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7/10

発作

「ふわあ……」


 目をぱちぱちさせる。

 時間を確認するともう朝の7時。

 普段ならとっくに起きている時間だが、しかし欠伸が出てしまった。

 眠い。


--------------〇--------------


「んん……」


 歯磨きをする。瞼が重い。鏡に映る自分の顔がよく見えない。

 『眠い』という感覚は、随分久しぶりなもののように感じた。魔女になり、無敵の肉体を手に入れた自分は人間の三大欲求も克服している、と思っていた時期もあったエックスだが、実際のところはそうではないらしいということをここ数年で理解した。

 食欲自体は薄いが美味しいものを食べたいという気持ちはある。

 性欲はある。

 公平ともっと一緒に愉しいことをしたい気持ちでいっぱいだ。

 睡眠欲だけは克服していたと思ったのだけれど、それも気のせいだったらしい。魔女の身体に睡眠は不要だが、眠い・寝たいという感情は残っている。今日はそれが特に強い。眠くて眠くて仕方ない。

 昨日夜更かしをしたつもりはないのだが。


「くあああ……」


 また欠伸が出てしまった。公平に見られたらきっと笑われる。今日は公平がいない日でよかった。大学のゼミの関係で、泊りがけで出かけているのである。

 歯磨き粉を落として顔を洗う。鏡に映る自分の瞼はどんどんとろんとしていった。洗顔しても無意味。魔女を襲う睡魔は水如きでは治まらない。眠いことに変わりない。

 二度寝をしようか。

 寝室の布団を想像してまた眠くなる。今あの布団の中に入れたらどれだけ幸せか。


「……いや。そんなだらしないことボクはしないぞ……」


 お風呂場に向けて魔法を使う。その効力で、一瞬にして浴槽に湯船が張る。


「そうだ。顔を洗っただけなのが悪いんだ。お風呂に入ればいいんだ」


 この前後の繋がっていない思考が、既に睡魔に負けている証である。


--------------〇--------------


「くー……」


 結局のところ入浴は彼女の期待したものとは真逆の効果をもたらした。

 魔女になってから千年以上経った今日この日、初めて生じた強烈な眠気が相手ではどうにもならなかったのである。いやむしろ、暖かい湯に包まれたことで却って眠気が強くなったとも言えた。

 眠る以外に睡魔を打破する手段はなかったのである。これならばいっそ布団に入って二度寝した方が幾らかマシだった。入浴中に寝てしまうのは、きっと普通に二度寝するよりもだらしない。


「かー……」


 深く。深く。エックスは更に眠りに落ちていく。そしてとうとう、夢の中に。


--------------〇--------------


 身体のあちこちで炎が上がるのが、見えた。


「……うわっ!ちょっと、なにするんだよっ!?」


 エックスは自分が今、眠っているという自覚はなかった。

 夢の中。彼女は魔女の大きさとなってビルの立ち並ぶ街中に立っている。地上や空中の兵器たちが、自分を攻撃してきている。そんな夢を見ていた。


「このぉ……!そっちがその気ならぁ……!」


 目の前に迫りくる戦闘機。まるで蚊のような大きさ。夢の中なので大きさも滅茶苦茶だ。だがエックスはそんなことは一切気にせずににっと笑みを浮かべた。遅い。欠伸が出るくらいに遅い。

 ぱちんと手を叩く。広げてみれば戦闘機の残骸が彼女の手のひらに張り付いていた。可笑しくなって、笑みが浮かんだ。

 ふと地上に目を向けると、膝にも届かない程度の貧弱な砲撃がエックスの脚に向かって何発も放たれている。微笑んだままに足を上げて、思い切り踏み下ろした。

 いくつかの戦車は踏み潰されて、くしゃくしゃになった。足の直撃を受けなかった戦車は、その衝撃を受けて、転がった。動けなくなったところにまた足を降ろしてとどめを刺す。

 こうなってしまえば向かってくる小人の軍隊などはただの玩具でしかない。そうだ。これは玩具だ。夢の中の軍隊はエックスの願った通りに、怯まずに挑んでくる。そのおかげで、少し腕を振り回せば戦闘機が落ちる。

 いつしか夢の街は炎に包まれていた。その中をエックスは涼しい顔で、悠々と歩いていく。耳を澄ませば心地の良い悲鳴が聞こえてくる。それもエックスが足を降ろす度に一つ一つ消えていった。

 視線の先には一つのビルがあった。エックスはそれを目指していた。他にもあるビルは只管に薙ぎ倒して、その一つだけを標的に選んだのは、あそこには人が大勢いると直感してのことである。

 ビルの前まで到着した。エックスよりも少しばかり背が低い。腰を落として中を覗き込んでみると、彼女の思った通り、不自然なほどに大勢の人間が中にいた。ここはエックスの夢の中。エックスが思った通りのことが起こる。そこに獲物がいると思えば、いるのだ。

 逃げられずに震えながらこちらを怯えた顔で見つめる沢山の瞳。嗜虐心がくすぐられる。腕を広げてビルに手を回して、ぎゅっと抱きしめてやる。

 魔女の筋力の前では鉄筋コンクリートのビルなどは砂糖菓子よりも脆い。中にいた人間のうちほとんどはそのままビルと一緒に潰れて、運よく生き残った者はエックスの胸の上に転がってきた。

 だから一人を摘まみ上げてみる。表情をよく観察してみる。怯えた顔をする若い男。指先に少し力を入れてみた。小さな体はあっさりと弾けて、赤いシミだけになる。


「ぷっ」


 思わず吹き出してしまった。胸の上に視線を落とす。残った小人も一匹一匹、指先で追い詰めていく。

 弾き飛ばして殺す。胸に押し付けて潰す。こねくり回して肉団子にしてやる。それから。それから。

 最後に飽きたエックスは、胸の上の生き残りを全員払い落した。これで全滅だ。

 けれどまだ足りない。次の遊びをしたい。あっちのビルは屋上に小人が集まっているはずだ。それを纏めて吹き飛ばしてやろう。誕生日のケーキの蝋燭を吹き消すみたいに。

 炎の中をスキップで駆けていく。心も身体も軽い。

 けれど何故か。頭が痛かった。


--------------〇--------------


「……はっ!?」


 湯船の中でエックスは目を覚ました。頭がずきずきする。変なタイミングで寝たせいだろうか。


「……なんて夢だよ。はしたない……」


 自己嫌悪がエックスを襲う。夢の中とは言え、とんでもないことをしてしまった。

 分かっている。あれは自分の中の魔女の本能的嗜虐心が好き勝手遊んだのだ。

 どこかでそういういけないことをしたい自分がいることには気付いていた。それでも理性で律することが出来ていると思っていた。実際現実の世界にそんな自分は顔を出してこないが、その分夢の世界では大暴れしたのだろう。発作のようなものだ。

 水面に映る自分の顔を見つめる。


「だらしないなあ、ボクは」


 息を吐きだして顔を上げる。お湯が少しぬるくなってきたので、魔法で温度を上げる。もう眠気はなくなっていた。寝たからだろうか。或いはあの睡魔は大暴れしたい自分の胸の内の感情で、夢の中で暴れることが出来たから満足していなくなってくれたのだろうか。


「……っていうか。これって公平のせいじゃないか?」


 ふと、頭の中で悪い考えが浮かんだ。

 公平がいないのがいけない。公平が退屈させたのがいけない。眠いのだってきっと退屈したからだ。退屈したから夢の中で暴れるしかなかったのだ。

 公平がここにいてくれたら、公平と、若しくは公平で遊ぶことが出来たので、きっと退屈しなかったはずなのだ。


「そうだ。公平が悪い。公平がボクを退屈させたせいだ」


 指をパチンと鳴らす。責任者には責任を取ってもらわなくてはいけない。


--------------〇--------------


「おー。うまそー」


 民宿の朝ごはん。朝から沢山。いい匂いが食欲をそそる。

 炊き立てのご飯。湯気の立つ味噌汁。鯵の開きはふっくらしていて、ただの納豆だってご馳走に見える。


「いやー。田中お前いいとこ知ってたなあ」

「まあなー。前来た事あるんだよここ。めっちゃメシ美味いし。風呂は温泉が近くにあるから好きに入ってくればいいし」


 教授の学会の付き合いで来た旅は、若干乗り気ではなかったが、この朝ごはんを前にすると考えを改めたくなる。


「田母神もかわいそーに。あんなホテル泊るよりこっちの方が……」

「あ、いや。それは流石にあっちの方がいい。俺あっちも泊ったことあるけど、流石にメシも部屋もあっちの方がグレード高いよ。あっちはホテルの中に温泉あるし。民宿にしたのは予算の都合だから」

「……田中よお。水を差すなよ。まあいいや。食おうぜ」

「おう」


 向かい合わせて正座で座り、箸と茶碗を手に取って、「いただきまーす」と言いながら食べようとする。

 その瞬間、公平の身体は光に包まれた。茶碗と箸が音を立てて机の上に落ちる。ふわりと浴衣がその場に残った。


「え?」


 田中は一瞬面食らったが、すぐにエックスの仕業だと気付いて、食事に戻った。


--------------〇--------------


「……あれ?俺の朝ごはんは?」

「来たな責任者」

「え?」


 顔を上げるとエックスがにまにましながらこちらを見下ろしている。周りを見ると自宅の風呂にいた。突然足のつかない水の中に落ちないようにと配慮されてか、エックスの手の上に乗せられている。


「……責任って何の話?」


 状況は分からないが取り敢えず聞いてみる。


「公平のせいで眠くなった。責任を取って」

「だから何の話!?」


 訳が分からないでいる公平に、エックスは問答無用で手を伸ばすのであった。

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