10.推しと殿下と婚約者
豪奢な調度品が並ぶ部屋。
目の前には美味しそうなお菓子と温かなお茶。
お菓子が盛られているお皿もお茶の入ったカップも品があり美しい。
右隣には最上の声を持ち、最高のお顔を持つ最推しのアレン様。
そして正面には穏やかな笑みを浮かべるフィリップ殿下。
そして左隣には、豊かな黒い髪をカールさせ、サファイアを思わせる青い瞳に思慮深い光を滲ませながら美しい所作でお茶を飲むアナスタシア様。
アナスタシア様と言えばフィリップ殿下の婚約者である。
泣く子も黙るこの国の筆頭公爵家であるランカスター家のご令嬢。
12歳のお茶会の時に選ばれた婚約者であるのだ。
家柄はもちろんこの年齢で淑女の鑑とも言われ、私たちの年代では一番有名であるご令嬢であるのは確か。
私は左側を盗み見ては、ほうと息を漏らす。
それほどの綺麗なお顔なのだ。
黒い髪は前世日本人としてなじみ深いのはもちろんだが、きちんと手入れされたそれは輝いて濡れ羽色とはこういうものかというほど美しいし、肌は陶磁器のように白くそこに色づくうっすらと薔薇色の頬。
小さな唇は赤く色づき、13歳なのに壮絶な色気を放っている。
長く濃い黒いまつ毛に彩られた大きな瞳はとてもきれいで吸い込まれそうだ。
どれをとってもため息が出るほどの美しさ。
それはきっと内面から滲み出る淑女としての嗜みもあるのだろう。
所作はどれも綺麗で、領地では及第点をもらっている私のマナーなんてアナスタシア様の足元にも及ばない。
うん、もっと色々がんばろう。
私はそっと心の中で決意した。
そう、なぜ私がこのように美しい人たちに囲まれながらお茶をしているかというと。
それは昨日の夕方まで時間が遡る。
アレン様と王宮の中庭を散策した後、私は部屋に戻りお父様と数時間ぶりに話ができた。
陛下との話し合いのなか、王宮はダントス領にベビーローズの実を献上するよう使いを出したらしい。
王都からダントス領までは早馬でおおよそ5時間ほど。
それでも王家直々の勅命であればダントス領は従わざるを得ない。
ただ急いでもベビーローズの実が王宮に届くのは明日の朝。
お父様には届いた実からローズヒップティーを作るようにと王命が下った。
そのためその日は王宮で泊まり、届くと同時にお父様がローズヒップティーの作り方を王宮にいる研究職の人にレクチャーするということになったのだ。
そして今日。
私はなぜかフィリップ殿下からお茶に誘われ、ここにこうしている。
当たり前のようにその部屋にはアレン様とアナスタシア様もいたということだ。
「リリベル、昨日はゆっくり眠れたか?」
回想が終わったところで、アレン様の気遣うような声が聞こえた。
「はい!王宮のベッドはすごくふかふかですぐに寝てしまいました」
王宮のベッドは流石に素材が違うのか最高の眠り心地だった。
家のベッドに何の文句もないが、スプリングの違いかやはり王宮のものとは比べ物にならない。
コイルの質か詰め物の種類か、なんて本気で考える。
だが、そんな話をすればフィリップ殿下に興味を持たれてしまいそうで、それ以上は口を噤む。
いらぬことを話さないように、ずっと美味しそうに鎮座する目の前のピンク色をしたマカロンを口に運んだ。
うまあ……。
口に入れた瞬間、その美味しさに悶絶する。
味はベリー系。
甘酸っぱく芳醇な香りと味が口いっぱいに広がる。
私は咀嚼しながらしばらくその味にうっとりとしていた。
「リリベル、それが気に入ったのか?俺のも食べるか?」
右を見れば笑みを湛え乍らアレン様はピンク色のマカロンを手で持って私の目の前に差し出していた。
「え、でもこれすっごく美味しいのでアレン様にも食べて欲しいです」
美味しいものはアレン様も味わってほしい。
私はそう思ってそのマカロンをアレン様にも勧める。
「そうか……」
なぜかシュンとした様子でアレン様はそれを口に運んだ。
「どうですか?アレン様好みですか?」
推しの好みの情報収集も楽しみの一つなのだ。
私はアレン様の表情をじっくりと観察する。
「うん、美味しい。だけど俺はリリベルが誕生日にくれたクッキーの方が好きだな」
はい、もう100点です。
応答がイケメンです。
悶える私はふと視線を感じる。
にやにや笑う殿下と、扇子で口元を隠しながらも目を見開いてるアナスタシア様。
「アナスタシア、面白いだろう」
「あ……、失礼しました。……そうですね。スペンサー様のそういった表情は初めて見ました」
驚いた表情を見せたことを謝りながら、アナスタシア様は姿勢を正した。
「いつもの仏頂面が嘘のようだろう」
殿下がやけに楽しそうだ。
それにしても仏頂面だなんて。
殿下にはアレン様のご尊顔の素晴らしさがわからないのかしら。
ちらっと横を見ると、殿下の言う事など気にもしていないアレン様がお茶を飲んでいたが、私の視線に気づくと優しく微笑んでくださった。
はい!眩しいっ!
その笑顔、お金取れます。
私がアレン様の笑顔にクラクラしていると、部屋付きのメイドさんが傍に来て殿下に何やら話をしていた。
「わかった。すぐ向かうと伝えてくれ」
そう言うとアレン様と目くばせをしながら殿下は席を立った。
「すまない。急用ができた。しばらくしたら戻るから二人はお茶を楽しんでいてくれ」
「リリベル、すぐ戻るから」
私の頭に手を置いたあと、そう言いながらアレン様は殿下と共に部屋を出て行ってしまった。
残ったのは私とアナスタシア様。
「あの、ランカスター様……」
何か話題を、と思い名を呼んだところでアナスタシア様がこちらを見てほほ笑んだ。
「アナスタシア、とお呼びください」
先ほどから思っていたが、美人は声も美人。
よく通る声がすっと私の耳に入る。
そしてなんと!
名前呼びまで許してもらった。
「ア、アナスタシア様……。私もリリベル、と」
「リリベル様はお菓子をお作りになられるんですね」
アナスタシア様の言葉は先ほどアレン様が言っていた誕生日のクッキーのことだと思った私は「はい」と返事する。
「何かを作るのってとても楽しくて。粉とか水とか卵とか。混ぜ合わせる全ての素材に意味があって、さらには作り手によって様々な形と味になって出来上がる。可能性は無限大ですよ。それはお菓子だけでなく、料理や衣服や食器なども」
多少、いやかなり興奮して話していたことに気づき私は椅子に座りなおす。
「まあ。確かにそうですわね。………お花もそうでしょうか?」
それなのにアナスタシア様は気にした様子もなく私の言葉に同調してくれる。
それに気をよくした私はその言葉に大きく頷く。
だって、アナスタシア様の言葉は尤もだから。
水・土・肥料・日光。
植物にかかわるものの品質で育つ植物の質も変わる。
そして果物や野菜でもやってきた品種改良。
私は興味を持ってくれたことが嬉しくてアナスタシア様に向けて色々知っている情報を話す。
興味深げに私の話に耳を傾けるアナスタシア様が綺麗で尊い!
土や肥料、果ては前世の記憶の品種改良など、話に花が咲く。
花だけに!なんて!
とそこまで話してハッとする。
昨日のアレン様の言葉を思い出し顔を青くさせる。
しまった。
アナスタシア様はフィリップ殿下の婚約者なのに色々話し過ぎたかも……。
あわあわと一人顔を青くしていると、アナスタシア様が恥ずかしそうに下を向いた。
「実は………、私、花を育てるのが好きなんですの……」
決死の覚悟で、という感じで小さな声で話すアナスタシア様。
恥じらうアナスタシア様、可愛すぎるー!!
「ですが、公爵家ではいい顔はされないから。貴族の令嬢が土いじりなんて……」
確かに…。
自分で言うのもなんだが、うちは貴族の中でも結構変わり者だ。
普通は貴族のご令嬢が土を扱うなど良しとはされない世界だ。
「だから私、日々の課題を頑張って少しでも早く終わらせてこっそり庭師の元で花を育てることにしたのです」
「おおっ、アナスタシア様逞しいです!」
私は顔の前で手を合わせながら感嘆した。
諦めるではなく、そのための時間を努力で捻出するアナスタシア様を格好いいと思った。
だが、当の本人であるアナスタシア様は驚いた表情で私を見つめている。
あれ……?
私はそこで自分の失言に気づく。
「はっ、いえあのこれは褒め言葉だったんですが、か、格好いいな、と……。あれ、これもご令嬢に使う言葉ではなかった…です……よ、ね……」
徐々に声が小さくなる私だったが、目の前のアナスタシア様の肩が揺れている。
思い出したかのようにばっと扇子を広げるも、惜しい遅かった。
もうすでに笑ってしまっているの見えてますよ~。
「ご、ごめんなさ……。は、初めて言われた…もの、で……ふふっ」
なんかアレン様にも似たようなことを言われた気がするが。
それにしても、令嬢の鑑と言われている方を爆笑させるってどうよ。
でも―――。
アナスタシア様の年相応の笑顔はとても素敵だった。
「リリベル様とのお話、とても楽しかったですし、勉強になりました。さっそく試したいこともできましたし」
楽し気に目を細めるアナスタシア様に、私は先ほどの懸念を思い出す。
「あの、このこと殿下に……」
私も王族に興味を持たれたくはない。
今までのように楽しくお父様たちとのんびりと研究を続けたいだけなのだ。
そんな私の気持ちを見透かしてか、アナスタシア様は綺麗にふわりと笑った。
「花を育てるのが好きなことをお話したのは庭師と私付きのメイド以外ではリリベル様しかいませんわ。これは私とリリベル様との秘密です」
誰にも聞かれないようにこそっと耳打ちをするように囁かれる。
はい、いい人!
綺麗だし頭はいいし、所作は綺麗だし優しいし。
そして私はアナスタシア様と文通友達という名誉ある立場を頂けた。
のちほど帰ってきたアレン様とフィリップ殿下からは「いつの間にそんなに仲良く」と不思議がられたが、私は初めての同年代の友人ができたことに舞い上がっていた。
そうすっかり失念していたのだ。
アナスタシア様がフィリップ殿下ルートの当て馬の悪役令嬢だということを―――。




