6.推しが甘い
「この度は婚約を受けてくださりありがとうございます」
はあ~…、いい声……。
「本来ならば当主である父が出向くところ、多忙故私が代わりに参りました。父からは書面を預かっておりますのでご査収ください」
声だけでご飯3杯いけます……。
「……ベル?……リリベル?」
遠くからお父様の声がする。
もう少し。
もう少しだけでいいから余韻に浸らせて……。
そんな私の肩をつんつんと突つく振動で意識が戻る。
「はっ!す、すみません!素晴らしすぎる声につい意識が彼方へ……」
突いたのは隣に立つお母様。
呆れた視線が突き刺さって痛いです……。
目の前には残念な子を見るようなお父様と、肩を震わせるアレン様。
や、やらかしている…。
それも盛大に……。
お父様が婚約の了承の返事を書いてすぐにアレン様がこの領地に来た。
うちの質素な応接室がアレン様がいるというだけで別空間だ。
豪華な調度品などないはずなのに、そこかしこが輝いている。
そんなどこか非現実的な光景を目にした私はその眩しさに目をつむり、あとはアレン様のお声だけに意識を全集中させていた。
「リリベル、わざわざ王都から来てくださったのだ。庭でも案内して差し上げなさい」
私のやらかしをなかったことにして、お父様がコホンと咳払いしつつ貴族の仮面をかぶりなおして余所行きの声を出した。
「は、はい」
「では、お願いしようかな。リリベル?」
はうっ!
呼び捨て!
破壊力!!
我が家はそこまで大きくはないが、庭は自慢できるほど広い。
領民と一緒になって農作物をここで育てたりしていたから、そのためだろう。
フルーツの木も昔からある。
だからいろいろと試せたこともあるのだが。
私はそんな広い庭をアレン様と歩いている。
もう夢のようなひと時だ。
「あ、あの…、ア、アレン様はどうして私と婚約を?見ての通り田舎の領地ですし……。アレン様ならもっと格上の貴族にも……」
私は婚約の打診がきてからずっと不思議に思っていたことをアレン様に聞いた。
アレン様はそんな私にふっと笑う。
はい、素敵です。
カッコいいです。
「リリベルが良かったんだ。リリベルと話すのが楽しかったし、リリベルといると素の俺でいられる」
なんって恐れ多いっ!
こんなことなら前世でもっとお笑い勉強しておくんだった。
それとも落語?
ダジャレ?
いくらでも笑わせてあげたいです!
「俺は次男だから、両親も結婚相手は俺の意思を尊重してくれている。特にそんな相手もいなかったから今までは学園に通いながら結婚相手を探すつもりでいた。……でもリリベルに出会った」
そう言いながらアレン様が私の髪をひと房手に取り、口元へ。
気絶していいですか?
推しが尊いんですけど!
画面越しでも絶叫ものなのに、これ現実で起きてるんですよーー。
「早くしないと誰かにリリベルを取られるかもと思うと居ても立ってもいられなかった。父上に話をしたらすぐに婚約申出書を送達してくれたよ」
推しが若干、いえかなり私を過大評価しているような…。
私と婚約したいなんて人、そうそういないですよ。
なんていったって綺麗なアクセサリーや流行のドレスよりもつなぎを着て動き回りたいくらいですから。
服も顔も汚れて農作業したりしてますからー!
いや、でもこんなこと思ったらアレン様が変わりものになってしまう。
それは駄目、絶対。
推しは全肯定!
そんなことを考えていたら、随分端の方まで来てしまっていた。
この辺は私個人が気に入った花や木を植えている場所だ。
「へえ、可愛らしいバラだな」
アレン様がその一角に咲いている小さな薔薇を見て言った。
それこそが今私の一番の関心ごとのベビーローズだ。
「これはベビーローズと言います」
「ベビーローズ……。南の方でそんな名を聞いたな。確か、実で作ったお茶を飲むのが流行っていると……」
顎に手を当て思案顔のアレン様。
さすが、アレン様。
なんという博識!
素晴らしいです。
そしてその思案顔も素敵です。
って、いや待って。
今さらっと重要なことを…。
実で作ったお茶……。
なんと!
それはいわゆるローズヒップティーでは。
はっきり言ってこのベビーローズからどうやって流行病に効く薬を作るのかわからなくて頭を悩ませていた。
でも実からと考えるなら……。
ローズヒップティーと言えば、ビタミンが豊富で免疫力も高める効果があったはず。
こちらでは薔薇は主に観賞用で、飲食として使われることはない。
でも、ダントス領のある南側ではお茶にしている……。
これって結構なヒントでは?
たしかゲーム内で特効薬ができたのは初夏だったはず。
本格的な暑さの前にって記述があった。
ベビーローズの実は5月から6月が収穫時期だ。
もしかしなくとも特効薬のヒントは実にある!
今年実を収穫して研究すれば、この国のパンデミックは抑えられるかもしれない。
少しだけ見えた光明に胸が逸る。
「リリベル?どうした?」
「アレン様!ありがとうございます!」
興奮した私は心配げに見つめるアレン様に思わず抱き着いた。
んん?だきついた………。
「って!わあああ!すすすみませんっ」
あれ?離れない!
何これ、私の願望か?
いや違う!
ほっそりした見た目をしているのに、しなやかな筋肉のついた腕が体に巻きついていた。
「積極的だな?リリベル」
み、耳元だめ……。
至近距離で聞こえる声に腰が抜けそうになる。
甘くて、とろけそうで。
倒れそうで身じろぎするも、騎士団ですでに鍛えているアレン様の体は私が動いたくらいじゃ離れない。
「あああああの……、アアアレンしゃま…?」
「少しだけ。婚約者なのだからいいだろう?」
「はひ……」
むしろなんのご褒美だ。
なんでこんないい匂いがするのか。
思いっきり吸い込みたいが、さすがにそれは変態行為なので唇噛み締め我慢する。
なのに……。
「リリベルは甘い匂いがするな……」
く、首元をスンスンしないで……。
ゆっくりと体は離されたが、未だ至近距離で見つめられる。
その蜂蜜色の瞳が甘い色を漂わせているのを見ていると顔が熱くなって、心臓が痛いくらいにうるさく鳴る。
「可愛いな」
「へ……」
破壊的ボイスで信じられない言葉を言われ私の脳は完全に思考停止。
それなのに、アレン様はご尊顔をどんどん近づけて……。
ちゅ。
可愛い音と共に柔らかいものが頬に当たる。
ほっぺたが溶ける………。
落ちてないよね、わたしのほっぺ。
そっと手で頬を確認する。
ある。
めっちゃ熱いけど。
あれ、てか今!
キキキキキキキ……。
「ふはっ。真っ赤」
嬉しそうに笑うアレン様が尊い。
本当にかっこいい……。
駄目だ。
こんなの、好きにならないほうがおかしい…。
顔は熱いし、苦しいほど胸はなるし。
推しにリアルで恋するなんて。
でも、私は……。
昨日の考えが私の胸を押しつぶすかのように襲い掛かる。
そう、私は当て馬……。
アレン様は学園で出会うヒロインに惹かれるのだ。
私はそれを間近で見ないといけない。
ヒロインが誰を選ぶのかわからないが、出会いイベントでは攻略対象者全員がヒロインに惹かれる描写がある。
それはまだ恋の蕾だけれど。
そこから誰と恋の花を咲かせるのかわからないけれど。
何もしなくとも対象者たちはヒロインを好きになっていくのだ。
それが本命にやきもちを焼かせたりするイベントになったり、絆を強くするイベントになったり。
だから私がアレン様に本気で恋をしたらきっとつらくなる。
そうわかっているのに……。
これはもうきっと手遅れだ。
私は苦しいくらいに鳴る胸をその手で押さえた。