耐えろ
「いや、俺らは普通にデートしてるだけで…、って勇樹、大丈夫か?」
Nのその言葉にお前らのせいでこんなことになってるんだぞと思いながらもそれを言うことはなく、俺は優花を押し付けて撤退することを選んだ。
「すまない。優花を頼む」
「えっ?」
俺はそう言い、トイレに駆け出す。
流石に限界だった。
朝から彼女から逃げずに向かっていたが、ここまで蓄積すると耐えれなかった。
俺は久しぶりに吐いた。
それが一段落すると俺は優花に「先に帰っててくれ」とメールを打ち送った。
「ダメだったか…」
俺はトイレの中でボソッと呟く。誰にも聞こえないくらいの声で。
「頑張ったとは思うんだけどな…」
俺はここまで耐えた自分を褒めるべきか、最後まで堪えきれなかった俺を叱りつけるべきか分からなかった。
そんなことを考えていると先程の状況とこの事件の始まりを思い出させられ、更に気持ち悪くなった。
ただ、ここにはそんな俺を止められる存在はいないので俺は甘えて体の中から毒を取り除くように吐く。
すると、誰からかのメールを告げるようにバイブ音が鳴る。
俺が見るとそれは菜月からのメールだった。
「今ここで逃げて来週どうするの?」
俺に覚悟を決めさせようとしているのは分かっていた。
俺も頭の中では分かっていた。
今日の別れ方がこれでは来週、復讐が始まりすらしないということを。
「行くしかないのか…」
俺は口を拭い、菜月に「今、どこ?」と打ち込み尋ねた。
すぐに返信は返ってくる。
「さっきのとこから動いてない」
俺は「分かった」と打ち込み、頬を軽く叩きトイレのドアを開く。
手を洗い、顔も洗い流す。
そして息を大きく吐き出した。
俺はトイレから出てゆっくり心臓を落ち着かせながら自然なふりを装いながら歩き出す。
俺が彼女たちのところに近付くと優花が走って近付いてきて俺の胸に顔を埋めた。
「勇樹くん、もう大丈夫なの?」
「ああ、さっきはごめんな」
俺はそう言いながら彼女の頭を撫でた。
彼女はそれでも少し不安そうな顔で俺の顔を見上げてくる。
それを見てとった俺は軽く笑って「本当だから安心して」と彼女の耳のすぐそばで静かに優しく囁く。
俺の言葉に彼女は軽く震えると頷き少し離れ、俺から目を逸らしてしまった。
「勇樹、大丈夫か?」
「ああ、大丈夫だ」
「そうか…、この後どうするんだ?」
俺が大丈夫だと答えるとNはこう言ってきた。
俺は俺を蝕む毒を増やす気はなかった。幸い今日は理由があった。
「この後は二人で過ごさせてくれ。優花の誕生日だから」
「…ああ、分かった。じゃあな」
そうNは言うと菜月の手を引いてどこかに向かっていく。
俺はそれを尻目に、優花に話しかける。
「この後どうする?」
「うーん、…家に帰らない?勇樹くんも体調悪そうだし」
「そうか?ごめんな」
「ううん、全然」
彼女がそう言うと俺もまた彼女の手を取り、優花の家に向かった。
そして、優花の家に着くと玄関先で俺らは別れた。
「今日はごめんな、優花。来週、この埋め合わせはするから」
「ううん、全然。今日はありがとう。…その勇樹くん…、勇樹くんは知ってr…、いややっぱりいいや」
「良いのか?」
「うん。ごめんね。じゃあまた来週」
彼女はそう言うと、手を振って家に入ろうとしたが何を思ったか俺の目の前に戻ってくる。
「ん」
「えっ?」
彼女は目を瞑って俺の目の前に唇を出してきた。
これは俺からキスをしろということか?
俺は空気くらいは読めた。
俺は彼女の唇に俺の唇を当て、俺の舌を彼女の口の中に押し込む。
数秒ほど、彼女と俺の舌が交わると彼女は俺のことを両腕で包み、背中を叩いた。
俺はそれで唇を離す。
彼女の顔は少し何かを手放したようなトロンとした顔になった。
これでまた俺の頭の中にNと優花が一緒にいてディープキスを交わしていたことをフラッシュバックさせられたが俺は堪えた。
「…バイバイ!」
彼女は恥ずかしそうに家に駆け込んでいった。
俺はそれを見て、肩にかけていたショルダーバックを振り回しながらもう暗くなった家までの道を歩き出した…。