16.推しと舞踏会
季節は巡り1月。
ついに今日、16歳を迎えた貴族たちの成人の儀の舞踏会が王宮で行われる。
そしてわたしはと言うと、オリヴィア様のご厚意で公爵家で舞踏会の準備をしてもらっている。
今は浴室にて体を磨かれ中だ。
もうこれでもか、というほど磨かれている最中。
温かいお湯につかっていると意識はまたゲームのことへと。
こちらの世界の成人の儀は、前世で言う成人式のようなもの。
ゲームでは出会いイベントの次にくる大きなイベントだ。
このイベントは好感度の中間発表のようなもので、それまでの学園生活などで一番高い好感度を持つ攻略者がエスコートを申し出てくれるのだ。
だけど………。
前世の時は深く考えてなかったけど、普通に考えて問題だらけだよね。
この成人の儀は、婚約者お披露目という名目もあったりする。
成人するにあたって、私たちは婚約者がいますよーというアピールにもなっているのだ。
いわゆる婚活の場でもあるから、フリーの人たちは家族にエスコートしてもらって婚約者探しをしたりするのだ。
だから、婚約者がいるにも関わらず他のご令嬢をエスコートするなどあり得ない。
特にフィリップ殿下は王太子殿下だ。
堂々と浮気宣言するようなもの。
そんなことをすれば王族としてこれ以上ない醜聞になってしまうし、筆頭公爵家であるアナスタシア様の生家も黙ってはいないだろう。
かくいう私もアレン様からエスコートを申し出されているからここにいるのだ。
「マリア様は誰のエスコートで来られるんだろう……」
ぽつりと漏らすと、髪の毛にいい香りのする香油が塗り込められる。
マッサージされると、香りとその気持ちよさからうっかり眠ってしまいそうになるほど。
ここにきて私は気になることがあった。
目を瞑ると脳裏に浮かぶのはギルバート様。
ギルバート様はこの1か月ほど学園をお休みになっている。
その少し前からマリア様とお二人でいるところを見かけていた。
だが、その様子がどうもおかしかった。
どこかうつろな感じで、マリア様をうっとりと眺めながらお二人で歩いていたのだ。
ギルバート様には婚約者がいる。
家同士の繋がりの婚約で、顔合わせをしただけの婚約だとアレン様から聞いたことがある。
それでも、婚約者がいる身で他の女性と仲良くしているのはやはり外聞がよくない。
かなり噂になってはいた。
アレン様と婚約して、多少なりともギルバート様とも交流があった私からしたらギルバート様らしくないと思った。
宰相をされているマクラーレン公爵様の嫡男であるギルバート様は、いついかなる時も冷静沈着でその表情が変わることはほとんどない。
頭脳明晰でフィリップ殿下からの信頼厚い家臣だ。
アレン様もギルバート様のことは一目置いている。
そんなギルバート様が外聞も気にせずマリア様と噂になるようなことをあんな堂々とされるだろうか。
いや、実際噂になるほど堂々と仲睦まじい姿を見ているのだけど。
どうも、私の知るギルバート様とはズレがある気がしてならないのだ。
そしてマリア様といたときのあのご様子。
気になっていたところでギルバート様は休学となった。
私の心に払いきれない不安がしみ込んでいる。
それはゲームの強制力という謎の力…。
私はブンブンと音が鳴るほど頭を振る、ことはできなかった。
未だゴッドハンドのような手つきで頭全体をマッサージされていたから。
代わりにふんすと拳を握りしめる。
気合を入れるために。
これはゲームじゃないのだ。
ちゃんと私が、みんなが生きていく場所だ。
みんな、登場人物なんかじゃない。
それぞれ自分の人生を歩んでいる人たちなのだ。
前はアレン様を好きになればなるほど、そのうち現れるヒロインに惹かれていくアレン様を近くで見るのが怖いと思っていた。
でも今は違う。
私がイベントを壊してしまったのかもしれない。
過去を変えてしまったかもしれない。
それでも、今アレン様の近くにいるのは私だ。
ヒロインに話しかけられてもアレン様の私に対する態度が変わることはなかった。
だったら私がやるべきことは一つ。
推しを幸せにする。
推しには幸せになってもらいたい。
相手が誰でも。
アレン様が私を選んでくださるなら、烏滸がましいことだけど私が幸せにしたい。
そう思うようになった。
この世界で私にできることをするしかないのだ。
決意を胸にお風呂から上がった私は今、新たな戦いに身を投じていた―――。
「っぐ!うううーーっ………!」
淑女らしからぬ唸り声を上げるのは私です……。
私は今公爵家熟練のメイドさんたちに締め上げられ………失礼、コルセットを締め上げられています。
「リリベル様、もう少し締められそうですわ」
「ぐえっ!」
最後の一締めとばかりに油断したところをぎゅむっと締められ、つぶれた声がそれとともに吐き出された。
「まあ、リリベルったら……」
領地からお母様も準備のお手伝いにきてくれていたのだが、呆れた視線が鏡越しに見える。
だって!
コルセットをこんなに締め付けるなんて初めての経験なんだもの!
その隣ではクスクスとオリヴィア様に笑われているが…。
「それにしても素敵なドレスですわね」
どんどん着つけられる私を眺めながらお母様がほうとため息をつく。
「少し、いやかなりアレン色が強いけれど…」
呆れた顔で手を頬にやるオリヴィア様。
成人の儀は白を基調としたドレスが基本なので、贈られたドレスも白が基調となっている。
上部分は真っ白。ただスカート部分の裾にいくに従ってグラデーションで濃い藍色になっている。
さらには全体に金色の刺繍が施され上品な輝きを纏っている。
動くたびキラキラと輝いてとても綺麗だ。
これをアレン様の色と言われればそうかもしれない。
そしてその刺繍の色に合わせたかのようなイエロートパーズのアクセサリー。
ネックレスは15歳の誕生日に頂いたもの。
私がドレスのデザインで要望したのはたったひとつ。
このネックレスに合うものを、と。
そんな私の要望に合わせてくれた、ブイの字にあいた胸元は繊細なレース。
意匠を凝らした上品なネックレスと重ならないちょうどよい開き具合。
ドレスに詳しくない私でもわかるほどの細部まで凝られたデザインはさすがに王妃様御用達のマダム・ポーリーのドレスだ。
語彙力がなくて申し訳ないほど、そのドレスは素敵すぎた。
そしてこれまた上質なトパーズのイヤリング。
こちらはこの間の16歳の誕生日に贈られた。
トパーズは11月生まれの私の誕生石なのだ。
その色の濃さから、ネックレス同様かなりの希少品と見受ける。
この世界でも書物が好きな私。
この宝石がどれほど高価な物かもわかる。
お、落とさないよう細心の注意を払う所存です!
「素敵よ、リリベル」
「ええ可愛いわ、リリベルちゃん」
「ありがとうございます、お母様、オリヴィア様。あの公爵家の皆様もありがとうございます」
緩やかに編み込まれた髪にも小さなトパーズが散りばめられ、普段めったにしない化粧も施されて漫画とかでよく見る「これが私?」状態だ。
これも偏に素晴らしい腕をもつ公爵家の精鋭メイドさんたちのお陰だ。
すっと会釈をして出ていくメイドさんたちを目で追っていたら、ドアの前にアレン様がいた。
普段はさらっとした髪で隠れているおでこが出ている……。
「尊っ!」
眩しくて目を瞑ってしまいそうになるが、気合で上から下まで舐めるように眺める。
普段はさらっさらの髪が後ろに撫でつけられ額を出し、左側の耳にかけられてご尊顔をこれでもかと露出させている。
形のよい眉も甘く輝く瞳も丸見えだ。
アレン様といえばかっちりとした騎士服も眼福ものだが、成人の儀でしか見られない白を基調としたお召し物が素敵すぎる。
中に着ているシャツは私の髪と同じ薄い紫で、クラバットや胸元のハンカチは薄いイエロー。
私の色を着けてくれているのが恥ずかしくも嬉しくて、私は思わずその姿に見惚れて動けなかった。
「綺麗だ、リリ……」
私の手を取り、甲に口づけを落としながら言うアレン様に、倒れなかった自分を褒めたい。
「ああああ、ありがとうございます。アアアアアアアレン様も素敵すぎ……です…」
「ありがとう。ハートウェル伯爵夫人もこちらまで来ていただきありがとうございます」
アレン様が私のお母様に向かって一礼する。
「いえいえ、こちらこそ準備までありがとうございます」
「アレン、しっかりエスコートするのよ」
「当然です、母上」
言いながらアレン様がすっと手を差し伸べてくる。
「じゃあ、行こうか」
「は、はひ……」
私は差し出されるアレン様の手を取り、公爵家を後にした。
キラッキラのシャンデリアの下をアレン様と共に歩いていると見知った顔があり、私はほっと息をつく。
フィリップ殿下とアナスタシア様だ。
「アレン、お前独占欲が過ぎないか……?」
フィリップ殿下が呆れたような顔をしてアレン様を見ている。
はて、独占欲とは……?
「当のリリベル嬢は気づいていないようだが?」
にやりと殿下が笑うも、アレン様はどこ吹く風だ。
「殿下、リリベルはそれでいいのです。ただの虫よけですので」
「……あ、そ……」
そんなやり取りをしていると後方からベビーピンクの髪がちらりと見えた。
マリア様だっ。
マリア様は真っ白なドレスを着て長身の男性にエスコートされながら入ってきた。
夕焼けのような真っ赤な髪の男性。
ヒロインの幼馴染である子爵家のオリバー様だ。
ということは、マリア様はオリバー様と恋仲に?
私の脳裏にはギルバート様が浮かぶ。
だとすればギルバート様との仲は?
もんもんと考えていると会場にいる楽団の音楽が流れてきた。
「リリベル、お相手を願えますか?」
隣のアレン様が恭しく礼をしながら手を差し伸べてきた。
「は、はい、喜んで」
音楽はダンスの始まりの合図。
ファーストダンスは婚約者と踊るのが普通だ。
横を見るとフィリップ殿下とアナスタシア様が手を取り合っている。
「リリ、力抜いて。俺に任せてくれればいいから」
「はひ……」
ぱちっとウインクするアレン様に私は考えを放棄してアレン様に身を委ねた。
2曲続けて踊ったところで私の身体が悲鳴を上げた。
流れる仕草でダンスの輪を抜けてアレン様がバルコニーのソファに座らせてくれる。
疲れた体にひんやりとした風が気持ちいい。
四季があるとはいえ、そこまでの温度差がないためどの季節も比較的過ごしやすいのだ。
「リリベル、果実水でよかったか?」
「はい。ありがとうございます」
果実水の入ったグラスを受け取ると、アレン様は私の隣に腰を下ろした。
後ろからは楽団の音楽が鳴り響き、外から香るのは花の甘い香り。
「いい香りですね」
「リリベルの方がいい匂いだが?」
軽く首を傾げ乍らアレン様が私の肩口に頭を乗せると、吐息が私の首筋にかかった。
その吐息と共に甘い声が耳から入って…。
私は体中が沸騰したように熱くなって、思わず立ち上がりバルコニーの手すりに身を乗り出す。
月明かりが明るく上を向くと大きな月が顔を覗かせている。
「あっ、アレン様、月が綺麗です………」
言ってはっとする。
これは前世では有名な愛の言葉…。
「本当だ」
いつのまにか私の背にぴったりとくっつくようにアレン様がいる。
両手は私を囲うようにして、私は身動きが取れない。
声が耳元から聞こえてばっくんばっくん心臓が音を立てている。
「リリ……」
「は、はひ……」
後ろから覗き込むようにするから体は密着している。
横にあるご尊顔から目が離せない。
アレン様の綺麗な瞳に驚いた表情の私が見える。
「リリの目は月と同じ色だな。綺麗だ……」
「アアアアアレン様……」
目の前のアレン様のほうがよほど美しい。
月明かりに照らされながらも藍色の髪は深く静かな夜の空のようだし、濃い金色の瞳はとろりと甘い蜂蜜のようだし。
そっとアレン様の細くて長い指が私の額にかかる髪を払う。
目に映るお顔がどんどん近づいてきたと思ったら額に当たる柔らかいもの。
それがアレン様の唇だと気づいたときには顎を掬われ、またしても近づく顔に思考が奪われる。
そして唇に触れたアレン様の唇。
それはとても柔らくて温かくて………。
じゃなくてっ!
こ、こここれって………、キキキキキキキキ、ス……っ!!
「可愛いな……」
掠れた声でそう言ってもう一度重ねられる唇に私の脳はキャパオーバー。
恋愛小説だって、少女漫画だって読んでたから知識はあるのに、実際に経験するとでは全然違う。
この今の心情を小説のように文字に起こすことなんてきっとできない。
それくらいの衝撃だし、心臓が押しつぶされそうなくらい苦しいのにどこまでも幸せで。
とにかくすごかった………。




