23.推しからの求婚
「……よくわからない単語もあるが、リリベルは俺から離れたくないってこと?」
静寂を破ったのは少し低めの最推しの声。
下を向いているためその表情は見えない。
「そ、そうです。離れません」
私は開き直って素直に自分の心の内を伝える。
こんなストーカーじみたこと言ってアレン様に嫌われたらと思うと怖いが、私の決意は固いのだとアレン様にはわかってもらいたい。
「あんなひどいことしたのに、まだ俺のこと好きでいてくれるってこと?」
「もちろんです。アレン様を嫌うなんて天地がひっくり返ってもあり得ません」
そう。
それは胸を張って言える。
私はどんなアレン様も推せます。
アレン様しか勝たん!ってやつです。
何があっても私がアレン様を嫌うことはない。
たとえアレン様が私を嫌いになっても、私のこの気持ちが変わることはない。
「じゃあ学園卒業と同時に結婚してくれる?」
「もちろ………、え?」
何を言われても肯定しようと思っていた私は、その言葉を反芻して頭がパニックをおこす。
え、結婚……、結婚って言った……?
アレン様を見ると、いつのまにか顔を上げてふわりと笑っていた。
控えめに言って最高です、その笑顔。
そしておもむろにその場に跪いたアレン様は、左手を胸にそして右手は私の左手を握った。
「私、アレン・スペンサーの全てを懸けてリリベル・ハートウェルを一生守っていくと誓います。私の全てはリリベルに捧げます。どうか私に婚姻の約束をいただけないでしょうか」
そう言うと恭しく、形の良い唇を私の左手の甲へを寄せた。
「あ、あう……、あの……」
喉が詰まって言葉が出てこない。
これは、もしかしなくともププププププププロポーズだ……。
「もう泣かせない。もう離れない。何よりも俺がリリベルから離れたくないんだ……」
アレン様が私に視線を合わせる。
意志の強い瞳が力強く輝いてとても綺麗…。
「リリベル、愛している」
最推しの声の最上の言葉に、アレン様の顔がぼやける。
もっとこの光景を目に焼き付けたいのに、私の意思を無視して涙があとからあとから零れてしまう。
「俺と一生を共に歩んで欲しい……。リリ、お願いだ。うんと言って」
下から私を上目遣いで見て、こてっと首を傾げる姿に私はもうノックアウトだ。
断る理由なんてない。
私だってもうアレン様と離れたくない。
私だってアレン様を幸せにしたいのだ。
「は、…はい……っ、はい!アレン様!私も離れません!一生傍にいます。そしてアレン様を幸せにします………うぅ…っ!」
涙腺が崩壊したかのように両目からぼろぼろと涙がこぼれて、せっかくの推しの顔も見られない。
「言った傍から泣かせているな、俺は……」
立ち上がったアレン様が私を抱き寄せる。
「これは…っう……、うれし涙だからいいんです……ぐすっ!」
「リリ、愛している」
頬に手がかかり、瞼に熱く柔らかな唇が押し付けられ、濡れたものが目じりを掬いとるように動く。
え、今、涙舐め………?
驚いて涙も引っ込んだ。
「ふ、可愛い……」
怪我をしている左頬を避けながら、顔じゅうにアレン様からのキスが送られる。
くすぐったくて恥ずかしくて身を捩ると、アレン様の手が顎を固定してきた。
甘さを滲ませた蜂蜜色の目が細められ、ご尊顔のドアップに耐えられず目を閉じたところで唇に感じる柔らかなもの。
そう言えば、アレン様はマリア様ともこういうこと……。
不安になったものの、私は頭を振る。
薬の所為なんだから仕方ない!
「リリ?どうした?」
「あ、いえ!なんでもないです」
だけどアレン様はますます神妙な面持ちに。
「リリ、心配事なら言って」
ちゅっと音を立てて耳にキスをしながら耳元で囁かれると、もう立っていられないほどの衝撃。
駄目だ。
言うべきことじゃないのに、この声には逆らえない。
「ま、マリア様とも触れ合ったりしたのかと……」
言葉にしてから、やっぱり言うべきじゃなかったと後悔する。
せっかくアレン様がプロポーズしてくれて幸せしかないのに。
こんなこと気にする方がおかしいのだ。
「あ、いや!大丈夫です!薬の所為なのはわかっているんです!だからいいんです。今こうしてアレン様と触れ合えるのは私だから」
私はアレン様の胸に顔を押し付けながら早口でまくし立てる。
そうだよ。
せっかくいい雰囲気なのに。
なにを自らぶち壊すことを…。
「……ない」
ぎゅっとしがみつく私の頭を撫でながらアレン様がぽつりと呟く。
「え?」
「こんなこと、リリベルとしかしたことない」
顔を上げると変わらず優しく私を見つめる蜂蜜色の目と視線が合う。
「彼女からアプローチを掛けられたことはある。…だけど、心が拒否した。脳裏になぜかリリの泣き顔が浮かんで、苦しくて……。だからそれ以上彼女に触れていない」
それを聞いて私は体中の力が抜けた。
立っていられなくなったところをアレン様に抱きかかえられる。
私は思っていたより気にしていたようだ。
ほっとして力が抜けてしまうほどに。
私を抱えたアレン様はそのままソファに腰を下ろし膝の上に私を乗せたままぎゅっと抱きしめてきた。
ドキドキと胸が高鳴ってどうしようもなく苦しいのに、アレン様の香りや体温は何よりも安心する。
「リリのお陰だ。俺も薬の所為とはいえ、リリベル以外の人に触れたくはないから」
「アレン様……」
柔らかく重ねるだけのキス。
すり、と重なった唇がそのまま私の唇に摺り寄せられる。
上唇を食むように何度も重ねられた後、ちゅっと音をして離れていく。
至近距離で見つめるアレン様の目が蕩けたように甘い。
私はそっとアレン様の傷を覆うテープに触れる。
痛くないように慎重に。
「この傷はどうされたのですか?」
先ほどから気になっていたことを聞いてみる。
「フィリップに、な」
「殿下にですか?」
ご尊顔になんってことを!
怒りに燃える私にふふっと笑ったアレン様は額をくっつけてきた。
「アナスタシア嬢の怒りらしい」
「え?」
「リリベルを泣かせた俺への怒りだ。これくらいじゃ足りないくらいだがな。だが、このお陰もあって目が覚めたこともあるから、感謝している」
王宮の研究室で作られた解毒剤とともに頬の痛みでアレン様は正気に戻ったらしい。
アナスタシア様が自分のために怒ってくれていたことは素直に嬉しい。
だけどもその所為でアレン様に傷ができてしまったので内心複雑だ。
私はそっとアレン様の頬に口づけた。
「リリベル……」
「は、早く治るおまじないです」
やってしまってから何だか気恥ずかしくなって私は下を向いた。
「リリベル……、もう一度……」
アレン様の手が私の頬にかかり至近距離で視線を合わされる。
甘く溶けるように見つめられて私のキャパはいっぱいいっぱいだ。
心臓がどんどこうるさい。
いたたまれない。
何か、話題を………。
「わ、私っ!ずっとアレン様から婚約破棄されると思っていました」
わー……、やってしまった…。
パニックになっていたとはいえ、この雰囲気のなかこの話題はないわー………。
ダラダラと汗をかいてしまった私に、アレン様はクスリと笑って額にキスをして私を抱きしめてきた。
きゅっと優しく拘束される腕が嬉しくて、私もアレン様の背中に腕を回す。
「こうなるかもしれないと思った時に、父上と母上に頼んだんだ。俺がもしリリベルと婚約を解消したいと言ってもそれは俺の本心じゃないからって。どうか聞き入れないで欲しいって頼み込んでいた。詳しいことは父上や母上にも言えなかったけど、でもその申し入れは快く聞き入れてくれた」
「そうだったのですね……」
アレン様の言葉を聞きながら私はそっと目を瞑った。
優しくて広い心で私を受け入れてくださるスペンサー公爵様とオリヴィア様。
「父上と母上には感謝だな。こうしてまだリリと婚約者でいられるのは両親のお陰だ」
そっと体を離されてアレン様が満面の笑みでそう言ったのを見て、私も本当に感謝の気持ちでいっぱいになった。
色んな人に支えられて今またこうしてアレン様の腕の中にいられることがどれほど幸せなことか。
「アレン様、大好きです」
気持ちを素直に伝えられる幸せ。
「俺も、リリが大好きだ」
同じだけ気持ちを返してもらえる幸せ。
また涙が出そうになったが、私はそれを押し込めて笑う。
同じように笑うアレン様に、たとえようもないほどの幸せがこみ上げる。
私たちはどちらからともなく距離を縮め、ゆっくりと唇を重ね合わせた。




