の他には剣と盾、鎧、翼の生えたサンダルなどがアトリビュートである。
今回の事件と無理矢理結び付けようとすれば、被害者たちが「見た者を石にする」、つまり言葉を失わせるほどの美貌を持っていた、などと解釈してみることもできるが、彼らの容貌についての情報がない状態ではこれ以上考えようがない。
剣による斬首刑で殉教した使徒パウロの場合はどうだろう。パウロは、救世主の復活を前に回心し、迫害に屈することなく精力的に伝道を続けた十二使徒の一人だ。リベル教徒である被害者たちと女神信仰の残る町の関係を、救世主の教えとそれを弾圧した帝国の関係に置き換えるのはしかし、やや無理があるように思える。
黙りこんだイザヤをせき立てるように、左目が数度まばたきをした。
『とにかく、主題はユディトで、アトリビュートは剣。傀儡魔は双子の姉だと考えるのが自然だ。早いうちに「回収」しないと、おまえも危ないぞ』
イザヤはその声に答える代わりに、ルーナの残していった手燭の火を吹き消した。