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政略結婚の夫から「きみを愛するつもりはない」と言われた新妻は一途に夫を愛し続ける

作者: 高見 雛

 嫁ぎ先である侯爵家領地の聖堂で、わたしたちの結婚式はひっそりと執り行われました。

 参列者は両家の親族のみ。


「テオフィル・ヴェルナー。汝は、イザベル・ヘルムートを妻とし、生涯愛することを誓いますか?」


 神父様の厳かな声が、頭上の天井画に吸い込まれるように響き渡ります。


「いいえ。愛を誓うことはできません」


 弦楽器のように心地よく響く甘い低音で、わたしの隣に立つ新郎は確かにそう言いました。


(やはり、そうなのですね)


 わたし――イザベル・ヘルムートは心の中でつぶやいて、ヴェール越しに隣の男性を横目で見ました。


 襟足まで伸びた青みがかった銀髪、海の色を宝石にしたような青色の瞳。

 細い鼻梁から薄い唇、尖った顎にかけてのラインが完璧なまでに整っている美しい顔立ち。

 白銀色の礼服に包まれた体躯は、しなやかでありながら均整が取れて引き締まっています。


 次期侯爵であるテオフィル・ヴェルナー様は、わたしより三つ年上の二十歳。

 双方の父親同士が旧友であることから、わたしが生まれてすぐに婚約が決められたのだそうです。


 ですから、わたしは物心がつく前から「テオフィル様のお嫁さんになる」ことが当然だと思って生きてきました。

 次期侯爵夫人にふさわしい女性になれるよう、厳しい教育も受けてまいりました。

 つらいことも多々ありましたが、それ以上に「テオフィル様のお役に立つため」という目標に向かって邁進する日々は楽しかったのです。


 ……が。


「ええと、失礼。少々、耳が遠くなってしまったようですので、もう一度お尋ねいたします」


 神父様が咳払いをして、同じ質問を繰り返しました。

 ですが、テオフィル様の唇から紡がれた答えは先ほどと同じ。


「愛を誓うことはできません」


「…………」


 その場にいる全員が両目を見開いて絶句しています。

 花嫁のわたしを除いて。


「あの、神父様。そのまま続けてくださいませ」

「は? あの……?」


 額に汗を浮かべながら、神父様はテオフィル様とわたしの顔を交互に見て、仕切り直すようにふたたび咳払いをしました。


「そ、それでは……イザベル・ヘルムート。汝は、テオフィル・ヴェルナーを夫とし、生涯愛することを誓いますか?」

「はい、誓います」


 わたしは純白のヴェールの内側で、満面の笑みを浮かべて答えました。

 列席の皆様がほっと安堵の息をつくのが聞こえてきます。

 目の前の神父様も、とてつもなく高い山を越えたかのような達成感に満ちた顔でため息をつきました。


 ただ一人、夫となるテオフィル様だけが、顔色ひとつ変えずに前を見据えていたのです。


 本来なら、新郎新婦が誓いの言葉を神様に捧げた後、ヴェールを上げて生涯の愛を誓うキスを交わすはずでした。

 何か月も打ち合わせと仮縫いを重ねてようやく完成した婚礼衣装のドレスは、その瞬間のためのもの。

 無垢な新雪のような真っ白なドレスは、わたしの希望でデコルテや背中を見せないデザインにしてもらいました。

 王国の流行からはかけ離れていますが、手首まで覆う長袖のシックな装いです。


 思い入れのあるドレスでしたが、テオフィル様が目を向けてくださることはありませんでした。


 愛のない政略的な婚約だと理解した日から、覚悟はできていました。


 妻として、女性として愛されることを期待してはいけない……と。



     ◇



 侯爵家の領地で結婚式を挙げた数日後、わたしたち新婚夫婦は王都に用意された新居での生活を始めました。

 愛のない形式だけの夫婦なので、朝晩の食事以外は別々に過ごします。もちろん寝室も。



「テオフィル様、おはようございます! いいお天気ですよ」


「テオフィル様、お仕事行ってらっしゃいませ。お気をつけて!」


「テオフィル様、お帰りなさいませ。今夜のお食事はわたしも一品作らせていただきました!」


「テオフィル様、お茶をお持ちいたしました」


「テオフィル様、おやすみなさいませ」


「テオフィル様」


「テオフィル様」


「テオフィル様」




「……イザベル」

「はい、テオフィル様!」


「そこに座ってくれ」

「はい、テオフィル様!」


 わたしは言われた通り、居間の長椅子に腰を下ろしました。

 猫足のローテーブルを挟んだ向かい側に座る夫――テオフィル様は今日も素敵です。


「どういうつもりだ?」

「はい?」


 なんのことかよくわからずに聞き返すと、テオフィル様は白く長い指先で眉間を揉む仕草を見せました。


「俺への嫌がらせか?」

「何がですか?」


「俺は、きみを妻として愛する気はないと告げたはずだ」

「はい。存じております」


 侍女が流れるような所作で用意してくれた紅茶の湯気を視界の端にとらえつつ、わたしは小さくうなずきました。


「それなら……」

「わたしがテオフィル様を愛するのは自由でしょう?」

「何……?」


 テオフィル様が怪訝そうに眉間の皺をさらに深く刻みます。

 怒ったお顔も素敵ではあるのですが、王宮に仕える次期侯爵様としては少々未熟かと存じます。


「テオフィル様が愛のない政略結婚を望んでいらっしゃるのは、承知しております。ですが、わたしはテオフィル様をお慕いしております。この気持ちを偽ることはできません」


 侍女はいつの間にか気配を消して退室したため、室内には夫婦水入らずです。

 テオフィル様はふくよかな香りをただよわせる紅茶に手をつけることなく、長い脚を組み替えます。


「迷惑だ」

「なんと言われましても、わたしは毎日テオフィル様へ愛情を注ぎ続けます。雨の日も、嵐の日も。そして、ゆくゆくはテオフィル様に振り向いていただきます」


「俺ときみの寿命が尽きるのが先だな」

「まあ。離縁という発想はないのですね」


「この結婚は父親同士が家の結びつきを深めるために決めたものだ。俺たちの意思でどうにかなるものではない」

「愛を育まない予定でしたら、侯爵家の後継ぎはどうなさるおつもりなのですか?」


「近い血縁の男子を養子に迎えれば済む話だ」


 確かに、侯爵家の血統が途絶えなければ問題はありません。


「それでは、わたしと賭けをしていただけませんか?」

「賭けだと?」


 青い双眸を細めるテオフィル様に、わたしは微笑みを返しました。


「もしも、テオフィル様のお心がわたしに向く時が来たら、あの聖堂でもう一度結婚式をしたいのです」

「結婚式?」


 わたしは大きくうなずきました。


「もう一度、あの聖堂で、あの神父様の前で、両家の親族に集まっていただいて……同じ空間で、誓いの言葉を述べていただきたいのです」


「愛を誓えと?」


「はい!」


 テオフィル様の銀色の睫毛がわなわなと震えています。

 冗談じゃない、と言いたげに。


「俺に……、……が……とでも?」


「テオフィル様?」


 それまで淑女の微笑みを浮かべ続けていたわたしでしたが、テオフィル様が大きな両手で額を押さえてうつむいたので、思わず腰を浮かせました。


「どこかご気分でも……?」


 テオフィル様は違うと言いたげに首を横に振りました。


「きみを愛する資格などないのに……残酷なことを言う人だ」


 声を震わせながら、テオフィル様は言いました。


 二人とも口をつけずにいた紅茶は、すっかり冷めてしまいました。



     ◇



 

 さかのぼること、五年前。

 わたしが十二歳、テオフィル様が十五歳の時のことです。


 関係性は現在とほとんど変わらず、わたしの片想い。

 違うことといったら、テオフィル様は年頃の少年らしく、よく笑う方でした。


 ヴェルナー侯爵家とヘルムート伯爵家の領地は隣り合っており、月に一度はどちらかの屋敷を訪問してお茶会の席を設けるという決まりでした。


 その日はとても晴れていて、新緑がまぶしかったのを覚えています。

 テオフィル様が鷹を手なずけたのだと言って、見せてくださる約束でした。


 大きな羽根と、立派なくちばし、きょろきょろとした美しい瞳をした鷹は、鋭い爪を持っていました。


 何かのはずみで興奮した鷹がテオフィル様の命令を聞かなくなってしまい、暴れ出したのです。


「イザベル、逃げるんだ!」

「テオフィル様、あぶない!!」


 鷹の爪がテオフィル様の喉元に刺さりそうでした。

 わたしは、何も考えずに飛び出して、テオフィル様を突き飛ばしていました。


 そのあとの記憶は曖昧で、気がついた時にはわたしの身体は血まみれで、テオフィル様が応急処置を施してくれていました。

 わたしの肩から背中にかけて、大きな傷が残りました。


「イザベル……ごめん……」


 その日以来、テオフィル様は笑わなくなってしまいました。

 そして、婚約者としてのお茶会もなくなりました。



     ◇



「俺は、きみに一生かけても償いきれない傷を負わせた」

「傷は服でいくらでも隠れます」


「俺のような人間が、きみを愛していいはずがない」

「テオフィル様は、おかしなことを言うのですね」


 ふふっ、と笑みを漏らすと、テオフィル様は顔を上げました。

 青色の瞳がわずかに潤んでいるように見えます。


「それではまるで、わたしのことが愛しくてたまらないと言っているみたいですよ。愛していないのではありませんでしたか?」


 ちょっぴり意地悪な言い方でしたでしょうか?

 テオフィル様は、ぐっと唇を噛んでこちらをにらみ返します。


「賭けは、最初からわたしの勝ち……ということでよろしいですか?」


 わたしは立ち上がり、向かいの長椅子へ移動しました。

 テオフィル様の隣に腰を下ろします。


「これまでも、これからも、わたしはずっとずっと生涯、テオフィル様を愛し続けます。逃がしません」

「きみという人は……」


 テオフィル様は、ためらいがちにこちらへ手を伸ばしては止め、虚空を握る動作を何度か繰り返しました。


「二度目の結婚式の日取りは、いつになさいますか? 招待状を書かなくてはいけませんから」


 テオフィル様の顔を覗き込んで悪戯っぽく言うと、彼は小さく笑いました。あの日以来、初めての笑みです。

 そして、笑った拍子にテオフィル様の目尻に涙が浮かんで見えましたが、わたしは見ないふりをしました。


「その前に、きみのご両親に挨拶をしなくては。結婚式の非礼を詫びたい」

「テオフィル様……!」


 わたしに触れることをためらっていたテオフィル様の手が、そっと肩に触れました。

 まるで壊れ物を扱うかのように、優しく、大切に抱き寄せてくれました。


「イザベル、すまなかった……」

「もう謝らないでください。傷のことは気にして……」


「違う。結婚式でのことだ。きみに恥をかかせてしまった」

「それも気にしていません。強いて言うなら……ドレスをもっと、きちんと見てほしかったですけれど」


「見ていた」

「え?」


 テオフィル様の腕の中で、わたしは小さく声をあげました。


「首元と袖口のレースが素晴らしい細工だった。それから、真珠を縫い留めた刺繍も」

「見てくださっていたのですね……うれしい」


 泣くつもりはなかったのですが、言葉尻が震えて、目頭が熱くなってしまいました。

 わたしは泣き顔を見られたくなくて、テオフィル様の胸に顔をうずめました。


 テオフィル様の涙を見ないふりをしたわたしと同じように、彼もまた、わたしの涙を見ないふりをしてくれました。

 涙がおさまるまで、テオフィル様は大きな手でわたしの金茶色の髪を優しく撫でてくれました。



     ◇



 ふたたび同じ聖堂で、同じ面々の前で結婚式を挙げたのは、二か月後のことです。

 わたしたちは今度こそ神様の前で永遠の愛を誓い、皆様の前で誓いのキスを交わしました。


 一度目の結婚式と同じ花嫁衣装に身を包んだわたしを、テオフィル様は穴が空くほど見てくれました。


 心がとろけてしまいそうな誉め言葉をたっぷり聞かされた後は、身体からあふれてしまうほどの「愛している」を、夜が明けるまで注がれるのでした。




   おわり

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