望まぬもの
「えっ…?」
奴はさも驚いたかのような声を漏らして俺を見てくる。
「…嘘だよね。勇樹くん…」
どこをどうしたら嘘だと思えるのだろうか?そもそも、俺は後夜祭で似たようなことを伝えた気がするのだが…。
「…そうか!まだ勇樹くん洗脳されちゃってるんだもんね。うん。それなら仕方ないよね!」
「…頭大丈夫か?」
何を言っても無駄だろうから言うだけ言って引き上げようと思っていたのにも関わらず、俺は思わずそう突っ込んでしまった。
「私は大丈夫だよ!それより、どうやったら勇樹くんの洗脳って解けるんだろうね?やっぱり愛の力?物語の世界だと、王子様がお姫様にキスをすると目覚めるよね…。そうだ!勇樹くん、キスしよ!」
「断る」
彼女が気にした様子もなく俺にキスを要求してくるので俺はばっさりと切って落とし、ここまで来たなら一応茶番に付き合ってやるかと思い直し尋ねた。
「なぁ、どうしたら洗脳じゃないと認めるんだ?」
「ん?洗脳されているのは事実だから認めるも認めないもないでしょ。それより早くキスしてよ。ねぇ」
「…お前本当に浮気したっていう自覚あるのか?あったら言えないよなそんなこと」
「…浮気したことは謝ったから許してください…。それにあれは勇樹くんのためでも」
「勇樹くんのためためうるせぇな。まぁ、まず俺が事情を話せなかったのが悪いかもしれない。それは謝ろう。…ただ、俺がいつそんなことを言った?いつお前に練習して欲しいと言った?」
話しているうちに俺はヒートアップしていく。
「…言ってないよ。でも、中山くんが」
「中山くんが言った?そうか、それは良かった。でもそれは俺じゃないんだよ。お前はあいつに騙されて踊らされてるだけ。お前の言葉を借りれば、お前が洗脳されてるんだよ」
「…でも」
「でもじゃない。どうぞ金輪際、俺に関わらないでください。それ以外はお好きにどうぞ。そうだ。大好きな中山くんと一緒にいるのはどうだ?」
「嫌だ、勇樹くんがいいの!」
赤子かよ、そう俺が返そうと思ったとき、突然後ろから勇樹!と誰かに叫ばれた。
振り返ったその俺の視線の先にいたのは、もう一人の裏切り者だった。
(っ、なんでだよ…。よりにもよってこの二人を同時にまた相手しなくきゃいけないのか?)
ただ、俺のそんな考えは甘いことを思い知らされた。奴の行動は俺の予想の斜め上をいったのだ。
「勇樹!お前のせいで俺の人生はもう滅茶苦茶だ!」
奴はキラリと光るものを奴が持っていたバッグから取り出した。
俺の周りにいた女子や近くにいた人々はそれを見て悲鳴をあげた。
「…包丁?」
「勇樹、お前だけでも今度こそ道連れにしてやる!うおぉぉぉぉ!」
奴はそう言って突っ込んでくる。
俺はあまりの急展開に頭がついて行かずに固まってしまっていた。
菜月が俺の腕を引いて奴の凶刃の矛先から逸らそうとしたが俺は間に合わないことを何となく本能で察した。
(ここで死ぬのか…)
俺はそう覚悟しハハッと自虐的に笑い、そっと目を閉じようとした。その時だった。
「勇樹くん!」
小泉がいつの間にか俺の近くに来ていて、俺を突き飛ばした。
「——っ!」
俺が元々いた場所に小泉が行く。
中山は方向転換も止まることもできずにそのまま俺が元々いた位置に突っ込んだ。
——そして、裏切り者二人の体がその場で交差した。