18.推しとヒロイン
1学年が終わると3週間ほどの休暇があり、そして4月に2学年が始まる。
私はその3週間ほどの長期休暇は実家のある領地へと帰ってきていた。
それも1学年最終日にアレン様から、公務が入り春の休暇は一緒に過ごせなくなると言われたから。
寂しいけど、それ以上に眉を下げて項垂れるアレン様に私のわがままなんて言えるはずもなく、私は領地に帰るのでお仕事頑張ってくださいとだけ告げた。
そして休暇が始まって2週間。
「推しの……不足が過ぎるっ!」
私はベッドの枕に顔を埋めて叫ぶ。
今まで毎日のようにあのお姿を、あの声を目に耳に焼き付けてきたのにっ。
2週間も経つと完全に推し不足に陥ってしまった。
最初の数日はお手紙の返事もきていたが、忙しくなってしまったのかその手紙も途絶えてしまった…。
私はベッド脇の引き出しから手紙を出す。
そっと胸に抱いて、スンっと香りを嗅ぐ。
それはアレン様がよく使っているウッドベースの香料の香りがしていたのだが、それすらもう薄れてきている。
私はそれでも少しでもアレン様を感じたくて鼻に押し付けるように手紙を嗅ぐ。
端から見たら変態かもしれない……。
コンコンコン。
「はっ!…はいっ」
突然のノック音に驚きつつ、私は手紙を引き出しにしまいながら返事をする。
ドアからひょっこり顔をのぞかせたのは7歳になったセオドアだ。
後ろにはマリーベルもいる。
二人が夜に訪問するのは帰ってきてからの恒例行事になっている。
「姉さま、今日も一緒に寝よう」
「私も!」
既にベッドに乗っているセオドアがニコニコと笑いながら私の隣に陣取る。
マリーベルは逆の隣にもぐりこみ、これまたにっこりと笑う。
はあ……、可愛い。
癒しだわ。
ベッドは子ども3人が寝ても十分な広さがある。
私は仕方ないなあと口では言いつつ二人の可愛さに顔がにやつくのを抑えられない。
私は二人の可愛い子に挟まれながら幸せに眠りについた。
私はその時広がりつつある王都の噂なんて全く知らずに、ただただアレン様に会える日を楽しみに過ごしていた。
◇ ◇ ◇
「アナスタシア様、おはようございます。今年もまたよろしくお願いいたします」
2学年が始まり、朝一番見かけたアナスタシア様に声をかける。
「あ、お、おはようございます、リリベル様。あの、こちらこそよろしくお願いしますわ」
私を見て驚いた表情をしつつも、顔を引き締め綺麗な礼を交わす。
先ほど発表されたクラス分けではアナスタシア様も殿下もアレン様も一緒だった。
また楽しい学園生活が始まるんだと胸を躍らせる。
「あの、リリベル様は休暇中ずっと領地へ?」
「はい」
学園に入ってからなかなか領地に行けなかったら、領地でやりたいことをかなり詰め込んできた。
マリーベルやセオドアと遊んだり。
領地の研究施設を見学したり。
お父様と新たな品種改良の話をしたりと、かなり充実した日だった。
ただ1点をのぞけば……。
そう、完全なる推し不足。
お仕事で仕方ないとはいえ、3週間は長かった…。
でもやっとだ。
学園が始まればアレン様に会えると思ってここまでやってきた。
私はアナスタシア様と歩きながらもキョロキョロとついその姿を探してしまう。
「あの、スペンサー公爵令息様のことは、何か……」
アナスタシア様が珍しく遠慮したような小さな声を出した。
「アレン様は公務で休暇中は会えなかったのですが、今日久しぶりに会えると思うと嬉しくて。あ、もちろんアナスタシア様と会えるのも楽しみにしてきました」
「あ、ありがとう…。ではなくて、その。何か公爵家から連絡などはありませんでしたか?」
「スペンサー公爵家からですか?いえ、とくにはなかったです」
アナスタシア様の質問に私はどこか胸騒ぎのようなものを感じた。
言いづらそうなアナスタシア様の様子も気にかかる。
「あの、何か…」
あったのか、とそう聞こうとしたところで周りが少しざわついた。
それと同時に私の推しセンサーが反応する。
微かだけども最推しの声が耳を掠める。
「アレンさ……ま……」
振り向いた私は最推しの姿をこの目に収めるも、その光景に言葉が続かなかった。
それは一枚のスチル。
可憐な美少女がはにかむ隣には甘い瞳を向けてほほ笑む一人の青年。
前世でも大好きなスチルの一枚だ。
何度も眺めては頬を染めていたあの頃。
だけど―――。
私は今、鈍器で頭を殴られたかのような衝撃を持ちながら目の前の光景を眺めている。
ぴったりと寄り添うようにエスコートしながら学園の門をくぐるその姿はマリア様と……。
私の最推しで、婚約者であるはずのアレン様だった。
どういうことか全く頭が追い付かない。
「あ、アレン様……」
喉がカラカラになってかすれた声しか出ない。
アレン様がこちらを一瞥するも、その瞳には何の感情も読み取れない。
もしかしたら公務の一環かもしれないと微かな希望すら打ち砕かれるほどの、何も映さない瞳に私の膝が震える。
「あ、あの……、これはどういう……」
「ハートウェル伯爵令嬢か……」
何も映さない目で、一切の感情を見せない表情でその形の良い唇だけがただ動いている。
「貴女との婚約は解消する。追ってスペンサー家より正式に申し入れをするので、そのつもりで」
淡々とそれだけ言うと、その表情を一変してマリア様へと向き直りそのまま私の前を通り過ぎていった。
私はその言葉の意味を理解するのにかなりの時間を要した。
婚約を……解消………………。
「リリベル様っ!」
訳が分からず、ブルブルと震える私の手をぎゅっと握ってくれたのはアナスタシア様だ。
「あ、アナスタシア様……。えっと、私……」
「リリベル様、とりあえずこちらへ」
私は手を引かれるままただただ歩いていた。
「さ、リリベル様こちらへ」
促されるまま一人掛けのソファに座ると、香り良い湯気の立つティーカップが私の前に置かれる。
「あ、ここは……?」
「王家専用の部屋です。後でフィリップ殿下もこちらへ来られます」
お茶を用意してくれたメイドさんは一礼をしてそのまま部屋から出て行った。
私はその様子をぼんやりと眺めながら、先ほどのアレン様の言葉を思い出していた。
アレン様がマリア様とあれほど仲睦まじく……。
ゲームの世界が私の中に不安として浮かび上がるのを必死にかき消していた。
ここは現実。
でも、じゃああれも現実………。
前世でうっとりとして眺めていたスチルも、現実で起こればこれほどまでに私の心を痛めつける。
あの目が他に向けられることがこんなにもつらいなんて。
私を見る目がなんの感情もなかったことがとてつもなく苦しくて。
これが、失恋……。
私、失恋したんだ。
推しで、誰よりも大好きな人の傍にはもういられない。
婚約者でなくなったらそんな権利もなくなるのだ。
なぜこんなことに、という疑問よりも私はその事実に目の前が真っ暗になった。
「う……っ……。っふ、ううっ………」
とめどなく流れる涙は何をどうしても止めることができずに、ぽたぽたと私の手の上に落ちる。
「……リリベル様」
アナスタシア様が私の横にかがんで抱きしめながら、背中をさすってくれる。
その優しさにさらに私の涙腺は崩壊する。
つらくて痛くて。
前世と今世を合わせてもこれほど泣いた記憶などないほど、私は声をあげて泣いた。




