故障
その日も公平は就職活動に出かけていた。インターンということで三日間不在である。仕方がないのでエックスは一人留守番をしている。本当は一緒についていきたい気持ちもあったけれど、妻をインターンに連れていく就活生なんてきっとマイナス評価を受けるのが目に見えているので、ワガママを言わずに待つことにした。
だから少し早めのお昼ご飯も適当に済ませる。冷蔵庫の中にあった野菜の残りを適当に切って、解凍した豚肉と一緒に炒める。それぞれ火が通ったところで麺を投入し、塩と胡椒を適当な分量振りかけて、最後に麺についてきた粉ソースを振りかける。エックスの感覚でいい匂いがしてきたらヤキソバの完成だ。
凝った料理も好きだけれど、実はこれくらい雑に作ったヤキソバのソース味の方が好きだったりする。なんとなく女の子っぽくないかなと思って公平には言っていない。ヤキソバを食べたくて作る時も「今日適当にヤキソバでいいかな?」とあんまり凝った料理を作りたくないからヤキソバで済ませるよ?という体で公平に伝えていた。
自分がヤキソバ好きなのは知っているだろうけれど、だいたいの料理よりヤキソバが好きだということは知られていないはずだ。
だが今日は公平がいない。そんなことに気を遣う必要はなかった。鼻歌を歌いながら皿に盛って、少し多めのヤキソバを、軽くスキップしながら食卓へと持っていく。
「いただきます」とヤキソバを食べ始める。点けっぱなしにしていたテレビは地元のニュースをやっていた。今年の降水量が例年に比べて半分以下で推移しているとかなんとか言っている。
農作物に対する影響は。地球温暖化のせいではないのか。今後更に降水量は減っていくのか。専門家の人たちがそれぞれの立場から意見を言って、アナウンサーが他人事みたいな言葉で纏める。テレビの画面を見ながら、エックスは幾ばくかの申し訳なさを覚えた。だってこれはどう考えても自分のせいだ。
窓の外は今日も快晴。ここ数日、雨は降っていない。それは自分が雨を嫌っていて、無意識に発動した魔法が天気を操っているからだということを、エックスは自覚していた。
ヤキソバの具材のキャベツとかニンジンを口に入れる。農作物にも影響が出ると言っていた。完全に収穫できないということはないだろうが、それでも不作になることはあるかもしれない。こんなに美味しい野菜なのに。噛み締める度に味が広がって、一層後ろめたくなった。明日からは天候操作の魔法を使わないように気をつけなくてはと決心する。
「……でもボク晴れてる方が好きなんだよねえ」
もう一度窓の外に目を向けた。青い空に白い雲が流れている。日が落ちれば空が赤く染まり、やがて星の海が広がる夜空に変わる。雨の日には見られない色の変化。ふと顔を上げただけで嬉しくなる。雨が降る鉛色の曇り空ではこうはいかない。今しがた走った一瞬の閃光の直後に聞こえた爆音のような雷鳴もまた刺激的で面白く……。
「……カミナリ!?雷が落ちるわけないじゃん!こんな晴れてるのに!?」
それもかなり近かった。雷が落ちたのはこの近所かもしれない。エックスの魔法が施されたこの家はたかが雷如きで火事になることはないが、他の家はそうもいかない。
「うわあっ!?なんだこりゃあ!?」
外から声が聞こえた。やはり何かがあったらしい。必要ならば助けに行かなければ。半分食べかけのヤキソバをテーブルの上に残して、掃き出し窓から庭へと飛び出す。
「……ん?あれ?」
見えているのは家を囲むブロック塀だけ。それはいいのだけれど、ブロック塀の上から見えるはずの家が一つも見えない。
おかしなことが起きている。
エックスの家や土地はエックスのサイズに合うように巨大化されている。外からはただの一軒家。建物の中に入ると魔女サイズの巨大な家。空間操作の魔法により、この非現実的なちぐはぐの建築物が成立している。
その中でもブロック塀は更に特殊だ。塀越しに会話をすることが考えられるので、本来内と外とでちぐはぐになるサイズの帳尻を合わせる魔法が施されている。
だからブロック塀越しに見える景色は、本来他の家だとか、或いは外を歩いている人の姿が見えていないとおかしいのだ。
「な、なによこの塀!」
「なんでこんなデカい塀が!?」
「なんか急に暗く……。え。なにこれ」
外から声が聞こえる。イヤな予感がする。エックスは塀の上に手を置いて、懸垂するみたいに身体を持ち上げると、そこから塀の外──というより下に目を向けた。
「ちょっと、あれ!」
「うわっ。なんかこっちを覗き込んで……」
「逃げろー!喰われるぞー!」
一目散に逃げていく小さな人たちの姿がそこに有った。エックスは絶句する。イヤな予感は当たってしまった。
空間操作の魔法が機能していない。巨大な家や広げた土地を小さく見せて誤魔化す魔法も、内と外とで景色の帳尻を合わせる魔法もどちらも。
「こ、壊れた……?もしかしてさっきの雷のせい……」
言いながらそんな馬鹿なと自分でも思ってしまう。雷如きで壊れるような柔な魔法をかけたつもりはない。
だが現実に起こっている光景を考えると、そうとしか思えなくなってしまうのだった。
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電話が鳴った。ぎょっとして音の方に目を向けて、携帯電話を手に取る。恐る恐る表示されている名前を見ると公平からであった。
ほっと息を吐いて通話を開始する。
『も、もしもし?なんかニュース流れてきたけど……』
お昼休憩の時間、インターン先の会社の会議室で、スマホを弄りながら支給された弁当を食べていたところ、ニュースが流れてきたらしい。
『街中の一軒家が突然大きくなった』などというわけの分からないニュース。詳細を表示してみればそれは我が家であったということで電話をかけてくれたのだ。
「あ、うん。お昼に、ちょっと……あはは……」
『……何がどうしたの?』
「ええと……。実は……」
エックスは話した。晴れているのに落ちてきた雷。そして恐らくその影響で……。
『え。魔法が壊れた?』
「そう!そうなんだよ!」
『……魔法って壊れるの?』
「壊れるわけないだろ!ボクの魔法だぞ!」
『……ああ。でも壊れた?』
「そう!そうなんだよ!」
『じゃあ壊れんじゃん』
「壊れるわけないだろ!ボクの魔法だぞ!」
『なんなんだよ、一体』
「壊れたんだけどお……落雷なんかで壊れるわけなくてえ……」
電話の向こう側で『分かった分かった』と公平が言った。
『雷なんかでエックスの魔法が壊れるわけないのは分かったよ。……それより、その……大丈夫?』
「う……」
首だけ動かして、外を見る。公平には聞こえていないだろうが、エックスにはその声が聞こえていた。巨人の家の中であっても、魔女の並外れた聴力をもってすれば、嫌でも聞こえてくる。周辺住民の抗議の声。
「日照権の侵害を許すなー!」
「許すなー!」
「巨人はこの街から出て行けー!」
「出て行けー!」
本来の大きさで聳えるエックスの家は高さ1kmを超える超巨大建築物である。当然作られる影の大きさも相応のもの。日の光は遮られ、まだ事態が起こってから一時間も経っていないのに大規模な抗議デモが始まってしまった。
「……大丈夫、ではないかも」
『おかしくない?ニュースになる速さもそうだけど……こんな勢いでデモになる?』
「なっちゃったからなあ……」
『と、取り敢えず今から帰るから。一緒にどうするか考えよう』
「い、いいよ!やっぱり大丈夫だった!」
『え?いや、でも』
「簡単な話だって!魔法を修理すればいいんだから!」
『そんな壊れたエアコン直すみたいな……』
「その後こういう出来事があったって記憶と記録をなかったことにすればいいんだ!そう!そうだよ、それでいい!うん!」
『え、それなにかのはんざ……』
「そういうわけだから!インターン頑張って!」
そうして電話を切る。
切ってからちょっと後悔した。
最終的に全部をなかったことにするつもりではいるけれど、それはそれとして公平にはやはり近くにいてほしい。
というのも。
「これ……直すの結構時間かかるぞ……」
事態が起こってすぐにエックスは家の調査をした。空間操作の魔法がおかしなことになっているのは分かった。それならば魔法をかけなおせばいいと思ったが、それが出来ない。元々かかっている魔法の解除が出来なくなったからだ。
この状態で仮に空間操作の魔法をかけたとして、何かの拍子で元々の空間操作が戻ると二重で魔法がかかることになる。恐らくそれでも害はないのだけれど、なにが起こるか分からない。物理的に空間が超圧縮されてしまうかもしれない。エックスはともかく公平が耐えられる保証がない。
そういうわけで壊れた魔法を直すのが一番安全とエックスは判断した。それでも解析をして壊れた個所を確認して戻すという作業に二日はかかる。憂鬱だ。
「巨人はこの街にいらないー!」
「いらないー!」
「はあ……」
二日間、このデモの声に耐えなくてはいけないのだから。
「……それにしても」
こんなおかしなことは初めての経験だった。落雷で魔法は壊れない。壊れたとしても解除も操作もできなくなるなんて。
あり得ないとエックスは思った。現実に起こっていることだが、それでも。何かの、誰かの意思を感じずにはいられない。
けれど。もしもこれが誰かが起こした事態だったとしたら。それを起こした相手は。
想像を振り払うようにエックスは首を横に振った。
「そうだ。そんなことより魔法を直さないと」
まずは家の中を確認する。壊れているのであれば、家の内部の魔法に故障個所が見つかることが望ましい。最悪この二日間、家から出ずに修理に専念すればいいからだ。
本来ならばリビングにいながらでもメンテナンスは出来る。だが魔法が壊れているせいで目視しなくては状態が確認できない状態だった。
「それもおかしな話なんだよなあ……」
ぼやきながら部屋を一つ一つチェックする。リビング。キッチン。寝室。物置部屋。トイレ。それから……。
全ての部屋の確認を終えてエックスはリビングに戻ってくる。椅子に座ると魔法で作った熱湯で淹れたお茶を一口飲んで、一息ついた。
「やっぱ中じゃなかったかー……」
そして頭を抱えた。結局家を出なければ故障個所の確認ができないということだ。
やむなしである。取り敢えずお茶を飲んでデモ隊と対決する覚悟を決めて、勇気を振り絞ってから家を出ることにする。
『おかしくない?ニュースになる速さもそうだけど……こんな勢いでデモになる?』
公平の言葉を思い出した。おかしいよとエックスは一人呟く。
今日はおかしいことばっかり。何かが起きている予感はあった。けれど今それを考えても仕方がない。出来ることから順番にやるだけである。
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玄関から出るのはダメだ。文句を言われるのが目に見えている。それよりさっき外に出たのと同じように窓から出るのがいい。掃き出し窓を開けてこっそりと、エックスは庭に出る。
「あっ!出てきたぞ!」
「ひっ」
びくびくしながら振り返り、地面に目を落とす。デモをやっている周辺住民の皆様の姿がそこにあった。とっくに敷地の外側で抗議の声を上げる段階を超えて、玄関先で騒いでいたらしい。この大胆なアクセルの踏み方にはエックスもビックリだ。
足元に集まるデモ隊。エックスはその場にしゃがみこみ、恐い顔で睨んでくる彼らの声をかける。
「あのお……。ここは一応ボクの家の敷地内で。その……」
「あなたはそれだけの税金を払っていないでしょう!」
「税……」
「そうだそうだ!これだけの広さの土地なら固定資産税もバカにならないはずだ!アンタそれだけ払ってるのか!」
「……あの。払って、ないです」
エックスの言葉にデモ隊の声が一層大きくなった。
「税金は払わない!周辺住民の日照権は侵害する!こんなこと許していいんですかみなさん!」
「許せない!許しちゃいけない!」
「この街から出て行け!」
「あ、いや、その。本来の坪数相当の税金は払ってるし。……多分。家の大きさも二日で戻りますからあ」
「二日!?なんで二日もかかるんだ!」
「説明しろ説明!」
「あ。あああ……。はい……」
エックスはその場に正座をした。彼女が身体を動かすことで地面が揺れる。それでもデモ隊は怯んだ様子を見せない。
「あの。説明をするとですね。家を小さくしていた仕掛けが壊れまして……。その修理に二日かかると言った感じで……」
「どうして普段からメンテナンスをしなかったんだ!」
「それは本来壊れることが無いものだったからで……」
「現に壊れているじゃないか!」
「はい……」
「アンタが時々歌ってる歌ヘタクソなんだよ!」
「は……。え?」
「下手な歌歌うなー!」
「歌うなー!」
「騒音だ!公害だ!迷惑行為だ!」
「……」
目を閉じて、頭の中で六秒数える。一。二。三。こいつら全員蹴散らしてやりたい。今すぐ立ち上がってスニーカーで轢き殺してやりたい。四。五。六。全員踏み潰してやりたい。叩き潰してやりたい。なんでこんなチビどもにここまでへりくだってやらないといけないのか……。
邪念が入ったのでもう一度頭の中で六秒数える。一。二。三。四。五。六。少しだけ、落ち着いた。
「ふー……。あの……。ん?」
気がつくとあの喧しい声は聞こえなくなっていた。デモに来ていた周辺住民はみな、青ざめた顔でエックスを見上げている。どうやらアンガーマネジメントしていた彼女の姿が酷く恐ろしいものであったらしい。ここにいる全員殺してやりたいという感情が表に出てしまったらしい。反省しつつもちょっとだけすっきりした。
「……とにかく諸々直しておきますから!それでいいですね!」
すっかり弱々しくなったデモ隊はエックスの言葉に気圧されて、すごすごと退散する。彼らが出て行ったのを確認して、エックスは詰まっていた息を吐き出して、その場に寝転がった。
「しんどーい……」
青い空が見える。あの空みたいになりたいなと、エックスは思った。
--------------〇--------------
二日後。全てはなかったことになった。魔法は修理された。この件に関する記録と記憶はエックスの手で消去された。覚えているのはエックスと公平と信頼できる友人だけである。
「でさ!ヴィクトリーは酷いんだよ!『私を縮めてくれている魔法は壊れないでしょうね』だなんてさ!」
『あはは……。まあそりゃあ心配になるわな……』
「だから!本当は壊れないの!」
『分かった分かった』
電話の向こう側で公平はエックスを諫めた。
『でもそれなら一体なんで……』
「……誰かが壊したんだ」
『……なんだって?』
「その話は帰ってからしよう。多分込み入った話になるから」
『あ、うん。まあ今日で終わりだし。終わったらすぐに帰るからさ。じゃあな』
「うん。ばいばい」
電話を切る。
自然現象でエックスの魔法が壊れることはない。経年劣化でエックスの魔法が壊れることはない。
壊れるとすれば、それは何者かが壊したということだ。
だがエックスの魔法を壊せる何者かがいたとしたら、それは──。
「いや……やめた。今考えても仕方ないし」
携帯電話をポケットに入れた。電話中に洗濯機が洗濯が終わった旨の音を出していた。外に出られなかった二日で溜まった洗濯物をここで干すことにする。カゴに乱雑に洗濯物を取り込んで、鼻唄を歌いながら掃き出し窓を出て、庭に出る。
「……あ」
そこでエックスは鼻歌を止めた。下手な歌やめろと言った人。デモ隊のリーダー。どこかで見覚えがあると思ったら隣の家のお爺さんだった。
あの出来事は当然隣人の記憶にはない。けれど言われた内容について、エックスは覚えている。騒音だの公害だの言われた記憶は残っている。残っているが……。
「ま、いいか」
構わずに鼻唄を歌うことにする。ちょっとした仕返し。けれど不思議と、少しだけ悲しくなるのであった。